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珍しく大槻教授に結論だけ同意

Posted on 2月 11th, 2009 in 倉庫 by apj

 大槻義彦のページより。

もちろん私が死んでもお葬式の類はごめんです。急に予定もなくお葬式の通知を出したのでは、受け取った人は大迷惑でしょう。

 私が(私の)葬式の類はごめんだと思うのは、生きてるだけでも面倒くさいことがいろいろあるのに、死んでからまでなぜ手間暇をかけなければならないのだ?と思うからで。 ただ、死期は予測可能な場合もあるからなぁ……だからといって、「一ヶ月後くらいになりそうだから予定あけといて」ってな具合に会食の予定を入れるような調子で連絡をされたって、された方がリアクションに困るかもしれない。

墓も墓参りもナンセンス。これは、思い出をかみしめるところ。思い出なら、たくさんの写真・ビデオ・著作が残っているからそれで十分。もちろん、墓参りはその思い出を思い出す機会になるから悪くはないのですが、それなら命日を決めて息子・孫たちが食事でもしてくれれば良いでしょう。『命日の食事会のファンド』でも残しましょうか。後世、親族以外の人が訪ねてくれることはまずないでしょうから、目印、つまりお墓などいりません。見知らぬ人に墓参りしていただくほど大物ではありません。いつの間にか墓石は落ち窪み、カラスなどの鳥の糞にまみれ、名前の判読もできない。想像しただけで、ぞっとします。

 一応、仏のぐうたらな弟子(つまりヘタレ仏教徒)のつもりでいる。すると、
・釈迦の墓は無い
・仏舎利と称するモノがあちこちに散らばって事実上の散骨状態である
・思想の主要部分が「諸行無常」
……これで、墓を残すことにこだわるという結論がどうすれば導き出せるのかと。
私には葬式も墓も不要で、むしろ散骨した後はきれいさっぱり忘れ去られるのが分相応という結論しか出てこない。墓にこだわれと言われたら、そんなに無情が怖いのかとツッコミの一つも入れたくなる。もちろんこれはあくまでも私個人について、という意味で、普通にどこかの寺の檀家で先祖代々の墓を維持している多くの人を否定する趣旨ではないし、墓参りを期待して作られている墓に参ることを私が拒否するという趣旨でもない。

 ただ、葬式も墓も要らないが教材にはなりたいので、バラしてプラスティネーションにして保存とか、骨格標本を作ってガラスケースの中で陳列されるというのは大いに希望したい。

 墓石がこけむしたって別にぞっとする必要は無いかと>大槻先生。そのレベルを超えて考古学の対象級になるまで残れば、後世の発掘対象となって誰かのメシの種になるかもしれない。まあ、掘ったら遺跡が出てきて発掘調査のため工事がストップ、という、後世の工期遅れの原因を作る可能性もあるが。