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ニセ科学批判批判への対応

Posted on 8月 21st, 2007 in 倉庫 by apj

 Chromeplated Ratのエントリ(by poohさん)より。社会学玄論(by mercaさん)の「疑似科学批判が流行る理由」のコメント欄で議論していたら、「菊池先生と天羽さんへ」というエントリが上がった。
 展開はそれぞれのblogを読んでいただくとして、議論がさっぱり進まない理由は、mercaさんが、疑似科学と疑似科学批判の両方の実態を知らずに、疑似科学批判批判のメタな議論を書いたことによる。
 菊池さんについての

菊池さんを始めとするラディカルな疑似科学批判者は、自らは正しい科学観に基づいているという絶対的自信があり、自らの科学観を疑うことなく、他の学説を批判しているように思えます。

とあるけど、この問題は、既に松山の物理学会の時にたざきさんが指摘し、菊池さんも私も表現が多少違うだけで同意している。個別の科学の中身は、実験や観察の積み重ねによって不確かなものから確からしいものへと連続的に変わっていくのであり、この点については多分田崎さん、菊池さん、私は同意している。水伝批判、マイナスイオン批判を実際にやったら、菊池さんと私の主張は相当程度オーバーラップすることになる。だから、mercaさんのこの観察は、やっぱり現実を見ていないように思う。
 mercaさんは、きくちさんのニセ科学批判の具体的中身を知って批判しているように見えない。きくちと書いて貼り付けたわら人形に向かって批判を展開しているだけではないのか。
 しかし一体どうして私に理解を示し菊池さんには頑固に不理解を示すポーズをとっているのか?と思ったら、poohさんのところに面白い指摘が。

分断工作のつもりでしょう。頭悪いなあ。
by かも ひろやす (2007-08-21 22:13)

 で、poohさんの別の意味で興味深いコメント。

分断しようにももともとみんなばらばらなんですけどね。
暗黙で通じ合える優しい関係なんてないから、逆に見解の共通する部分は明解だし、そこは鍛えられてるわけです。思いつきの切り貼り言説なんかじゃそこには立ち向かえないわけで。

戦術が透けて見えるのは痛々しいですね。
by pooh (2007-08-21 22:38)

 去年あたりから、菊池さんと同じ場所で講演したり、たざきさんに司会をしてもらったり、左巻さんや小波さんも一緒だったりするもんで、ガワから見るとニセ科学批判の一派だか一味だかに見えることがあるらしい。たまにながぴいさんが別のスタンスでがんばってくれてたり。ところが現実は全く違っていて、poohさんの指摘通り、最初から全員ばらばらである。情報交換や打ち合わせはしても、なれ合いが全く無い。同じ事をしている人を見て一味とか一派だろうと思いたがる心理って、一体何なんだ?
 仮に、きくちさんと私を分断しようとしても全くの無駄に終わるだろう。必要があれば、個別のスタンスでやり返すだけの話である。
 疑似科学批判批判するのは自由だけど、それなら疑似科学の実際と批判の実際と批判してる個別の人達の実態をちゃんと見てからにしてほしいな。

 でもまあ、mercaさんのところはメタにとどまっているだけだが、もっと壮絶なのがある。「科学者の常識の欠如 – アルスブルグの研究室」で、延々ニセ科学批判をする科学者を批判している。ところが最初に

ニセ科学(或いは疑似科学)という言葉があります。言葉の正確な定義は知りません。

と勢いよく宣言。これじゃ、ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判もまとめて不可能だろう。一体何を目的として長い文章を書いたのかが謎だが……一種の憂さ晴らし?


ここからは旧ブログのコメントです。


by TAKESAN at 2007-08-42 11:11:42
Re:ニセ科学批判批判への対応

3疑似科学・ニセ科学6131320070821ニセ科学批判批判への対応3411Chromeplated Ratのエントリ(by poohさん)より。社会学玄論(by mercaさん)の「疑似科学批判が流行る理由」のコメント欄で議論していたら、「菊池先生と天羽さんへ」というエントリが上がった。
 展開はそれぞれのblogを読んでいただくとして、議論がさっぱり進まない理由は、mercaさんが、疑似科学と疑似科学批判の両方の実態を知らずに、疑似科学批判批判のメタな議論を書いたことによる。
 菊池さんについての

菊池さんを始めとするラディカルな疑似科学批判者は、自らは正しい科学観に基づいているという絶対的自信があり、自らの科学観を疑うことなく、他の学説を批判しているように思えます。
とあるけど、この問題は、既に松山の物理学会の時にたざきさんが指摘し、菊池さんも私も表現が多少違うだけで同意している。個別の科学の中身は、実験や観察の積み重ねによって不確かなものから確からしいものへと連続的に変わっていくのであり、この点については多分田崎さん、菊池さん、私は同意している。水伝批判、マイナスイオン批判を実際にやったら、菊池さんと私の主張は相当程度オーバーラップすることになる。だから、mercaさんのこの観察は、やっぱり現実を見ていないように思う。
 mercaさんは、きくちさんのニセ科学批判の具体的中身を知って批判しているように見えない。きくちと書いて貼り付けたわら人形に向かって批判を展開しているだけではないのか。
 しかし一体どうして私に理解を示し菊池さんには頑固に不理解を示すポーズをとっているのか?と思ったら、poohさんのところに面白い指摘が。
分断工作のつもりでしょう。頭悪いなあ。
by かも ひろやす (2007-08-21 22:13)
 で、poohさんの別の意味で興味深いコメント。
分断しようにももともとみんなばらばらなんですけどね。
暗黙で通じ合える優しい関係なんてないから、逆に見解の共通する部分は明解だし、そこは鍛えられてるわけです。思いつきの切り貼り言説なんかじゃそこには立ち向かえないわけで。 戦術が透けて見えるのは痛々しいですね。
by pooh (2007-08-21 22:38)
 去年あたりから、菊池さんと同じ場所で講演したり、たざきさんに司会をしてもらったり、左巻さんや小波さんも一緒だったりするもんで、ガワから見るとニセ科学批判の一派だか一味だかに見えることがあるらしい。たまにながぴいさんが別のスタンスでがんばってくれてたり。ところが現実は全く違っていて、poohさんの指摘通り、最初から全員ばらばらである。情報交換や打ち合わせはしても、なれ合いが全く無い。同じ事をしている人を見て一味とか一派だろうと思いたがる心理って、一体何なんだ?
 仮に、きくちさんと私を分断しようとしても全くの無駄に終わるだろう。必要があれば、個別のスタンスでやり返すだけの話である。
 疑似科学批判批判するのは自由だけど、それなら疑似科学の実際と批判の実際と批判してる個別の人達の実態をちゃんと見てからにしてほしいな。  でもまあ、mercaさんのところはメタにとどまっているだけだが、もっと壮絶なのがある。「科学者の常識の欠如 – アルスブルグの研究室」で、延々ニセ科学批判をする科学者を批判している。ところが最初に
ニセ科学(或いは疑似科学)という言葉があります。言葉の正確な定義は知りません。
と勢いよく宣言。これじゃ、ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判もまとめて不可能だろう。一体何を目的として長い文章を書いたのかが謎だが……一種の憂さ晴らし?]]>1187747089118775157760.46.57.147/::/161326131TAKESANseisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/今晩は。

すみません、凄まじく細かいんですが、田崎さんの「崎」の字、最初のが「118774870258.3.26.38/::/://:1


by TAKESAN at 2007-08-49 11:13:49
Re:ニセ科学批判批判への対応

61336131TAKESANseisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/ありゃ、抜けてました。

 >最初のが「」で

は、

 >最初のが「118774882958.3.26.38/::/://:1


by apj at 2007-08-22 12:02:22
Re:ニセ科学批判批判への対応

「さき」の字いくつかはは出たりでなかったりするみたいです。
面倒なので平仮名にしました。


by みづ at 2007-08-38 12:34:38
Re:ニセ科学批判批判への対応

私は、きっとapjさんの訴訟話にシンパシー(笑)を覚えたんだろうと読みました。
apjさんを「社会との接点を持った『批判者』」と見たんじゃないでしょうか。「本物の」みたいな表現を平気で使える人のようですし。
もちろんきくちさんをそう見られないあたり、かなり表面的な理解だと思いますが。
「批判している対象を知らない」こともバレバレですねえ。


by あらきけいすけ at 2007-08-53 15:53:53
Re:ニセ科学批判批判への対応

>議論がさっぱり進まない理由は、mercaさんが、疑似科学と疑似科学批判の両方の実態を知らずに、疑似科学批判批判のメタな議論を書いたことによる。

私は「疑似科学批判が流行る理由」を読んで、当該氏がまず「社会学的に言うと、現代社会のイデオロギーとして科学が機能しているからである。」と無定義あるいは曖昧な語を用いて議論を始めた時点で、社会学的にも議論の相手にならない程、批判的思考ができないのが、かみ合わない根源だと感じました。


by pooh at 2007-08-28 17:23:28
Re:ニセ科学批判批判への対応

ニセ科学批判を行っている科学者の皆さんが現時点で共有されている認識が、それなりのきったはったを経ている過程を知っているので、一派としての扱いには「なんだそりゃ」みたいな感じがします。

いや、なんかきっと「一言云いたい」んでしょう。で、言及の対象をその「一言」に都合のいいように整理したい、と。こう云う失礼なひとはよくいます。で、「あんたはどうなの」と訊ねられるとメタに逃げる、と。


by きくち at 2007-08-13 19:24:13
Re:ニセ科学批判批判への対応

菊池「先生」と天羽「さん」という書き分けが面白いですね(いろいろな意味で)。
 
「社会学的に言うと、現代社会のイデオロギーとして科学が機能しているからである。」は相当に空疎で、ここにはほとんど何も書かれていません。何かを考えて書いたというよりは、自動書記に近いと思います。クリシェですよね。


by 酔うぞ at 2007-08-28 20:17:28
Re:ニセ科学批判批判への対応

たまたま昨日、津村ゆかりさんの「技術系サラリーマンの交差点」

http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/

で「ニセ科学問題」を取り上げている一連の記事にコメントしました。
今朝、お返事があって、それなりに分かりやすいというか「ニセ科学批判に危惧を覚える」考え方がちょっと分かったような気がします。

わたしの解釈では「ニセ科学批判ブームに安直に乗るな」ということらしい。
ニセ科学というジャンル分けを学会などがするものじゃない。
ということで、個別・具体的にニセ科学を批判するのは当然だ。

つまりは「ニセ科学批判ブーム」があるとすると「ブーム」は問題だろう、ということのようです。


by きくち at 2007-08-22 02:24:22
Re:ニセ科学批判批判への対応

ブームになるくらい「ニセ科学批判」が世間に浸透してるとはとても思えないですけどね


by apj at 2007-08-33 08:20:33
Re:ニセ科学批判批判への対応

一応、向こうのエントリにつけたコメント。
今後も書き直して使うかも知れないので、こっちに貼っておく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここから)
 そのニセ科学批判をテーマとして、最近あちこちで話をすることになってしまってるapjと申します。私の知る限り「科学(=方法論及び既に確立した結果)を自称するが、科学ではない」ものを批判の対象としています(一緒に講演することになった何人かの人達もこの部分では一致していると思います)。私自身は、常に「科学は自然の近似である、正しいかどうかは精度の問題である」と主張しております。

 なお、ニセ科学批判がそれなりに好意的に受け止められているのは、詐欺の被害を防ぐとか安全のためという面があると認識しています。「健康な波動を水に転写する装置で作った水を飲めば病気が治る」というニセ科学は、病気のお年寄りが藁をも掴む気持ちにつけこむ悪徳商法と結びついて金銭的被害を発生させています。「酸素と水素とガソリンでクリーンな暖房」は、見せかけだけが科学で技術が伴わなかったため、販売権だけを売るというネットワークビジネス的展開をしているうちはまだよかった(?)のですが、現実の装置のデモをしようとしたとたん、爆発して死亡者が出ました。こんなのはほんの一例でして、ニセ科学にはまる人の職業と地位によっては、もっと広範囲な被害を引き起こす可能性があるものもいくつもあります。
 じゃあ、ニセ科学にいっちゃった人が「虎の威を借りてる」かというと必ずしもそうではなく「自分がやっていることが科学だと思っている」状態だったりするんですね。つまり、やってくる情報がなぜか偏っているため単に誤解しているケースも多いのです。

 自然現象を記述することについて、科学を越える有効な方法論を人類はまだ見つけていないでしょう。また、科学が有効なのは自然現象の一部を記述し理解することに対してだけであって(∵未科学の部分が相当ある)、それ以外のことを期待されても、何もこたえることはできません。たとえば、道徳やイデオロギーの正しさの根拠を科学に求めてはいけないんですよ。科学だけが真理などという状態には、最初からなりようがないんです。科学が有効な範囲は限られていますので。

 ともかく、ニセ科学が広まったことが原因で、現実の危険や被害が発しているという状況なので、正しい知識を持っている人は批判に手を貸してくださいというのが正直なところです。
 「自己の理論の前提」を云々しようがしまいが、酸素と水素を混ぜて火をつけりゃ、適切な燃焼装置を使わない限り爆発するわけです。どれくらいの短い時間でそれが起きるのか、どの程度の被害になるか(=エネルギーを発生させるか)といったことが、科学に含まれます。科学とは、こういうことを突き止める方法や、突き止めた結果の積み重ねです。ですから、「生活の知恵」を延長したものが科学なんですね。仮に「今のの科学を絶対視」している人がいて、それをやめることにしたとしても、酸素と水素を混ぜて火を付けりゃ爆発するという自然現象には何の変化も無いでしょうね。

 ところで、「科学を絶対視する」立ち位置にいる「多くの疑似科学批判論者」の名前を具体的に挙げていただけませんか?最近の「流行」の中心近くに居るのは、多分私の知っている人達だろうと思うのですが、該当しそうな人が見当たらないんです。