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アホと貧乏は別の話

Posted on 3月 6th, 2009 in 倉庫 by apj

【追記と注意】
 この件についての考察を進めた結果、このエントリーを書いた時とは異なった理解に至ったので、こちらを見て欲しい。

 PSJ渋谷研究所Xさんのところの「「親がアホ」のツケは子どもに回って当然なのか」について。
 先日から話題になっている、授業料を完納しないと卒業証書を出さない、とやった高校の話に関連して。

 心情はわかるんだけど、議論の筋があまりにわけがわからないので改めてエントリーを書く気になった。

なんの責任もないうえに責任を取る能力もない未成年のところに責めを及ぼすことを容認していては、規範もへったくれもないだろう。「未成年者・年少者(18歳未満)は保護される」「犯罪や誤りを犯した行為者本人だけが罰せられるべきで、特段の理由もなく家族等が代わりに責めを負うべきではない」といった前提こそが間違っていて正されるべきだというのでない限り。

 その前提を授業料未払いの例に適用するのが変なのだが。 まず、「保護」の意味が曖昧すぎるので、何が言いたいのかがよくわからない。具体的な保護規定としては、たとえば
・契約関係:法定代理人の同意を得ない契約は取り消し可能。
・刑事責任:刑法の適用ではなく少年法が適用される、家庭裁判所を通して保護処分か刑事処分相当かの審判を受ける。
といったものはある。保護すべしという理念があったとしても、際限なく保護せよという話ではないはず。何だか、保護の意味を無制限に拡大解釈しているように見える。言及先のエントリーを読んでも、「保護を与えるべき→親が授業料未納でも卒業証書を出すべき」の間が埋まらない。

 また、刑事的責任の話を契約関係に持ち出すのは間違っていると思う。
 学費未納の話はむしろ、親が定期的に金を払って購入したサービスを子どもに与える約束をしていたが、金を払わなかったので購入されなくなった、というのに近い。上の理屈を適用するなら「一旦子どもにサービスを与えるという契約したら最後、親が金を払わなくなっても、子どもは保護しなければならないからサービスを与えるべき」という話になってしまうが、これは明らかにおかしいだろう。

でも、入学時に学生が未成年や年少者だった場合、法的には単独で契約の当事者になることができないのではないか。

 単独で契約の当事者になれないこと自体が未成年者に対する保護である。法定代理人(大抵は親)の同意があれば契約の当事者になることは可能である。それ以上、契約の相手方に対して、対価を受け取っていないのに債務の履行を求めているわけでもない。

未成年者が単独では契約の当事者になれないのならば、基本的には保護者が支払いをするという契約のはずで、そうなると未納が生じた際にも子どもは「善意の第三者」ということになるのではないか(親が学費の支払いをやめると言っていて、学生も「それでいいよ」と承知していたとか、そんな事情でもあるのならともかく)。

 「善意」というのは、「ある事実を知らないこと」を言う。 当事者が作り出したり放置したりすることでできた法律関係を信じて取引に入った人を「第三者」と呼び、当事者間に存在する特別な事情を知らない人を「善意の第三者」と呼ぶ。 仮に、親と学校間の契約で、契約関係にない子どもがなにがしかの権利を得るという形になっているのであれば、それは「第三者のためにする契約」(民573)に分類されるのでは。で、子どもがある期間普通に高校に通っていたのなら契約したこと、何の給付を受けるかも含めた契約内容を知っているはずだから、支払が滞った場合に子どもを「善意の第三者」と呼べるような状況が発生するとは思えない。

 子どもが契約の当事者で親が法定代理人として同意する、という形なら、子どもは最初から当事者だからやっぱり「第三者」ではあり得ない。

でも、たとえばカード詐欺(保護者)に偽造カードで買い物をされちゃった(学費を払うのをやめられちゃったとき)時は、直接の債務はカード詐欺たる保護者が負うわけで、消費者たる子どもは善意の第三者じゃないのか。消費者がカード詐欺の尻を持たなきゃいかんってのはおかしいだろう。

 偽造カードで買い物をされた被害者は、立場を騙られただけであって「第三者」とは呼べないのでは。むしろこの場合第三者と呼べるとしたら、騙られた人ではなくて、実は別人が取引していることを知らずに契約関係に入った人に対してだろう。喩えとして成り立っていないように見える。

債権者のはずの子どもが、その債権を放棄するとでもいうのであればともかく、法廷に出たら適法性のない内規として無効と判断されるのではないかとさえ思う。

 債権者の権利がどこからきているかというと、授業料を支払うという親と学校の契約によって発生しているわけだから、元の契約が「授業料を払わなくてもサービスを提供します」とでもなっていない限り、こんな理屈は通らないのでは。

 言及先のエントリーは、「責任」「保護」「第三者」といった言葉の使われ方に違和感がありまくる。

しかし、今回のケースはどっちかというと「いったんかけたハシゴが、親の不心得ではずされる。そういうことに公教育が加担するようなことがあってよいのか」というような問題ではないのか。

 「公教育」といっても、一定の人的金銭的補助のもとに、ある程度決まった内容の、有限のサービスを提供するものに過ぎない。社会の側には、「高校に通わせる義務」はない。 「いったんかけたハシゴは親の不心得があってもはずせない」ことになったら、分割払いで子どもにサービスを提供する契約自体が危なくてできなくなる。「子供の保護」をタテにしての踏み倒し放題を認めるということになる。それならいっそ、契約の安全のためには、授業料3年分を入学時に納付してもらい、休学の期間は納付不要(つまり納めた授業料が減ることはない)とし、退学の時には残りの期間の分を返却する、というシステムにしてしまえばよい。不払い問題は解決するはずだ。授業料を強制的に徴収するための手段が現実的なコストで実現できるなら、どんどん不払い分を回収することにすればよいのだろうけど、授業料程度の金額を人手をかけて回収するのがコストに見合わないというのなら、先払いにするしかないのでは。支払う相手が自治体なら、某家庭教師センターや英会話塾みたいな倒産はないだろうから、退学時に返却されなくなるおそれは殆どないはずである。
 そのかわり、金を貯めてからでないと進学が不可能、ということになってしまうだろうが……。

 親が貧乏であることのツケを子どもに回すのはよくない(社会的格差が固定する方に働くから)。だから、奨学金や授業料免除といった手当てが必要だし、実際に授業料免除になっている生徒もそれなりの数存在する。でも、親がアホであることのツケについては、明らかな虐待で保護が必要といった場合以外にまで社会の側が面倒を見るのはやり過ぎではないだろうか。

【追記】
言及先のエントリーで、地下に眠るMさんの勘違いコメントを見たので、こっちでも言及しておく。

「親の因果が子に報い」を肯定するバカ科学者と、その妄言を支持する寝言垂れ流しの諸君に聞いておく。■学校と生徒の関係において、重視されるべきは民法かね? それとも教育基本法かね?

チミら、恥を知れ。
Posted by 地下に眠るM at 2009年03月06日 23:42

「因果」じゃないので、議論自体がミスリーディング。強いて言うなら親の身勝手、といったところ。
 義務教育ではない高等学校では、授業料を払わなければ学校と生徒の関係自体が消滅するので、民法が先(∵授業料を払わない生徒に対しては除籍という手段をとることが可能である)。学校と生徒の関係が維持されている間は教育基本法。
 前提となる学校と生徒の関係を発生させるものと、関係が発生してからその内容を規定するものの優先準位を、同列に比べることの方がナンセンスではないか。


ここからは旧ブログのコメントです。


by イバライガー at 2009-03-42 08:15:42
Re:アホと貧乏は別の話

ほぼapj氏と同意見なのですが、先払いは現実的に難しいでしょう。
この場合、金持ってるにもかかわらず払わない親が問題なのでして、やはり単純に資産情報調べて強制的に資産差し押さえをやれば良いのではないでしょうか?
地方税ですら、(所定の手続き踏まないと)資産情報調査&資産差し押さえやってるし、破産しようがどうなろうが(所定の手続き踏まないと)追い回されるのに、なぜ教育の現場になるとやらないのかと小一時間問い詰めたいくらいです。
回収コストですが、どこの地方自治体も、委託業者に滞納者へ電話かけさせて約束取り付けたり、資産ある相手には容赦なく差し押さえしてるぐらいですから、公立学校に関しては、ついでにやらせればいいと思います。
(国保は払うか分納手続きをしないと保険証を剥奪されますが、病院行き盛りの幼いガキがごろごろいるにもかかわらず、分納手続きすら踏まないアホな親がそこそこいますが、あれは、子供がかわいそうなことこの上ないですね。)
(話がそれますが、うちの街は国保が異常に高いです(≒おそらく、払ってない人がたくさんいる)。日本全国の統一サービスなのに値段が違うっていうのは問題有りだと思います。)


by 亀@渋研X at 2009-03-15 09:10:15
お手数おかけします

言及ならびに誤り等のご指摘、ありがとうございます。お手数をおかけして、すいません。

ちょうどapjさんにコメントをいただいた前後に、ご指摘いただいた誤りのうちいくつかについて確認がとれまして、先ほど当該エントリの冒頭に、中途半端ながら取り急ぎの注意書きを入れておきました。先のエントリへはトラックバックをお送りしたのですが、通っていなかったようで、ミスリーディングの可能性が減ったのはよかったんだかなんだか(汗)。

しかし、最大の問題は、今回に限らないのですが「法的にはコレコレだ」とわかっても、「そりゃあおかしいんじゃないか」という気持ちが引っ込まないところでして。その辺の思いが一体なにに根ざしているのかを含めて、再考して新エントリをアップするつもりです。

まずは御礼かたがたごあいさつまで。


by apj at 2009-03-34 09:54:34
Re:アホと貧乏は別の話

亀@渋研Xさん、

>しかし、最大の問題は、今回に限らないのですが「法的にはコレコレだ」とわかっても、「そりゃあおかしいんじゃないか」という気持ちが引っ込まないところでして。

 気持ちは大変よくわかります。

 私は、意識して「法的にやるべき」という立場に自分自身の論を切り替えているところです。
 多分、私(やご自身でも言及されているchem@uさん)と、亀@渋研Xさんの、感じている危機感の違いが、論の違いになっているのだと思います。
 本当に困窮している人への救済策を盛り込みつつ、法的にやる方向にいかないと、教育現場への負担が大きすぎるし、モラルハザードという別の結果を引き起こすのではないか、というのを肌で感じているもので、それが議論の立ち位置の違いになっているのでしょう。

 悩ましい問題です。


by OCEAN at 2009-03-21 09:57:21
アホな親です

議論の筋から外れるかもしれませんが…
私は子供の頃から子供が苦手で、なのに世間の「自分の子供は可愛いものよ」という声をうのみにして、子供を持ってしまったクチでして。…結局、子供というものが好きになれず、悶々とした日々を過ごしました。私が死んで、子供好きな誰かに引き取られた方がこの子は幸せに違いない、などと思ってました。
そんな日々の中で考えていたのは、「子供を持つのは免許制にするべきだ」ということ。試験は、生まれたばかりの子犬を盲導犬候補生として一年間育て上げあげる、というもの。(3/6の探偵ナイトスクープ見て思い出しました)
子供と犬を一緒にするな、とか、犬に失礼じゃないか、という批判は棚に上げさせていただいて、アホが親になることを阻止する方法を考える必要があるのでは、と思ってしまうアホな親でございます。


by apj at 2009-03-37 10:07:37
それは竹宮恵子がもうやった

OCEANさん、
 仰るような発想で動いている社会を描いた作品に、竹宮恵子の「地球へ」がありますね。免許制ではなくて、育てる仕事を最適な親に割り当てるという管理社会でしたが。

 アホかどうかの判定が難しいので、どうにもならない気がしますが……。
 ただ、昔に比べて、核家族化して地域のつながりも薄れ、育て役が親のみという状況なので、親がアホだった場合に子どもがそのアホさ加減を全部受け止めるはめになるということはあるかもしれません。大家族だったり地域の血縁のつながりで祖父や祖母、叔父叔母がそれなりの密度でふれあえたり、子だくさんで一番年長の兄や姉が父代わり母代わりの役割もしたり、という状態だと、親がアホでもまともな大人が他にいることになり、それなりに何とかなるかもしれませんが。


by 酔うぞ at 2009-03-15 19:01:15
外見からは分からないこともある

以前給食費未払いについてコメント欄で説明しましたが、この件は新聞などに全く出ていません。
わたしが拾ってきたのは、PTA会長の座を争っている人のブログでした。

apj さんが「どこかで線引きして法的手続き」を模索しているのは、問題点をあらわにする必要がある、と考えているのだろうと想像します。
しかし現在の、公立高校が抱えている問題というか、問題の原因が実は行政の仕組みにあり、しかも師範学校以来の教育の伝統のようなところにも関係しているのですから、これはある種の文化と言うべきなのでしょう。

ただ、今の日本が法律が前提としている社会といささか以上に離れ始めているのではないのか?とも思っています。

ローマ帝国衰亡史に出てきた話だと思いますが、政権と市民の関係が、恩恵 → 権利 → 義務と変化して、政府がサーカスを市民に無料で見せることを義務づけられた、という話があるのです。

まあ、経済学的に政府の選択肢としては是認できるのかもしれませんが、国家を健全に継続させるために必要な事だったでしょうか?と考えますと、皇帝が市民の支持を得るために政策のバラマキをやった、と解釈する方が妥当でしょう。

こんな傾向が、今の日本にはかなり強くなりつつあるように感じています。


by apj at 2009-03-22 19:34:22
乖離する一方では

酔うぞさん、

>ただ、今の日本が法律が前提としている社会といささか以上に離れ始めているのではないのか?とも思っています。

 社会の側が離れたとして、学校の側は法律にすら付いて来ず従来の伝統的方法にしがみついているわけですから、結果として社会と学校の乖離は広がる一方になってるのではないですか?

>恩恵 → 権利 → 義務

 何ていうか、恩恵ではちょっと足りなさそうで、義務と化したら国民側のモラルハザード暴走で崩壊間近になり、やや恩恵よりの権利のあたりで止めて緊張関係を保っておけば、法化社会としてそれなりに機能するという気が。


by OCEAN at 2009-03-49 19:42:49
もう少し現実的な方法

地球へ…は読んだことないですが、SFには出産許可証みたいな管理社会の話はよく出てきますね。実際、国が出産に介入している某国ではいろいろ問題が出てますし。
で、一晩たって思いついたのが、高校入試に保護者も試験を受けさせる、ということ。支払い能力を見るのではなく、支払えなくなった時に奨学金などの手続きをちゃんとする人間かを見る。親はアレだが子供は入学させたい、という場合は、DVのシェルターみたいな形で子供を親から引き離す。というのはどうでしょう?


by 地下に眠るM at 2009-03-50 22:56:50
Re:アホと貧乏は別の話

勘違いコメントとはお笑いだ。
こちらも、PSJ渋谷研究所Xに書いたコメを転載するとしよう

***********
>>「親の因果が子に報い」を肯定するバカ科学者と、その妄言を支持する寝言垂れ流しの諸君に聞いておく。

>「因果」じゃないので、議論自体がミスリーディング。強いて言うなら親の身勝手、といったところでしょう。

「因果」を「親の身勝手」に換えても論旨はいささかもかわらなにゃーんだが。
よって、ミスリーディングのはずもなし。

>>学校と生徒の関係において、重視されるべきは民法かね? それとも教育基本法かね?

>義務教育ではない高等学校では、授業料を払わなければ学校と生徒の関係自体が消滅するので、民法が先。
>学校と生徒の関係が維持されている間は教育基本法。
>前提となる関係を発生させるものと、発生させてからの関係を規定するものの優先準位もつけられないバカはチミの方だな。

えーっと、チミ、大丈夫か?
学校と生徒の関係が消滅していたら、「学校と生徒の関係」は成立しにゃーんだが。
なんでこんなトートロジーなことをわざわざ言わなければならにゃーんだろう。
いいかい、
生徒を退学処分にしたわけではにゃーんだから、このケースにおいて「学校と生徒の関係が維持されている」んだよ。ここが前提なんだから、ベースとなるべきは教育基本法であって民法ではにゃーの。ヒトをバカにする前に、状況を把握してくれよ。

というわけで、このケースにおいて、考慮されるべきは民法ではなく教育基本法ということは明らかにゃんね♪

当然ながら、「生徒を退学処分にすべきだった」という話も出てくるだろうけど、そもそも退学処分という生徒の人生を左右するような重要な案件において、しかも公的教育機関が、教育基本法や児童の権利条約を無視した判断をしてよいということになるはずもにゃーんだな。
そのあたりについて、エントリをたててこことapjのところにトラバを送りましたにゃ。
***************
転載ここまで

apjはよくもこんなデタラメを垂れ流し、とくとくと自分のブログにアップできるものだと感心したよ。
もうオカルトの域にはいっとるね。
僕のあげたエントリにも追記して、ここにトラバする予定。


by Enzo Romeo at 2009-03-34 01:23:34
Re:アホと貧乏は別の話

 この件のapjさんの論に理解はするが納得できない気持ちが自分の中にはありまして、何でかなぁと思っていましたが、向こうのコメント欄の田部勝也さんの、

>その意味では、これまでのapjさんの議論は、法律・制度を固定的なものと捉えすぎている感が強く、「むしろ法律・制度はこうあるべきだ/変えていくべきだ」といった話にならないのが残念ではあります。apjさんは私などよりもずっと現行の法律・制度の欠陥や不備などにも明るいはずなのに……。

が、しっくりきました。

 あと地下猫さんが教育基本法を挙げておられますが、旧教育基本法第1条(教育の目的)には、
「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわなければならない
とあります。教育の受益者は単に児童・生徒やその親にとどまらず、日本の社会そのものである(だから税金が使われる)ことを考えて対応すべきかと思います。


by apj at 2009-03-31 01:24:31
Re:アホと貧乏は別の話

地下に眠るMさん、

>生徒を退学処分にしたわけではにゃーんだから、このケースにおいて「学校と生徒の関係が維持されている」んだよ。ここが前提なんだから、ベースとなるべきは教育基本法であって民法ではにゃーの。ヒトをバカにする前に、状況を把握してくれよ。

 授業料を払ってない状態で、学校と生徒の関係が維持されていることが既におかしいですよね。もちろん、奨学金とか授業料免除とか、経済的に困っている人には援助した上での話だけど。

>当然ながら、「生徒を退学処分にすべきだった」という話も出てくるだろうけど、そもそも退学処分という生徒の人生を左右するような重要な案件において、しかも公的教育機関が、教育基本法や児童の権利条約を無視した判断をしてよいということになるはずもにゃーんだな。

児童の権利条約全文
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html

教育についていえば、
・中学までは義務教育とし、社会の側に教育の義務を負わせた。
・義務教育ではない高等学校には、行政の補助があって、安価な授業料で通う事が可能な高等学校がそれなりの数維持されている。
・それでも経済的に困る人には、奨学金や授業料免除といった制度が用意されていて、実際に利用されている。
というのが実態なので、権利条約は守られています。

 この程度の補助が社会の側に存在する状態で、授業料を踏み倒している人に対しまで、なお生徒で居続けさせなければならないということは、児童の権利条約からは導き出せません。教育基本法を読んでも同様です。

 条文を持ち出すのなら、具体的に何条に基づくのかまで指摘してもらわないと、話になりません。

 なお、報道には、規則にある除籍という方法ではなく、「卒業証書を渡さない」とやっただけで(これは、規則に無いのでむしろ現場裁量が規則違反になってしまっているが)、65人中64人が支払ったとあります。授業料免除の手続をとったわけではないのです。
 このことからは、払えるのに故意に払っていなかった人達が居たということがわかります。


by apj at 2009-03-46 01:38:46
Re:アホと貧乏は別の話

Enzo Romeoさん、

>とあります。教育の受益者は単に児童・生徒やその親にとどまらず、日本の社会そのものである(だから税金が使われる)ことを考えて対応すべきかと思います。

 というだけでは、単なるきれい事に過ぎません。
 既に、経済的に困難な場合には受領料免除の申請が可能で、それなりの数の人がこの申請をして認められて学校に通っています。

 問題は、授業料免除の申請もせず、払えるのに故意に払わない人達(既に書いたように元の報道からは明らかです)をどうするかという話です。

 もし、法の方を変えていくべきだということになれば、高校を義務教育化せよ、という方向にいくかもしれません。が、それが必ずしも良いこととも思えません。
 
 授業料免除が使える収入の基準をもっと上げる(つまりより多くの人が免除申請で通るようにする)という話であれば、現状の制度のままで収入の基準を変更するだけでできるので、制度の変更までは必要ないのでは。


by 地下に眠るM at 2009-03-16 00:29:16
Re:アホと貧乏は別の話

>apj

>授業料を払ってない状態で、学校と生徒の関係が維持されていることが既におかしいですよね。

っておいおい、この場合は民法でなく教育関連法規に従うべきだということは理解できたのならば、渋谷研究所Xコメ欄で他人様をバカ扱いしたことにはひと言あってしかるべきなんでにゃーのか? 僕ならそうするけど、そういう期待をチミにする僕はやっぱりバカなのかい?

授業料不払いから、自動的に退学になるという理路はapjの脳内にしかにゃーのでは?
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090307/p1
あたりも参照ね。

>~というのが実態なので、権利条約は守られています。

はい、ダウト。
権利条約が守られているのなら、経済的理由による高校退学者が多いことが説明できにゃーな。そもそも、形式的に制度があることをもって「実態」ということはおかしい。生活保護だって、水際で不当な申請拒否が「実態」なんだぜ。

>この程度の補助が社会の側に存在する状態で、補助を利用せずに授業料を踏み倒している人に対しまで、なお生徒で居続けさせなければならないということは、児童の権利条約からは導き出せません。教育基本法を読んでも同様です。

いちばんだめなのがここ。
授業料を踏み倒しているのは、親であって生徒ではにゃーの。
チミ、国籍法改正のときもそうだったけど、親とガキをまるで分離できてにゃーぜ。
一にも二にも、ガキと親は別人格であり、ガキには(特に高校生には)経済力を持つことが認められてにゃーということはわかるな? ガキの授業料を払わない、というのは親による虐待の一種と考えられにゃーのかな?

>条文を持ち出すのなら、具体的に何条に基づくのかまで指摘してもらわないと、話になりません。

僕のブログに記事に書いてあるよ。トラバをおくってあるはずにゃんが。
ガキを搾取・虐待するのは現実には親が多いから、親の虐待からガキを守るという趣旨の条文があるんだよ。

>報道には、規則にある除籍という方法ではなく、「卒業証書を渡さない」とやっただけで(これは、規則に無いのでむしろ現場裁量が規則違反になってしまっているが)、65人中64人が支払ったとあります。授業料免除の手続をとったわけではなさそうのです。このことからは、払えるのに故意に払っていなかった人達が居たということがわかります。

卒業証書という脅しをもらったから、免除手続をせずに苦しいのに借金してでも払った親が中にはいるかもしれんと僕は思ったけどにゃ。もちろん、故意に払わなかったバカ親もいただろさ。

そもそも、だ。
高校側のしたことに法令違反があるのだから、規範を持ち出して学校側の行為を当然だといったapjの言論の根拠はすでに崩れているわけだ。で、そもそも論とかスジ論であれば、高校の存在意義とか教育の理念をシカトすることはありえにゃー。
親とガキの分離が教育の前提であり目的でもある。
apjの理屈というのは、「バカ親にガキが人生を台なしにされても、社会は何もしなくてよい」、という理屈なんだよ。だから、恥を知れ、といっている。


by apj at 2009-03-12 02:59:12
Re:アホと貧乏は別の話

地下に眠るMさん、

>この場合は民法でなく教育関連法規に従うべきだということは理解できたのならば、渋谷研究所Xコメ欄で他人様をバカ扱いしたことにはひと言あってしかるべきなんでにゃーのか?

 ダウト。先に渋谷研究所Xコメ欄で他人をバカ呼ばわりしたのは地下に眠るMさんだったはず。だから謝罪の必要はない。

 また、契約部分の取り扱いについては、基本が民法であるべきという考えに変更はない。これは、教育基本法は民法の特別法ではない、つまり、民法上の契約の履行について、何らかの変更を加えるものではないという理由による。

 トラックバックの件はこっちのシステムの不具合らしい。許可する設定にしてあるんだけど、このblogを始めてから外からは一回も成功していない。次にシステムを入れ替えるまではどうにもならないです。

>授業料不払いから、自動的に退学になるという理路はapjの脳内にしかにゃーのでは?

 この部分は誤読。直ぐに退学にせよとは書いた覚えがない。自動的に退学にするんじゃなくて、一定期間請求してどうしても払わない場合でしょう。

 私は、「学校が、契約に基づいて請求をし、払わなかった場合にペナルティを与える」という行動をすることに対して、教育の理念がどうとか言って横やりを入れる人達に対し、それは違うと言いたいだけ。
 給食費の場合だと、子どもがかわいそうという意見もあったけど、取り立てとペナルティの予告で徴収するようになってきている。

 今回は、既に明らかになったように、ペナルティが規則に沿ったものではなかった(登学の停止あるいは除籍であるべきだった)にも関わらず、「卒業証書を渡さない」というむしろ温情ある方法をとったために、話がややこしくなった。その部分の誤解については既に私の考えを訂正している。

>権利条約が守られているのなら、経済的理由による高校退学者が多いことが説明できにゃーな。そもそも、形式的に制度があることをもって「実態」ということはおかしい。生活保護だって、水際で不当な申請拒否が「実態」なんだぜ。

 それなら、行政に向かって予算を増やせという議論をすれば良いのであって、学校の現場に場当たり的なサービスを要求するのは筋違い。
 「授業料を払わなくても他の人と同じ扱いでいい」という価値基準を世間に広めることの方が問題。

>チミ、国籍法改正のときもそうだったけど、親とガキをまるで分離できてにゃーぜ。

 既に渋研さんのところにコメントが出てるけど。分離できてないのは高校側の運用法の方。契約の主体は生徒になってるし、いろんな補助制度も生徒が主体になるというのタテマエ。それを、保護者主体のように運用しているのは高校側のようだ(憂鬱亭さんの指摘による)。

> ガキの授業料を払わない、というのは親による虐待の一種と考えられにゃーのかな?

 高校は義務教育ではない。
 第一、「家庭の教育方針」と虐待の区別をどうつけるのか?
 仮に、「進学させないこと」や、子どもを見ていてやっぱり途中で退学させると決めることを虐待の一種とするならば、義務教育終了後に各家庭で異なる教育方針を持つことを否定する結果になる。
 そこまで社会の側で強制していいのかが問題だと思うけど、地下に眠るMさんは、虐待だと決めてかかっている。ちょっと乱暴すぎるのでは。

>ガキを搾取・虐待するのは現実には親が多いから、親の虐待からガキを守るという趣旨の条文があるんだよ。

 何条?

>高校側のしたことに法令違反があるのだから、規範を持ち出して学校側の行為を当然だといったapjの言論の根拠はすでに崩れているわけだ。

 法令違反になったが、児童の権利条約には沿っていたというのが私の結論。ただ、例の校長が規則にないことをしたということは、私も既に認めているよ。

>で、そもそも論とかスジ論であれば、高校の存在意義とか教育の理念をシカトすることはありえにゃー。

 理念の拡大解釈も有り得ないと思う。

 筋論でいくなら、権利条約からも教育基本法からも「公立高校のように授業料の補助があって、授業料免除の制度もある状況で、故意に授業料を払わない人にまで高校生の権利を保障すべき」というこが導けるかどうかに絞って議論することになる。これについては、そこまでは導けないだろうというのが私の結論ですけど。

 現実の補助が足りないから、授業料を払わなくても高校性である権利を保障することを正当化するために教育の理念を持ち出すというのは、筋論で閉じてないですよね。筋論に実態論を絡ませているから。

>apjの理屈というのは、「バカ親にガキが人生を台なしにされても、社会は何もしなくてよい」、という理屈なんだよ。だから、恥を知れ、といっている。

 そうは言ってない。ただ、高校の現場の裁量で対策させるのは変だろうということ。要求する先も内容も違うってこと。

 高校はあくまでも、授業料を払わなければ登学停止や、長期にわたって払わず復学の見込みもないなら除籍にするべきだし、そういう措置があることを伝えて徴収したことに対し、教育の理念を持ち出して横やりを入れるのはおかしい。私の主張はこちらで、これを変えるつもりもないし、恥だとも考えていない。

 バカ親から高校性を救いたいなら、高校に対して現場の裁量でどうにかしろ(払ってないことに目をつぶれ、という要求も含む)というサービスを求めるのではなくて、
・通学の意思のある高校性が単独で授業料免除の申請が可能となるような制度を設計し、運用する。
・授業料免除の適用の基準について、親に経済力があるが子どもの進学を拒んでおり、子どもの側に勉学する意思がある場合にも認める、あるいは奨学金で手当てする、といった方向が実現するように行政に要求する。ぶっちゃけ予算の増額だけど。
 といった方向に進まないとだめだろうというのが私の考え。

 つまり、教育の理念を拡大解釈して現場に負担を押しつけるのはやめろということに尽きる。


by 地下に眠るM at 2009-03-49 06:16:49
Re:アホと貧乏は別の話

>先に渋谷研究所Xコメ欄で他人をバカ呼ばわりしたのは地下に眠るMさんだったはず。だから謝罪の必要はない。

えー。
教師と生徒の関係が成りたつのであれば、教育基本法が優先するといったのはチミだよ。その認識をもとにした僕はバカ呼ばわりされたんだけど。
まあいいや。

>つまり、民法上の契約の履行について、何らかの変更を加えるものではないという理由による。

公的教育機関と18歳未満の生徒との契約があくまで民法ベースだとおっしゃるわけですかにゃ? それはそれは。
学校の運営すべてに教育基本法がかかわるということは理解できてるのかにゃ?
学校運営は教育基本法でなく民法ベースなの? それ本気? そんなに謝るのがいやなの?

トラバの件は了解。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090307/1236365429
児童の権利条約などの条文はこちらに書いた。

>直ぐに退学にせよとは書いた覚えがない。自動的に退学にするんじゃなくて、一定期間請求してどうしても払わない場合でしょう。

ほうほう、少なくとも自動ではないとお認めで。
そりゃそうだよにゃ。例え民法オンリーで考えても、自動的に退学させてよい、になるはずもにゃーもんね。
まあとりあえず了解。

>行政に向かって予算を増やせという議論をすれば良いのであって、学校の現場に場当たり的なサービスを要求するのは筋違い。

誤読。僕は学校に筋違いのサービスを要求した憶えはまるでにゃーのだが。
「バカ親の因果(身勝手)が子どもに報い」を公的教育機関が実行すること、そして、そのような高校の判断を支持したapjなどの論者を批判しているだけ。

>分離できてないのは高校側の運用法の方。契約の主体は生徒になってるし、いろんな補助制度も生徒が主体になるというのタテマエ。それを、保護者主体のように運用しているのは高校側のようだ

その高校の判断を支持したのがapjだよね。

>そこまで社会の側で強制していいのかが問題だと思うけど、地下に眠るMさんは、虐待だと決めてかかっている。ちょっと乱暴すぎるのでは。

親が高校進学を認めなければ高校入学すらできにゃー。
経済力がありながら、いったんガキの希望を認めて払わにゃーのは、実に悪質な嫌がらせにならにゃーかね? 高校生は経済主体として認められてにゃーんだぜ。

> 筋論でいくなら、権利条約からも教育基本法からも「公立高校のように授業料の補助があって、授業料免除の制度もある状況で、故意に授業料を払わない人にまで高校生の権利を保障すべき」というこが導けるかどうかに絞って議論することになる。これについては、そこまでは導けないだろうというのが私の結論ですけど。

だーかーらー
払ってにゃーのは親なの。高校生は払いたくても払えにゃーの。
何度いわせんの?
僕がいっているのは、社会的な取り決めによって無能力者と定められた者の保護なんだよ。

>高校の現場の裁量で対策させるのは変だろうということ。要求する先も内容も違うってこと。

あのね
高校の現場がおかしな裁量をしたこと、および、そのおかしな裁量を肯定する言論を批判しているのだにゃ。そのおかしな裁量が、教育基本法とか児童の権利条約に反していると批判しているんだにゃ。僕は高校におかしな裁量なんて求めてにゃーんだよ。
ただ、親の因果を子に報わせるような真似をするな、といっているだけ。

>教育の理念を拡大解釈して現場に負担を押しつけるのはやめろということに尽きる。

教育の理念をすなおに解釈して、親の因果(身勝手)がガキの人生を損なわないようにしろと言っている。教育現場でカネがらみのくだらん裁量をつかうこと、くだらん裁量を肯定する言論を批判している。さらにいえば、教育現場にカネのことを押しつける行政もおおいに批判したいけどにゃ。
もちろん、払える親からは行政サイドできっちり取り立てるべきだよ。

教育現場において、カネだの契約だのの理屈を優先させることを十代のガキにメッセージとして送ることをチミはよしとするの?
「なんだかんだいって、世の中カネですわ。弱者は何をされても仕方ないね。
 親が悪かったねえ、チミは人生をあきらめな」
と十代のガキにいうわけね。
チミのいっていることって、そういうことだよね。


by apj at 2009-03-42 06:51:42
Re:アホと貧乏は別の話

地下に眠るMさん、

>公的教育機関と18歳未満の生徒との契約があくまで民法ベースだとおっしゃるわけですかにゃ? それはそれは。
>学校の運営すべてに教育基本法がかかわるということは理解できてるのかにゃ?
>学校運営は教育基本法でなく民法ベースなの? それ本気? そんなに謝るのがいやなの?

 学校運営という括りが曖昧だと思います。学校運営と、契約部分は別の話ではないでしょうか。
 授業料を支払うという契約の部分は、他に契約を定めたものがなければ、民法ベースになるという話をしています。どうしてもわからないのでお伺いしたいのですが、授業料の支払いの契約について、教育基本法で民法の契約に関する規定を変更しているのは具体的に何条でしょうか?
 具体的な条文が無ければ、学校現場においては教育基本法が民法の契約に関する規定に優先するという結論は出せないと考えます。

 あともう1点、直前にも質問したのですが、

>ガキを搾取・虐待するのは現実には親が多いから、親の虐待からガキを守るという趣旨の条文があるんだよ。

 に対応するのは何条でしょうか。

>誤読。僕は学校に筋違いのサービスを要求した憶えはまるでにゃーのだが。
>「バカ親の因果(身勝手)が子どもに報い」を公的教育機関が実行すること、そして、そのような高校の判断を支持したapjなどの論者を批判しているだけ。

 つまり、授業料を故意に払わない人にまでサービスせよという課題な要求をすることを肯定しているんですよね。
 私は、まさに、そういう要求をすること自体を批判してるんですよ。

>経済力がありながら、いったんガキの希望を認めて払わにゃーのは、実に悪質な嫌がらせにならにゃーかね? 高校生は経済主体として認められてにゃーんだぜ。

 で、実際には高校が(規則にはない)「卒業証書を渡さない」をやったところ、支払ったわけですよね。親の嫌がらせというよりも、ガキもグルになった踏み倒し作戦のように見えなくもないですね。mた、ガキが支払ってないことを知らなかったとしたら、嫌がらせというより親の怠慢であり(∵ガキは気付いてないから)、「卒業証書を渡さない」でガキに不払いがバレそうになったとたんに、みんな支払ったと……。

 まあ、規則にないことをするのはまずいから、今後はどんどん登学の停止を予告して支払わせるとか、少額訴訟で債務名義をとって強制執行とか、そっちをやった方が良さそうですよね。踏み倒し屋に対しては。

 だから、今回の高校の対応は、規則にないことをしたのがまずかったという理由で批判されるのは仕方がないとしても、教育の理念云々の話ではないでしょう。

 もう一つ訊きたいのですが、一旦高校に通うことに同意したけど、親の方針転換で「やっぱり行かせない」とすることは虐待ですか?中学を終えた後は、各家庭の教育方針で、高校に行くかどうかはオプションですよね。方針転換を嫌がらせとか虐待と呼ぶには無理があると思うのですけど。

 高校に通うことを、子どもの意に反して途中で止めさせたことを親による虐待である、あるいは親による嫌がらせであると認定して何らかの措置をとった例ってあるんですかね。措置までいかなくてもそう認定した例だけでもいいので教えて下さい。でないと、地下に眠るMさんの主張に同意できません。

>教育現場でカネがらみのくだらん裁量をつかうこと、くだらん裁量を肯定する言論を批判している。

  義務教育でもないのに、教育現場だと言えば、カネの話を無視できるというのはおかしいでしょう。義務教育以上はオプションですから。

>教育の理念をすなおに解釈して、親の因果(身勝手)がガキの人生を損なわないようにしろと言っている。

 例の校長のやったことは、規則違反だったけどガキの人生は全く損なってなかったわけですよね。ほとんどの人が慌てて支払ったし、遅れた人が一人いたけど支払って無事卒業。しかも、2年近くの滞納の間、登学の停止もしていなかったらしい。
 ガキの人生が損なわれたケースが一体どこにあるんでしょうか。

>教育現場において、カネだの契約だのの理屈を優先させることを十代のガキにメッセージとして送ることをチミはよしとするの?

 むしろ、社会にでる前に、契約とはどういうモノかを知って出てきてもらいたいです。十代のガキでも、高校性なら(男女差はあるとしても)婚姻すれば成年擬制となって契約の主体になれる年頃ですから、社会における契約について知っておくべきなのは当然でしょう。


by apj at 2009-03-43 07:55:43
ケース分けしてみる

いくつかケース分けしてみます。

(1)親:高校進学不要 子:高校進学したい
・義務教育でもない高校進学をどうするかは、各家庭が決めれば良い。
・高校に行かせないことを虐待と言うのは無理では?

(2)親は子の進学に同意したが、途中で進学不要に方針を変更、よって授業料不払い、子は通学継続を希望
・親の教育方針の変更を虐待とか嫌がらせと呼べるのか。
・中には、嫌がらせ目的でこの手のことをやる親が居るかもしれないが、方針変更の場合と区別が難しいのではないか。
・この場合にまで社会が強制的に「学校に通わせろ」とはできないのでは。
・教育方針の変更ならば、親は不払いではなく退学させるべき。
・退学届けが出されるまでは、授業料の徴収を法的にしなければならないケース。加えて登学の停止や除籍もできる。
・最終的に除籍になったとしても親の方針には合致。

(3)親が踏み倒し目的で故意に不払い、子の学歴には執着あり
・(2)との区別が外見上付きづらいが、ペナルティを与えられることはっきりすれば支払うことが予想される。
・授業料の徴収を法的にすることは可能だし、登学の停止や除籍もできる。
・卒業証書を出さないぞ、で一斉に支払ったケースはもしかしてこれ?

(4)親の経済状態悪化により支払が困難、子は通学を希望
・授業料免除や奨学金の申請など。
・学校が制度の紹介をしたり、相談窓口になるとよい。
・総額が足りなくて援助が行き渡らない場合には、額を増やして援助することを社会で合意するしかない

(5)親の経済状態悪化&親のポリシーで公的な援助を拒否、子は通学を希望
・授業料免除の申請を生徒単独でできるようにすればある程度は解決しそう
・総額が足りなくて援助が行き渡らない場合には、額を増やして援助することを社会で合意するしかない

 全体の解決策としては、
 契約法通りに取り立てをやり、登学の停止や除籍をやった場合
(1)はそもそも契約関係に入ってないので除外。
(2)は親の方針と最終的に合致。
(3)は親がやばいと思ったら慌てて支払うから子に不利益なし
(4)は免除が通れば取り立て対象から外れる。
(5)は生徒単独の申請が通れば取り立て対象から外れる。

 から、(4)と(5)の免除が必要な人に行き渡るだけ用意することと、(5)の単独申請可にする部分を実現しておけば、ペナルティを与える形で授業料の回収をしても、教育の理念云々に引っ掛かってはこないのでは。


by (ぱ) at 2009-03-11 08:35:11
Re:アホと貧乏は別の話

 現状としてこの(1)~(5)のどのパターンが多いのか、または現状モンスターペアレントがわんさかいて規範ぶちこわし状態なのか、といったことは報道からは見えにくいので(小数のモンスターペアレントが大きく報道されたりするので)、現場の人の意見が重要だと思うんですよ。
 apjさんはapjさんで別のところで苦労されたのかもしれませんが、このケースについては現役高校教師の憂鬱亭さんのご意見はもっと重視されるべきではないかと。

 あと、子どもに進学の意思があるのに高校に行かせないのは、十分虐待レベルだと私は思います。つか、apjさん、大学院だかに行こうとしたときご両親にぶつくさ言われたことについて文句言ってませんでしたっけ(記憶違いかも)。


by エディ at 2009-03-58 08:46:58
Re:ケース分けしてみる

生活保護受給世帯の子供でも高校進学は可能な時代ですから(ただし、高校進学率は全国平均97%に対し、生保世帯は81%)、子供が希望しているのに親が高校進学させないのは虐待と言ってよいと思います。


by (ぱ) at 2009-03-30 08:49:30
Re:アホと貧乏は別の話

 ところでいまさらものすごくアホなこと書きますけど、「卒業証書」って何か意味があるものでしたっけ?
 公的にはこれが卒業を証明する証書なのかもしれませんけど、私は高校の卒業証書も大学の卒業証書もおよそどこかに提示した覚えがないんですけど(普通は違うのかな)。
 もちろん高校から大学へは内申書が、大学から会社には成績証明書の類が行っていたはずですが、件の高校が、これらの書類は出していて、ただ卒業証書だけ出すのを渋った、ということなら、ものすごくセコくてくだらない嫌がらせ以上のことではなかったのかも、とも思います。


by にゃ~ん? at 2009-03-57 08:51:57
Re:アホと貧乏は別の話

ただでさえ教育というデリケートな対応の必要な現場での、
「支払い能力のある人間が、支払いもせずにバックようとする」
ことに対する対応のしかたをapjさんなりの考えで提示しているのに、その対案を示さずに罵倒ばかりしているようにしか見えない方もいらっしゃるようですが・・・

公立高校とはいえ何にだって経費は掛かるわけで、
「タダ逃げだろうが生徒には罪は無くかわいそうだ」
と言うダケの方には是非その費用を寄付して頂きたいと思ったりして[:きりりネコ:]

フトドキ者がいる限り、apjさんの提示する方法も仕方ないのではと思う一人であります。

実際、ごね得をしようとしている人間を見ると腹立たしいかぎりだし、正直者がバカを見る状況が助長されるのは嫌だもの・・・[:ぶーネコ:]


by apj at 2009-03-48 09:42:48
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、エディさん、

 高校事情を知っている人と話をしていたら、
・公立高校でも学校によっては授業料免除の対象となる生徒が10%くらいになっているところがある(地域性もあるし学校の性格でそうなることもある)
・払わない人が多数出てくる場合、払えない人は既に免除になっているので、余裕が無いのに払わないという状態ではないか?
といった指摘がありました。
 多分、高校による違いが相当に多いので、憂鬱亭さんが見ているケースが全てではないのではないでしょうか。

それから(ぱ)さん、

>ただ卒業証書だけ出すのを渋った、ということなら、ものすごくセコくてくだらない嫌がらせ以上のことではなかったのかも、とも思います。

 卒業証明書まで含んでいるのかを考えると報道だけからはわかりません。でも、仮に、ものすごくセコい手段が極めて有効であったのだとすると、(3)だった可能性を疑わざるを得ないのですけど……。

 必要な経費を支払わなくても問題無く卒業できちゃった、という情報が保護者の間で共有されたためにトンでもないことになってたケースもあるようです。給食費の例だそうですが、妙に特定の学校でだけ不払いが多いと思ったら、踏み倒しのノウハウが代々語り継がれていたというオチだそうで。


by 田部勝也 at 2009-03-05 10:12:05
Re:アホと貧乏は別の話

>地下に眠るMさん「高校の現場がおかしな裁量をしたこと、および、そのおかしな裁量を肯定する言論を批判しているのだにゃ」

よく分からないのですけど、地下に眠るMさんは、今回の件のような場合、高校の現場はどのような対応をするのが正しいと主張しているのでしょうか。

「教育の理念をすなおに解釈して、親の因果(身勝手)がガキの人生を損なわないようにしろと言っている」のは分かるのですけど、どうすればそれが実現できるのかが、私にはさっぱり分からないわけです。私の乏しい想像力で思いつくあらゆる現実的な対応のなかでも、apjさんの提案は相対的に真剣な検討に値するものだと思うのですよね。
もちろん不満は多々ありますけど、完全無欠な対応もないでしょうから、もしも地下に眠るMさんに具体的な対案があるのならばそれを提示していただきたいし、ないのならばapjさんの提案を叩き台に、具体的に「この点はまずい」「この点は改善の余地がある」といった指摘をしていただくと建設的かと思います。
理念や理想論として地下に眠るMさんの主張を否定している人は誰もいないと思います。その理念や理想論をどう実現するのか・どのレベルまで実現するのかの議論に齟齬があるだけで。


by (ぱ) at 2009-03-11 10:36:11
Re:アホと貧乏は別の話

>多分、高校による違いが相当に多いので、憂鬱亭さんが見ているケースが全てではないのではないでしょうか。

まあ、それはそうでしょうね。

>ものすごくセコい手段が極めて有効であったのだとすると、
これも実態がそうならまあそれだけの話だったろうと思います。

それはさておき、伝わらなかったようなのでもう一度書きますが、
過去のapjさんの、ご自分のご両親との関係に関する主張では、「親が子どもの将来を左右すること」をすごく嫌っていたように見受けられるんですよ。
今の社会において、高校に進学するしないというのは、将来をかなり限定すると思うんですが、こんなレベルで「親が子どもの将来を左右すること」を是とするんでしょうか?


by zorori at 2009-03-11 15:48:11
Re:アホと貧乏は別の話

>エディさん
>生活保護受給世帯の子供でも高校進学は可能な時代ですから(ただし、高校進学率は全国平均97%に対し、生保世帯は81%)、子供が希望しているのに親が高校進学させないのは虐待と言ってよいと思います。

ということは、現代日本では経済的事情で進学できないケースはほとんどないということかもしれません。

結局、apjさんの分類(3)がほとんどではないかと思えるんですね。


by apj at 2009-03-39 21:24:39
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、

>過去のapjさんの、ご自分のご両親との関係に関する主張では、「親が子どもの将来を左右すること」をすごく嫌っていたように見受けられるんですよ。

 あまり個人的なことをネットで書きたくはないのですが、私の場合は家庭の方に事情があるので、私の主張を一般化はできないです。私は既に、高校進学云々どころじゃないほど人生変えられちゃってますんで、高校なんか大した問題じゃない、という話になります。勿論これを一般化できないことは承知していますので、これに基づいた議論はしていません。

 あと、嫌っているのは矛盾する言い分についてだったかと。
 
 勉強しろとか進学せよとか親戚の誰それは大学院まで行って云々、とさんざん言っておいて、いざ私がそうすると、結婚が遅れただの孫の顔がだの言いだしたというネタじゃなかったでしたっけ。
 それなら、勉強しろと言わずに放置しておいて、学力不足で地元の短大あたりしか合格しないように仕向けておけば、卒業して地元で就職して何年かしたら結婚、という、地方都市でよくありそうな人生という展開になったでしょう、という話。
 目先の子供の成績にこだわって先を読まなかったことを後になって愚痴るなという……。


by 法匪 at 2009-03-26 03:03:26
不思議な議論

上の一部の人々が取っているらしい、教育基本法みたいな一般的条文から校長(ないし県立学校)の具体的行為規範と、本件に於けるそれに対する違反を導き出せるという発想がよく理解できない。憲法的な生存権規定(憲法25条)ですら裁量権の著しい逸脱がない限りは裁判規範とはならずプログラム的規定にとどまるわけで。今回の件で、校長に裁量の著しい逸脱がない以上は、生徒に対する措置を教育基本法「違反」だと主張する人はいったい何を考えているのだろうか(何条からどんな行為規範を導いたのだろうか)。なおこの点は、apj氏の主張が基本的には妥当で、憲法を含むこうした一般的法規定は国・地方団体への(少なくとも潜在的には際限のない)請求の根拠とはならない(なると思ってるとしたらまずトンデモ法解釈)。

なお本筋ではないが、親権の一部としての教育権の問題が甘く見られている気がする。義務教育は親の教育権に対する制限なのであって、義務教育外の教育については親の教育権が厳然と存在している。というよりも、義務教育ですら親の教育権に対する制約として場合によっては違憲――或いは憲法規範間の衝突――ですらありうる(アメリカ憲法ならば信教の自由と教育権が組み合わせられて世俗的公教育から自分の子供を切り離しておく親の権利が認められたように→Yoder判決)。私自身も、現在の状況で高校へ通わせないというのは倫理的には権利の濫用にあたると思うけれども、そうした事例が公権力介入の根拠として認められるような法的レベルでの権利濫用だと一概に言えるとは思えない。教育に関わる自由を、親からの子供の自由だと把握して、親から取り上げてでも子供に公教育を課すことを教育の自由の保障だと考えるフランス的な立場に立つというのならそれでも構わないけれど、より露骨に(近代法というものの建前上一人前の主体ではありえない)子供自身に対して――公教育内容の公権的決定などを通じて――国家介入が行われるという事態に対する(しばしば左翼的な)批判と、そうした立場が両立するのか考えてみてもいいはずだと思う。

なお、最低限の行為基準を確保する――法は倫理の最低限――という法の本質的機能からいって、まずは契約関係という私法を通じて学校と生徒の間を規律するというapj氏の方策が適切であるだろうところ、そこでapj氏に向かって立法論が足りない、という批判は議論の要点を見誤っていると思う。その立法がなされるまでの当事者を――倫理的信念の相違に関わらず――共通に規律する最低限の行為基準を提供するのは現行法であって立法論ではない。


by (ぱ) at 2009-03-47 10:47:47
Re:アホと貧乏は別の話

>あまり個人的なことをネットで書きたくはないのですが、

ええと、じゃあ一般的な話として、

本人に進学の意思があるにもかかわらず
「女に教育なんかいらん。さっさと結婚して孫の顔を見せろ(だから高校には行かせてやらん)」
「俺は高校なんか行かずにちゃんと食えてるしお前らを育てた。だから高校なんか贅沢だ」
「高校? そんなものに払う金があったら酒買って来い(ひっく)」

ってのは、apjさん的には「あり」なんでしょうか。個別の事例として考えたとき、apjさん言うところの(1)は、こういうケースぐらいしか思い浮かばないんですが。

法匪さん、
>義務教育は親の教育権に対する制限なのであって、

一応これは理解しているつもりですが、

>私自身も、現在の状況で高校へ通わせないというのは倫理的には権利の濫用にあたると思うけれども

私もこう思います。

田部勝也さん、
>今回の件のような場合、高校の現場はどのような対応をするのが正しいと主張しているのでしょうか。

地下猫さんじゃないですけど、それこそapjさんが別エントリで書いているように、小額訴訟でもすればいいんじゃないです?
そういうエントリを書く法律知識もあるはずのapjさんが、なぜ「親のアホさに子を巻き込む」手段に賛同しているのか、私にはさっぱりわかりません。


by うさぎ林檎 at 2009-03-06 12:32:06
Re:アホと貧乏は別の話

>(ぱ)さん

その小芝居が”一般的な話”ですか?・・・そうですか。
刺激的な表現もキャラだと仰有るなら仕方ありませんが。
説得力は半減するでしょうね。ま、喜ぶ方もいらっしゃるでしょうが。


by (ぱ) at 2009-03-53 12:49:53
Re:アホと貧乏は別の話

>その小芝居が”一般的な話”ですか?・・・そうですか。

なんのこっちゃ。

いったいぜんたい何が「小芝居」なのか、本気でさっぱりわからないので、説明してもらえませんか。


by Enzo Romeo at 2009-03-49 18:13:49
Re:アホと貧乏は別の話

私もうさぎ林檎さんのイメージする(1)親:高校進学不要 の一般的な話としての例を知りたいなぁ。

私は(ぱ)さんの例で何ら問題ないと思いましたが。


by 地下に眠るM at 2009-03-13 18:47:13
Re:アホと貧乏は別の話

長くなったなどの理由で、反論はエントリにしてあげた
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090310/1236631830


by apj at 2009-03-43 20:21:43
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、Enzo Romeoさん、うさぎ林檎さん

 法匪さんの話で議論は尽きているんですよ。だから、(ぱ)さんのような個別の事例を出して、私の判断を問うことには、議論の本筋にとってはほとんど意味が無いんです。

 ちょっと調べてみたのですが、親権というのは相当に強いし、高校に行きたい子供に対して行かせないという判断を親がした場合、子供が法的にそれに逆らうのは現行法では無理なんですね。逆らおうとすると親権の停止を実現しないといけないのだけど、子供に対する仕打ちが刑事責任を問えるようなレベルに達しない限り親権の停止はできないんです。高校に行きたがる子供に行かせない、といった程度では、親権停止の理由にならない。
 そうすると、部分的に親権を制限する制度を作れるか、という話になってきます。
 このことについては、法匪さんのご指摘の通りです。「教育に関わる自由を、親からの子供の自由だと把握して、親から取り上げてでも子供に公教育を課すことを教育の自由の保障だと考える」という立場を日本ではとっていないし、仮ににこの立場を取ったら、今度は「(近代法というものの建前上一人前の主体ではありえない)子供自身に対して公教育内容の公権的決定などを通じて国家介入が行われるという事態」を容認しなければならなくなる。後の方を受け入れないなら前の方を受け入れることはできないんですが、日本では親権を制限しない方で合意しています。

>そういうエントリを書く法律知識もあるはずのapjさんが、なぜ「親のアホさに子を巻き込む」手段に賛同しているのか、私にはさっぱりわかりません。

 議論が錯綜したから論点が見えづらくなってるのですが、よくよく考えてみると、私が当初賛成した手段「卒業証書を渡さない」は、特に「親のアホさに子を巻き込む」手段にはなっていないというか、なりようがないんです。だから、「親のアホさに子を巻き込む」ことが起きると考えて私を批判している人達は、多分幻を批判しているんですよ。

 まず、親が、「高校なんか行かせない」あるいは「除籍になってもいい」という考えの持ち主であるために授業料を払っていない場合について。督促が嫌なら退学させるという手段を親はいつでも取れるわけです。これを止めさせることはできないんですね。少額訴訟をされたところで未払い分を払ってこれ以上の支払拒否=退学、で終わります。とことん払わず、登学停止になってもかまわないしそのうち行われるであろう除籍を待つ、という方針をとったとしても、結果は変わりません。道義的にはともかく、これを法的に止める手段はありません。「巻き込む」も何も、現行法では親にそうすることを許しているんです。

 親が、隙あらばズルをしたいという考え、あるいは単なるずぼらで授業料を払っていないけど、卒業はさせたいと思っている場合について。この場合は、少額訴訟までいけば払うでしょう。「登学禁止」「除籍」を予告しての請求があったら払うかもしれません。「卒業証書を渡さないぞ」をくっつけた請求で現実には支払われました。元の新聞記事の件はこのカテゴリーに属するものであったと推察できます。
 すると、これらの督促手段をとった場合、「親のアホさに子を巻き込」んだ場合の子どもにとっての具体的な損害の内容とは、「プレッシャーをかけた請求が行われていることを子ども自身が知って、一時的に不安を感じたり嫌な思いをする」ということだけに止まりそうです。この程度なら「巻き込む」という理由で第三者が積極的に非難する程の問題ではないでしょう。

 経済的に困難で払えない場合、というのは、既に指摘があったよううに、殆どが授業料免除の対象になっているようですので、ここでは除外します。

 このように考えると、
「親のアホさに子を巻き込むことを後押しするな」
という、聞こえの良い批判が主張している真の内容は
 「子供が高校に通いたいと思っているのに親が難色を示している場合、授業料を払わなくても良いことにせよ」
ということにしかならないんです。
 これを認めてしまったら、授業料を一部負担にして運営するという現行の制度がそのもの崩壊します。

 「親のアホさに子を巻き込む」といった、聞こえだけはいい抽象的な主張がなされると感情的な議論でそちらに引っ張られがちですが、その主張を認めた場合、具体的に何を実現することになるのかまで考えないと、メタな議論で終わるだけではないかと思いました。


by うさぎ林檎 at 2009-03-41 23:15:41
Re:アホと貧乏は別の話

昨日から掛かりきりだった仕事に今やっとけりがついたので。

>(ぱ)さん
台詞とト書きがあるのは「芝居」では?そして小規模なので「小芝居」

>Enzo Romeoさん
従姉妹二人は母親が何とかの証人にはまり、成績優秀にかかわらず高校進学しませんでした(させませんでした)。

以上。それではこれから少しだけ仮眠します。


by はじめまして at 2009-03-39 04:05:39
Re:アホと貧乏は別の話

> 経済的に困難で払えない場合、というのは、既に指摘があったように、殆どが授業料免除の対象になっているようですので、ここでは除外します。

とおっしゃっていますが、以下のような番組がちょうど明日水曜に放送予定なので、ご覧になってはいかがでしょうか。ご参考になるかもしれません。

11(水) 夜7時30分
NHK総合 クローズアップ現代
貧しくて学べない~広がる“高校中退者”~(仮題)

深刻な経済危機の中、家計が貧しいことで学校に通えなくなる子どもが急増している。愛知県の高校では、自動車関連の仕事に就いていた親達が次々と仕事を失い、中退を余儀なくされたり、授業料を払えず高校を続けられるか不安に揺れる生徒が相次いでいる。景気の悪化で顕在化した、”貧しくて学べない”子ども達。社会の格差が広がる中で、すでに深刻な状況となっている。埼玉県内の高校では、入学した生徒の半分近くが卒業までに中退する。中退後の生徒を見守り続ける教師は、背景に貧しさから来る無気力や、将来に希望が持てない刹那的な思いがあるという。中退した子ども達が社会的に孤立し、生活の糧を得るため犯罪組織や風俗業など闇の世界に引き込まれるケースも多いという。親の世代の貧困が、子どもの学ぶ機会を奪い、貧困の再生産につながる社会の歪みを教育の現場から伝える。
http://www.nhk.or.jp/gendai/


by apj at 2009-03-43 05:25:43
情報ありがとうございます

はじめましてさん、
 情報ありがとうございます。
 番組には興味がありますが、テレビを見れる環境にないため、クローズアップの放映分だけ購入する方法が無いと見るのは無理です。

 ただ、経済的な困難により払えない場合と、踏み倒し屋と、親が高校をやめさせる方針を持っている場合は、分けて考えないと混乱するだろうと思います。

 経済的に困難な家庭があったとしても、現場の恣意的判断で支払わないことに目をつぶってよいという結論にはならないと考えますし、法的な回収や規則通りのペナルティを実施することに対して、子どもの権利を振り回して横やりを入れるのもまずいと考えます。

 もし、「温情ある現場の措置」で、授業料を支払わないまま卒業させるという手段をとった場合、入るはずの授業料が入らなくなり、その分の補填は結局どこかでしなければならなくなります。公立高校なら税金で補填するしかないのでしょうが、その補填はつまり支援ということになります。この方法では、誰に支援を与えるかという判断が現場で恣意的に決められることになり、判断する人によって、結果に不公平が生じます。それならば、景気の悪化に応じて授業料免除の枠を増やすよう行政に要求し、公平な基準で困っている人が支援を受けられるようにするのが筋でしょう。

 家庭環境による多少の差は仕方有りませんが、到底挽回不可能なほどの貧困は放置してはいけないと思います。今回の一連の議論で、私が「弱者を救うな」とは決して言ってないということをご理解ください。


by (ぱ) at 2009-03-46 09:45:46
Re:アホと貧乏は別の話

うさぎ林檎さん、
>台詞とト書きがあるのは「芝居」では?そして小規模なので「小芝居」
これは確かにそうでした。この部分を指して「小芝居」と言われていることに私は素で気付かなかったのですが、これは私がまぬけです。

で、私が「一般的な話」と書いたのは、「apjさん個人の話ではなくて」ぐらいの意味でした。これが(1)のケースで「よくある例」なのかは私にはわかりません。ありえないケースではないと思いますが。

>従姉妹二人は母親が何とかの証人にはまり、成績優秀にかかわらず高校進学しませんでした(させませんでした)。

実例ありがとうございます……って、私が出した例なんかより、こちらの方がずっとひどい話に思えるのですが。私の価値観&主観では。


by bonta at 2009-03-59 09:49:59
Re:アホと貧乏は別の話

>apjさん
>具体的に何を実現することになるのかまで考えないと、メタな議論で終わるだけではないかと思いました。

 全くそのとおりだと思います。
「高校生の教育を受ける権利を自分に責任のとりようのない経済的理由で剥奪するのはけしからん」
というのは理念やスローガンとしては良いと思いますが、そのあとに「だからこうしてはどうか」がないとね。
理念を声高にぶつけるばかりでは全く進展の無い議論も、具体的な方策をいろいろと考えれば、意外と落ち着くものです。

 それに、私がずっと読んできた限りではapjさんは「高校生の教育を受ける権利を経済的理由で剥奪して良い」なんて
ぜんぜん言ってないですけどね。
なんだかここでも、にせ科学批判批判のときほど顕著ではないですが、人が言ってもいないことをその人が主張したと思い込み、それに対して反発するということが起こってるような気がします。

 あと私の認識としては、今回の元になった高校の例では、教育を受ける権利は剥奪されておらず(お金を払ってないにもかかわらず授業は全部受けることができた)、
その権利に伴って発生する義務(すなわち対価の支払い)を果たさない者がいてトラブルとなり、
それに対する現場の対応が、うまくできなかったことだと認識しています。
今後はやはり、(悲しいけど)一定の割合で義務を果たそうとしない者が存在するのを織り込み済みの行動指針を
作っておくというのが一番でしょう。その内容はもちろん良く吟味が必要ですが。


by (ぱ) at 2009-03-37 11:57:37
Re:アホと貧乏は別の話

apjさん、
親権ってのは結構強くて親が子どもを高校に行かせなくていいや、と思ったら法的にはどうしようもない、というのは、そうかもしれないと思います。法律には詳しくないのでここに深入りする気はないですが、前回法匪さんのコメントにあった「義務教育は親の教育権に対する制限」ということと、それが中学までだということは理解しているつもりです。

だからこそ、「現在の状況で高校へ通わせないというのは倫理的には権利の濫用にあたる」というところに同意しているのです。

それはさておき、
>「子供が高校に通いたいと思っているのに親が難色を示している場合、授業料を払わなくても良いことにせよ」
ということにしかならないんです。
>これを認めてしまったら、授業料を一部負担にして運営するという現行の制度がそのもの崩壊します。

ここは完全に不同意。実態として、もらえる補助すら受け取らずに滞納する(別の意味での)バカ親がいるというのになぜそんなことになりますか。


by zorori at 2009-03-09 16:16:09
Re:アホと貧乏は別の話

はじめまして さんの情報は気になります。そういう傾向の話は不況の影響か耳にすることがあります。

もし、本当にそういうことだとしたら、日本の社会全体が貧困化しているということですから、教育部門だけレベルの高い福祉や公的支援を望むことは出来ないことになりそうです。私は、今や高校教育も義務教育並に無償化してもよいような時代になっているのだから、授業料未納ぐらいで退学にするなんて時代錯誤も甚だしいという意見もあるのかなと思っていましたが、それとは逆方向になってしまいます。

つまり、高校進学率も下がって、半世紀ほど時代が逆行しているということです。教育だけの問題ではありませんね。


by apj at 2009-03-50 18:43:50
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、

>実態として、もらえる補助すら受け取らずに滞納する(別の意味での)バカ親がいるというのになぜそんなことになりますか。

 (ぱ)さんが仰るケースが何を想定しているかはっきりしませんので、私の結論に反対するなら、ではどういう制度とすべきと考えているのか具体的におっしゃっていただかないと何とも言えません。反対だけして、制度の中身を言っていただけないのでは、検討のしようがありません。

 何が何でも補助をうけとらないという方針を親がとった場合は、ほとんどケース1として考えるしかありません。例えば、生活保護の需給を拒んで、授業料を免除しても、生徒がアルバイトをしないと家計自体が現実的に成り立たない状態になって就学不可能、といったケースを考えています。
 親が意図的に愚行をやることは止められないのですよ。拒む人に対して子どもをタテに社会の側が援助を強制できるかという問題もあります。


by apj at 2009-03-05 18:47:05
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、

>実態として、もらえる補助すら受け取らずに滞納する(別の意味での)バカ親がいるというのになぜそんなことになりますか。

 では、 (ぱ)さんは、どういうことになると考えているのかはっきり書いて下さい。疑問だけ書かれても検討のしようがありません。

  (ぱ)さんが仰るケースが何を想定しているかはっきりしませんので、私の結論に反対するなら、ではどういう制度とすべきと考えているのか具体的におっしゃっていただかないと何とも言えません。反対だけして、制度の中身を言っていただけないのでは、検討のしようがありません。

 何が何でも補助をうけとらないという方針を親がとった場合は、ほとんどケース1として考えるしかありません。例えば、生活保護の受給を拒んで、授業料を免除しても、生徒がアルバイトをしないと家計自体が現実的に成り立たない状態になって就学不可能、といったケースを考えています。
 親が意図的に愚行をやることまでは止められないのですよ。拒む人に対して、子どもに対して義務教育ではない教育を行うように、社会の側が援助を強制できるかという問題になりますので。


by 酔うぞ at 2009-03-47 03:43:47
Re:アホと貧乏は別の話

zorori さん

    もし、本当にそういうことだとしたら、日本の社会全体が貧困化している
    ということですから、教育部門だけレベルの高い福祉や公的支援を望む
    ことは出来ないことになりそうです。

庶民の世論は必ずしもこのような構造になってはいません。
新型インフルエンザのワクチン接種順序について「体力が衰えているから」という理由で、高齢者を優先したら、その高齢層から「子供を優先して、高齢者の優先度を低くしろ」という苦情が出ました
つまり「教育部門だけ高いレベルの支援を受ける」という状況を望むことは大いに許されるべきでしょう。
わたしは、そういう観点で社会人講師を続けています。
大赤字にこそなりませんが、黒字にはならないボランティア活動です。

    私は、今や高校教育も義務教育並に無償化してもよいような時代に
    なっているのだから、授業料未納ぐらいで退学にする
    なんて時代錯誤も甚だしいという意見もあるのかなと思っていましたが、
    それとは逆方向になってしまいます。

授業料が払えないという問題ではないことは、多くの説明があります。
授業用不払いには「払えない」と「払わない」の二つがあることを考慮して議論しないと現実離れした空理空論になってしまいます。
「授業料未納」にフォーカスして議論してはいけない、ということです。

    つまり、高校進学率も下がって、半世紀ほど時代が逆行している
    ということです。教育だけの問題ではありませんね。

全くその通りです。
しかしその理由(原因)がどこにあるのか?は結構見えにくいのが現実です。
「授業料未納」=「貧困」とは言い切れないことこそが「現在の問題」なのだと思います。


by zorori at 2009-03-59 06:05:59
Re:アホと貧乏は別の話

酔うぞさん、

>庶民の世論は必ずしもこのような構造になってはいません。

そうですね。世論はいろいろあると思います。財布が小さくなったら、競争も厳しくなるだろうという程度の意味です。

>「授業料未納」にフォーカスして議論してはいけない、ということです。

どうなんでしょうか?「授業料未納」は焦点のような気が私はしているんです。未納の原因は貧困という説明には私は疑問があって、社会の変化で、制度とモラルがズレてきているんじゃないかという感じなんです。単純にモラルを取り戻せという精神論では解決はできないとも思っています。制度とモラルの両方を変えていかなければならないのじゃないかというか、自然に変わっていかざるを得ないのじゃないかと。

>「授業料未納」=「貧困」とは言い切れないことこそが「現在の問題」なのだと思います。

貧困はどうも眉唾っぽいんですね。(とんでもない思い違いかもしれませんけど)今回の未納者も支払能力はあったようですし。それでも払わないのはモラルハザードだと言ってしまえば簡単ですが、モラルハザードを引き起こすような制度になっているという感じでしょうか。NHK受信料問題と似ているような気がします。受信料は契約に基づいて支払うことになっていますが、全然、双方の合意による自由な契約の形態をなしていないんですね。しかも、放送サービスは垂れ流しでタダ乗り自由ときています。公共放送はみんなの受信料で維持していかなければならないというモラルが無ければこんな仕組みが成り立つとは思えません。双方が合意しなければ成り立たない契約が法律で義務付けられているのも変です。こんなのは契約でも何でもなくて、なんとなく支払うものだという先入観だけで成り立っているだけじゃないかと思うんです。

授業料も似ています。契約という形態をとっていますが、実質上契約による強制力はなくて、何となく授業料は支払うものだというモラルでなりたっていて、しかも経済力のない人は支払わないでよいという暗黙の了解もある。一応、補助とか減免の規定は有るでしょうけど、それらをしゃくし定規に適用するのは非人道的だという雰囲気があるでしょう。だから、ルールを越えた人情的配慮で弱者支援が行われ、その仕事は現場の教師に押し付けられているんじゃないでしょうか。教師の方も、そういう仕事こそ人間教育という教師の仕事の真髄だと思っているから良心的な人ほど背負い込んで、疲弊しているんじゃないでしょうか。もっとドライに割り切らないと教師はつぶされるんじゃないでしょうか。


by zorori at 2009-03-58 06:18:58
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、横から失礼します。

>ここは完全に不同意。実態として、もらえる補助すら受け取らずに滞納する(別の意味での)バカ親がいるというのになぜそんなことになりますか。

1万円の補助を受けて1万円の授業料を払うのも、補助を受けずに1万円払わないのも運営側の負担は同じ事だということでしょうか?

そういうことだとしたら確かに、補助を受けてしかるべき家庭だけを考えればそうですが、影響は補助不要の家庭にまで及ぶと思います。なぜなら、授業料を払わないで良いとするルールが決められませんから。主旨からすれば補助を受けられるような低所得者というルールになるはずですが、そういう認定をされるのが格好悪いという変なプライドがあるから補助を受けないというわけでしょう。ですから、そういうルールを作り所得証明を提出させるということは出来ません。そうなりますと、補助など不要の家庭も授業料を払わなくなることは必至です。大阪のおばちゃんじゃありませんが「みんな駐車しているやん、なんでウチだけ取り締まるんねん」となるのは現実が示しています。

一番の問題は、ルール無視を公認すると言うことです。でも全ての家庭の未納を認めると学校運営は破綻しますから、現場の教師にルールに定められない選別作業が押しつけられる事になります。この作業を「杓子定規ではない人情ある融通性に富む運用」ときれい事のように言うことが出来るのは、ルールに代わるモラルが働いていて、苦情を言う保護者がいない場合のみだと思います。現実はそのモラルが変質していて未納問題が起きているのですから、「なぜ、ウチは未納を認めないんだ」と苦情が殺到して大混乱じゃないでしょうか。今までは、一応、未納は悪いことという意識があったかもしれませんが、未納が公認され、しかも未納資格者の判断は現場任せですからね。そして、教師はますます疲弊するわけですよ。

それと、もらえる補助すら受け取らずに滞納する保護者って、そんなにいるんでしょうかね?補助を受け取らないような保護者はきっちり授業料は納めるんじゃないかと。今回の未納者も支払い能力は有ったようだし。


by エディ at 2009-03-27 10:09:27
Re:アホと貧乏は別の話

>今回の未納者も支払い能力は有ったようだし。

カネが手元にあったので払ったのか、借金して払ったのかまでは判りませんよね。


by (ぱ) at 2009-03-45 10:16:45
Re:アホと貧乏は別の話

apjさん、zororiさん
>ではどういう制度とすべきと考えているのか具体的におっしゃっていただかないと何とも言えません。

どういう制度とすべきかとかそういう話はそもそもしてないんですが。

>>これを認めてしまったら、授業料を一部負担にして運営するという現行の制度がそのもの崩壊します。

これについて、そうはならんだろう、とだけ言っています。
制度に抜け道があれば、そこを突いて小金を節約しようと考える不心得者は、いないかといえばそりゃいるでしょう。でもそういう人が「現行の制度が崩壊」するほどたくさんいるかという話です。
恥も外聞もプライドもなく目先の小金を最優先する人ばかりなら、そうなるかもしれません。でもそんなばかりではないでしょう。もらえる公的補助をもらわない人、というのは、目先の小金を最優先していない例として挙げました。

「モラルが変質」しているのか、モンスターペアレントが本当に増えているのか、そんなことは報道からではほとんど何もわからないでしょう。だから「現場の人の意見を尊重すべきでは?」ということを前に書きました。もちろん高校によって差があるだろうことは認めつつ。


by apj at 2009-03-45 10:33:45
Re:アホと貧乏は別の話

>でもそういう人が「現行の制度が崩壊」するほどたくさんいるかという話です。

 居る、という想定のもとに制度を作らないとうまく回らないと思います。


by 地下に眠るM at 2009-03-06 12:04:06
Re:アホと貧乏は別の話

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090312/1236794529

先日もエントリをリンクして反論したのですが、お返事をいただけませんでしたにゃ。

今回、apjのコメントのひとつを検討し、その欺瞞性と非論理を徹底的に明らかにし、その論点をほぼすべてすりつぶしたと自負するエントリをあげましたのでリンクしておきますにゃー。

こちらからの反論が必要になったら、原則としてエントリをあげてそちらに周知するつもり


by bonta at 2009-03-33 17:59:33
Re:アホと貧乏は別の話

>>今回の未納者も支払い能力は有ったようだし。

>カネが手元にあったので払ったのか、借金して払ったのかまでは判りませんよね。

横からすみません。
それはその通りですが、それを言うならば今回の65人以外の、最初からきっちりと授業料を納めている大多数の人も全員が手元にあったので払ったのかどうかは判りません。
困窮している人を助ける方策は大切で必要ですが、方法を間違えてその方策が社会的ルールを守っている人の努力を踏みにじる方一面を持つのは問題であると考えます。


by apj at 2009-03-19 18:57:19
Re:アホと貧乏は別の話

地下に眠るMさん、

 自負するのは自由ですので、どうぞご自由になさってください。
 ただ、トンデモ法解釈に基づいた議論によって欺瞞だの非論理だのを主張しても有効とは思えません。こちらはこちらで、現行法に基づいた議論によって議論の精度を上げてきておりますし、すでに大体の結論が出ています。


by zorori at 2009-03-26 05:43:26
Re:アホと貧乏は別の話

(ぱ)さん、
>「モラルが変質」しているのか、モンスターペアレントが本当に増えているのか、そんなことは報道からではほとんど何もわからないでしょう。だから「現場の人の意見を尊重すべきでは?」ということを前に書きました。

それを言っちゃあ、議論不要ということになります。部外者が知らない事情があって判断は無理なので、現場の人間で処理します、といわれれば口出しはしません。でも、現場の人も困っているように見えますし、社会全体つまり自分の問題でも有ると思うから意見を書いているのです。

知っている範囲で書くしかありませんし、現場の方から、情報提供があれば、それに基づいて考え直します。

今回の学校の対応が拙かっただけで、そんなことをしなければ問題は無かったというのではなく、現場は未納問題で困っているのですよね。なので、apjさんが現行の一部自己負担制度の範囲内で考えた提案をされた訳です。現行の制度の根拠として親権と教育を受ける権利の関係も説明されました。それに加え、一部自己負担では経済的事情やバカ親のエゴで教育を受けられない子供が出てくるので、それも救いたいというのなら現行制度を変えて無償とする必要があるとも。

それに対して、現場の感覚としては全ての子供に教育を与えるべきだという意見であったように思います。そうすると、現行制度改革を気長に目指すということになります。それで議論は尽きたんじゃ無いでしょうか。別に意見の対立点は有りません。どちらの方針がよいかについてはapjさんは述べていませんから。

ところがですね、現場の方は、そんな制度を変えるなんて悠長なことは言っていられない。現行制度の中で、さらには現場の教師の努力で解決することは出来ないだろうかと悩んでいるように見えるんです。しかも、契約を盾にした取り立てなんかしたくないと、なかなか厳しい条件付きです。

で、私はそれは矛盾した要望で無理だし、現場でそんな矛盾を背負い込むような事はしない方が良いという意見です。もし無理ではないという人がいれば、その人が方策を提案されれば良いでしょう。それが納得行くものであれば私は自分の意見を撤回して落着です。

要するに、現場から名案が提案されているのなら、現場の人の意見を尊重しますけど、現場も名案が無くて困っているんですよね。解決の条件も尊重せよと言われたら、その条件では私も名案は有りませんと答えるしかないのです。


by zorori at 2009-03-25 05:44:25
Re:アホと貧乏は別の話

エディさん、
>カネが手元にあったので払ったのか、借金して払ったのかまでは判りませんよね。

その通りかもしれませんが、そうだとしても子供には証書が渡されたのだから良いのではないかと。
保護者の方は困った事になるのかもしれませんが、親にペナルティが科せられることに異論は無かったと思います。

子供に被害が及ぶことを心配する向きが有ったわけですが、そうはならなかったわけです。


by 摂津国人 at 2009-03-57 06:01:57
細かい事ですが。

zororiさん
>子供に被害が及ぶことを心配する向きが有ったわけですが、そうはならなかったわけです。

 子供が自分で働くか借金をした可能性も有りますね。
 それはそれで「被害」とはいえず別に悪い事でもないですが。
 


by zorori at 2009-03-40 06:27:40
公平性に欠けるんじゃないでしょうか?

摂津国人さん、

>子供が自分で働くか借金をした可能性も有りますね。
 それはそれで「被害」とはいえず別に悪い事でもないですが。

なるほど、そこまでは気づきませんでした。
ちゃんと授業料を払っている高校生に中には、バイトで学費を稼いだり、親が借金して入学した人もいるかもしれません。踏み倒し確信犯から取り立てて、やっとそういう高校生や保護者とバランスがとれるとも考えられます。

逆に、踏み倒し確信犯に配慮してあげるなら、そのような人にも授業料を返却すべきかもしれません。


by 摂津国人 at 2009-03-41 07:04:41
Re:公平性に欠けるんじゃないでしょうか?

zororiさん
 もしかして誤解されているかもしれませんが、私の主張は「公立高校がアルバイトを禁止する校則を作る場合も多くある以上、支払う権利を否定されている生徒にまず先にペナルティを科すのはやりすぎだ」です。

 踏み倒し確信犯に配慮した事は一度もありません。
 
 私の事を「公平性に欠ける」と言われたのではなければ申し訳ございません。


by 田部勝也 at 2009-03-00 09:58:00
Re:アホと貧乏は別の話

いろんな人のコメントに考えれば考えるほど、自分の知識のなさ・頭の悪さ加減に、泣きそうです。

上ではじめましてさんが紹介された「クローズアップ現代・貧しくて学べない」(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0903-2.html#wed
を見ました。現実は、私のこれまでの認識とはかなり乖離があったようです。番組が真実を映しているのだとしたら、はっきり言ってこの国は(地下に眠るMさんの言葉を借りれば)すでに「ニンゲンの社会」ではない。「ゴネ得したがるアホ親」は決して一部の不心得者の話ではなく、日本人のほとんどが「アホ親」だという事です。
――けど、その話は置いておいて、番組を見て、自分の体験・実感として思い出した事を書いておきます。

亀@渋研Xさんのところにも書いた事ですけど、経済的苦境にある家庭に対しては、教員が様々な奨学金制度や授業料免除制度などを紹介し事務的にも窓口となって対処していました。ある学校では原則アルバイト禁止でしたが、経済的理由でアルバイトをしている子は何人もいましたし、そういう子に対して学校側がアルバイト先を斡旋してさえいました。このように学校・教員は、子どもたちが経済的に苦しくても何とか学校に通い続ける事のできるようにいろいろな対策を講じるわけですけど、まず何よりも最初にしなければならない事があるんです(一般的にそうなのかどうかは分かりませんが、少なくとも私の実感として)。

それは、その子どもに「学校に通い続けたい」と強く思わせる事です。
多くの場合、貧しい家の子どもたちは、そこまでして学校に行こうとは思わないんです(あくまで個人的な実感です)。番組の使った表現で言えば「学ぶ意欲をなくす」んですね。
家庭の経済状況と子どもの「学ぶ意欲」にはある程度相関関係があるんじゃないかと馬鹿げた妄想を思う事すらあります。集団の傾向としてもそうだし、一人の子どもが家庭の経済状況の変化によって「学ぶ意欲」がどう変化するのかを調べてみても、そうなるんじゃないか……なんて、ほとんど陰謀論なみの妄想に取り憑かれる事もありました。
なんというか、ちょっと前までなら、家が貧しくなっても、いや貧しくなったからこそ、なおさら一生懸命勉強して立身出世を――とか思い描くのでしょうけど、どうも今の多くの子どもは、そういう思考回路ではないようなんです。だから意外なほどあっさりと退学を選ぶ(幸い私の教え子で本当に最終的に退学してしまった子はいませんでしたけど)。
どうして今の子どもたちがそのような思考回路を持つようになってしまったのか……という点については、いろいろ思う事もありますけど、法学も倫理学も歴史学もまったく知らない人間なんで、当てずっぽうでいい加減な事を言って顰蹙を買うのはもう控えます(一番ありそうな理由は、そもそも子どもたちに通い続けたいと思わせるような授業や場所を、私が提供できていなかったという事でしょうしね)。

そんな事を思い出しながら「“親がアホ”のツケは子どもに回って当然なのか」を考えていたら、本当に泣きそうになりました。自分の無知と馬鹿さ加減に。
たとえば、自分の教え子の親が『巨人の星』の星一徹だったら教員や学校や社会はどうすべきなのかとか、何ができて何ができないのかとか。逆に、過保護で子どもの言いなり、欲しがるモノは何でも揃えてあげて何でも叶えてあげるような親に対して、教員や学校や社会はどうすべきなのかとか、何ができて何ができないのかとか。自分の人生の気に入らない部分をぜんぶ「“親がアホ”のツケ」だと詭弁を弄する事だって、ちょっと頭の良い子どもならいくらでも出来そうとか、そういう子どもに対して教員や学校や社会はどうすべきなのかとか、何ができて何ができないのかとか。
少なくとも、自分が(地下に眠るMさんの言う)「大人」でも「ニンゲン」でもない事だけは理解できたんで、良かったのかも知れません。


by zorori at 2009-03-25 15:57:25
Re:アホと貧乏は別の話

摂津国人さん、

もちろん、摂津国人さんのことを「公平性に欠ける」と書いたのではありません。誤解を招く表現で申し訳ありません。

bontaさんが書かれていることと、同じでした。


by 酔うぞ at 2009-03-10 18:10:10
極めて複雑です

田部勝也さん

社会人講師として、かなりすごい学校まで行っています。
3年間で生徒の1/3が退学してしまうといったところにも行ったことがあります。

最長では1年間、半期の授業を受け持ったりしますが、最初は「退学者が出たら」とか気にしていました。
しかし、現実は少なくともわれわれ社会人講師には個々の生徒の事情を知ってもどうにもなりません。

さらに、意外なほどややこしいのは、親を含めた生徒を取り囲む環境が学校ごとにバラバラという点です。
一言で言えば校風なのですが、隣の学校と全然違っているモノです。
これは小学校ですら、顕著に見られる点で、この事を理解してからは、事前に得られる情報である偏差値とか進学状況といったモノだけでは判断しないようになりました。

わたしが学校の荒れ方について説明するときに「許せる散らかりと許せないきれいさが学校にはある」と言っています。聞いた人は「どういうこと??」となりますが。

生徒の昇降口(げた箱のあるところ)あたりを注意して見るようにしていますが、学校によって思い切り違いが出てきます。

正直な話が「こいつらはこの先社会に溶け込めるのか?」ということがわたしの心配する最大の問題点であって、これは偏差値には比例していません。
偏差値が優秀でも「こんな高校生は社会は受け入れない」と断言できる学校に行ったこともあります。
その逆に「なんで君らはこんな成績が悪いのだ?」と思ってしまう学校もあります。

そして、退学者の事情は直接には分かりませんが、いろいろな理由があって、大きな要因としては親が離婚家庭である場合はよく話に出てきます。

実際に、親が離婚家庭である割合は、成績不良の学校には多いようで、その中に経済的困難がある、となるわけですが、もちろん個々の家庭の事情が「経済的困難」だけに集約するはずもなく、家庭から脱出したいという生徒も少なくないようです。
こんな点を見ていますと、原因の原因の原因は・・・・となってしまって、われわれにできることは「あの授業は記憶に残る面白い経験であった」と思ってくれることだろうと考えてやっています。


by zorori at 2009-03-30 00:01:30
子供中心の意味

田部勝也さん

>それは、その子どもに「学校に通い続けたい」と強く思わせる事です。

それは、つまり子供の教育の需要家は大人であるということですよね。もし、子供の求めに応じて教育サービスを大人がしているだけならば、意欲を無くした子供を励ますことは、子供の意思を無視した、中途解約を認めない押し売りですから、できないことになります。

そして、今の高校教育制度では、需要家の大人とは親ということになると思います。学校や教師は親から依頼を受ける立場でしょうから、アホな親のツケが子供に回るのは致し方ない面があるんじゃ無いでしょうか。児童虐待のような限度を超えない限り、国や学校は親に干渉できないのでしょう。タテマエでは。

しかし、教育関係者には親をすっ飛ばして、学校が直接、子供に教育をするという公教育の意識が強いように思います。義務教育に近い感覚ではないでしょうか。親や子供が望まなくても、子供のためには教育をすべきであるという公共(国家)の意思
が優先しているのだと思います。

こういう意識のズレが、釈然としない理由かもしれません。


by エディ at 2009-03-48 01:35:48
Re:アホと貧乏は別の話

>しかし、教育関係者には親をすっ飛ばして、学校が直接、子供に教育をするという公教育の意識が強いように思います。義務教育に近い感覚ではないでしょうか。親や子供が望まなくても、子供のためには教育をすべきであるという公共(国家)の意思が優先しているのだと思います。

高校・大学も「公教育」であって、義務教育(小中学校)だけが公教育ではありません。

教育基本法
第六条 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

学校教育法
第一条  この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。

>こういう意識のズレが、釈然としない理由かもしれません。

「子どもに教育を受けさせること」の恩恵は(子ども本人やその親だけが受けるだけではなく)社会全体が受けるものであるという視点が、教育関係者以外に抜け落ちているように思います。

地下猫さんのエントリに対するbuyobuyoさんのブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090310/1236631830
>そもそも公教育において一番のフリーライダーは企業(特に法人税納めてない連中)だと何度言えば。教育の「受益者負担」なんざ妄想。/ 日本の「質の高い労働者」幻想が完全に崩壊するまで気がつかないのかなあ。

も、そのことに関連していると思いますし、永山則夫の再来は誰も望まないはずです。


by apj at 2009-03-26 02:22:26
Re:アホと貧乏は別の話

エディさん、

>「子どもに教育を受けさせること」の恩恵は(子ども本人やその親だけが受けるだけではなく)社会全体が受けるものであるという視点

 だから、小中を義務教育にしているわけで、そういう視点はとっくに社会の側は持っていたはず。でも、いつまでもどこまでも義務教育というわけにはいかないから、高校以上は義務ではない、というところで分けている。
 それでも、教育は社会全体のためになるから補助はする、という形でやっているわけで。

 ただ、産業界をみていると、従来の「質の高い労働者」は、これまで通りには要らないという方向に進んでいるように見えます。製造部門は海外に移転させて、日本には、数少ない知識労働者とか幹部候補生が居ればいいと思っているのではないかと。そうでない人は単純作業に従事すれば良いし、労働の質を気にしなくても仕事が回るよな仕組みを作ればいい、というふうに見えます。企業が必要なのは、労働者の質が低くてもばらついていても仕事が回るような手順やら方法やらを作れる人材だ、と。
 私の杞憂ならいいんですが、もし、企業が本当にこの方向に進んでいるとしたら、質の高い労働者幻想に企業はもう期待していないかもしれないなあ、と思ったりもします。


by エディ at 2009-03-04 02:53:04
Re:アホと貧乏は別の話

>だから、小中を義務教育にしているわけで、そういう視点はとっくに社会の側は持っていたはず。でも、いつまでもどこまでも義務教育というわけにはいかないから、高校以上は義務ではない、というところで分けている。
>それでも、教育は社会全体のためになるから補助はする、という形でやっているわけで。

義務教育ではないが、高校進学率は97%ですし、ほぼ単線の学制と言っていいですよね。高校進学しなくてもメリットがある社会であるならば理解できますが。

また日本の公財政教育支出の対GDP比はデータが存在するOECD加盟国(28カ国)で最低ですし、一般政府総支出に占める公財政教育支出の割合もOECD平均を下回り、データが存在する加盟国の中ではイタリアに次いで2番目に低いですので、その補助がいかに少ないか。だから日本は親の教育費負担が大きいということです(少子化にも影響している)。


by zorori at 2009-03-08 05:04:08
Re:アホと貧乏は別の話

エディさん、

高校以上は公教育と私的教育の両面があって、そのどちらを重視するかで意識のズレがあるんじゃないかと書いたつもりでして、高校は公教育ではないとは思っていませんよ。

一部自己負担の現行制度と全額税金負担のどちらがいいとか悪いという話はしていません。
未納を認める自己負担制度はあり得ないといっているだけです。
現行の低所得者への補助が足りないというのなら、制度を変える努力をすべきで、未納を認めるというのは一般的方策としてあり得ないでしょう。個別の事情で特別の計らいをするというのは有っても、それは例外でしょう。

ついでに、

>地下猫さんのエントリに対するbuyobuyoさんのブコメ
link here
>そもそも公教育において一番のフリーライダーは企業(特に法人税納めてない連中)だと何度言えば。教育の「受益者負担」なんざ妄想。/ 日本の「質の高い労働者」幻想が完全に崩壊するまで気がつかないのかなあ。

この種のことは、学生運動の名残のあった私の学生時代によく聞きました。それを思い出して、別エントリーに「寺子屋の時代から、明治以降の軍隊式教育まで、大人社会の要請に合う人間を作るために教育は行われたわけでした。」とコメントした次第です。それはそうとして、フリーライダーが現われるのは、所得を税金という迂回手段で再分配する公教育の場合ですから、100%受益者負担にすれば、そういうことは起きませんね。でも、「受益者負担なんざ妄想」とあるので、どうも意味が分かりません。


by 酔うぞ at 2009-03-49 17:40:49
整理できない

apj さん

    それでも、教育は社会全体のためになるから補助はする、
    という形でやっているわけで。
    
    ただ、産業界をみていると、従来の「質の高い労働者」は、
    これまで通りには要らないという方向に進んでいるように見えます。
    製造部門は海外に移転させて、日本には、数少ない知識労働者とか
    幹部候補生が居ればいいと思っているのではないかと。
    そうでない人は単純作業に従事すれば良いし、労働の質を気にしなくても
    仕事が回るよな仕組みを作ればいい、というふうに見えます。
    企業が必要なのは、労働者の質が低くてもばらついていても
    仕事が回るような手順やら方法やらを作れる人材だ、と。
    私の杞憂ならいいんですが、もし、企業が本当にこの方向に進んでいる
    としたら、質の高い労働者幻想に企業はもう期待していないかもしれないなあ、
    と思ったりもします。

どうコメントしようかと思ってちょっと時間をおきました。

このスレッド全体として「親と子供」「学校と子供」といったように二者の関係が論点に上がっていますが、ほとんどの場合どちらかは変わらないという前提で論じることになります。
「学校のやっていることは以前と変わっていないが、授業料不払いが増えた」といった具合ですね。

そこで、apj さんの書かれた「教育は社会全体のためになるから補助はする」というのは、基本的に正しいのだけれどもこの意見に対して、「了解」してその後、何も考えないでよいのでしょうか?というと「違いますよ」という意見を有力な高校の先生から聞いてびっくりしたことがありました。

その先生は「高校に社会治安の機能を持たせることになる」とおっしゃいました。

成績不良の10代の若者が、高校から追い出されたら行くところがない、というのです。
就職に必要な最低限の学力がありませんし、社会とうまくやる能力もありません。社会の仕組み、自分の将来像といった判断力もありません。
本当に行くところがない若者がある程度の数は居ます。

では彼らを公立高校が追い出したらどうなるでしょうか?
治安問題になる、とその先生はおっしゃいました。
だから、公立高校に社会治安のために行き場のない若者を社会に放り出さないための機能が必要になったのだ、と言うのです。

これを聞いたときには、一方で納得しつつ、片方では公立高校がかかわってなんとかなる話なのでしょうか?とも思いました。
一番の問題は、そのような若者を高校に引き止めておいて、やがては卒業したときに多少は改善されるのでしょうか?です。
高校生ぐらいの時期には人はずいぶん変化するわけで、多くの場合は年齢が上がれば落ち着きを取り戻すとか、ちょっと立ち止まって判断するようになりますから、一時期を高校に引き止めておくというのも有効なのだろう、と考えています。

この話は、一例であって、最初に述べたように二者関係を論じるときにも両方を動かしてしまうと、わけが分からなくなるから、片方を固定して考えるのですが、社会そのものが大きく変化しているわけで、「社会のために補助する」との意見ですら「社会秩序のために積極的に投資する」、と言い換える事が必要との見方もあり得る、と言いたいのです。


by 摂津国人 at 2009-03-16 23:24:16
役に立つかどうかわかりませんが

 現行の法律や制度の話は一段落付いたみたいな気もしますので。

 この後話題にされるなら政策や予算の話になるかもしれないのでデータを。

 文部科学省に「高等学校中途退学等」が有りました。
 最新は(5)高等学校中途退学
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200701/002/002/003.htm
 長期の推移等はhttp://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/12/021215f.htm
 地域差の方が大きく、それほどの変化は無いようにも見えます。

 ”社会実情データ図録”より「教育・文化」
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/index_list.html#教育
>高校・大学進学率の推移
>大学進学率の国際比較
>大学退学率(中退率)の国際比較
>学校教育費の対GDP比(国際比較)
 などがあります。

 出来れば授業料未納率(及び額)の最低30年位のまともなデータや、県毎の統計がほしいところです。

 「報道」のみに過剰反応しても良くない気がします。


by 酔うぞ at 2009-03-16 23:28:16
re:役に立つかどうかわかりませんが

わたしも給食費未払い問題の報道について、書きましたが、報道がけっこう針小棒大的なところがありますし、注意して読まないといけないですね。


by 地下に眠るM at 2009-03-38 21:39:38
Re:アホと貧乏は別の話

おそくなったが反論をリンクする
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090320/1237520270
逃げることは予想していた。それがapjの仕様であろう。


by apj at 2009-03-55 22:47:55
Re:アホと貧乏は別の話

>逃げることは予想していた。それがapjの仕様であろう。

 「逃げた」ことにでもしないと、地下に眠るMにとって都合が悪いのであろう。

 本音を言えば、専門外の法学について、私が地下に眠るMに講義してやる理由はないし、そんな手間をかける値打ちもないということだ。

 まあ、今回の地下に眠るMのやっていることは、科学でいえば、教科書も読まず内容も知らないままにニセ科学批判をするというのと同じようなことだと思えば良い。ジャンルが法学だから目立たないと思っているのかもしれないが……。どっこい文系分野にだって、スタンダードな考え方の枠組みというものは存在する。