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品質管理に哲学や思想性を求められても困る

Posted on 4月 17th, 2009 in 倉庫 by apj

 疑似科学批判批判批判批判への言及。
 poohさんのところでも「スタンス」というエントリーが上がっている。これ経由で少し考えてみた。

 言及先は、mzsmsの雑記「疑似科学批判・批判」をきっかけにして起きた議論について、mzsmsさんの立場からの意見である。

 mizusumashiさんの主張を端的に言えば、「ニセ科学批判は論理実証主義者に志の高さを感じる自分にとって物足りなく感じられる」という事を言っているだけだ(詳細は本文を読んでください)。

 それはわかるのだけど、論理実証主義と比べるような内容がニセ科学批判に含まれているか?というと多分無いだろう。ニセ科学批判は、科学の側からのちょっと広い意味での品質管理の1つだから。
 供給側(=科学者)以外がニセ科学批判をするケースについては、消費者側が生活の知恵として粗悪品に注意という情報を共有する活動をしている、というのと同じになる。以下、供給サイドについて書いたけど、消費者側が自発的に同じ行動をとることもあるので、それも含めてほしい。

 例えば、きちんと火をつけられるマッチと、ろくに火がつかない粗悪品のマッチが両方市場に出回っていたら、まともな製品を作っている企業は、粗悪品が出回っていることに対して何らかの対策をとるだろう。最後まで使えるエンピツと、使っていると芯が折れやすくて大部分が無駄になるエンピツの両方が市場に出回っていたら、いい製品を作っている側が、消費者に対して注意喚起をしたりするんじゃないかな。
 ニセ科学批判って、いい方の製品を作っている会社が、「業界団体を作って品質向上に努め、業界として品質検査の基準を決め、検査に合格した品質保証のある製品にはこのマークやシールを貼ることにしました」とか「よく似た粗悪品に注意!ココが違います」といった宣伝をするのと同じ事をしているだけだろう。そういう行為って、かなり実用的なところから出てきたもので、そもそも論理実証主義者の主張や姿勢と比較する対象になるとは思えないのだけど。

 「ニセ科学批判」という先鋭的な概念に、あえて古典のような「論理実証主義者」を比較し、しかも「論理実証主義者」が勝っている、と評価するのは非常に面白い観点だし、話の組み立ても筋が通っていると思う。

 そんな比較が成立可能な内容がニセ科学批判に含まれていたっけか?と、ポカーンなんだけど。TQCに取り組んでたら、論理実証主義者と比べて劣っている、と批判されたというか。
 粗悪品が出回ってて放置しておくと業界の信用が落ちそうだから何とかしましょう、ってな話は、尖鋭でも何でもない、昔からあった話ではないかと。たまたま、「商品」の内容が科学だから目新しいというだけであって。

 「排斥しようとしている側が、排斥の対象を決める線を自分で引いている」と言うのは一つの事実であり、それをしてmizusumashiさんのように「セクショナリズム」を感じる人がいて当然だと思う。
 何より“そこだけを見れば”まさに「セクショナリズム」そのものだったりするし、“どこを見れば”「セクショナリズム」でない事が分かるのか、分からないのだ。

 粗悪品に注意、という宣伝をする供給側の行為って「セクショナリズム」なのか?あるいは、消費者側が「この製品は要注意」とお互いに注意しあう行為は?私には、この状況で「セクショナリズム」を持ち出すことそのものが理解できない。

 ...疑似科学批判の方々は、「何くだらんことをネチネチ問題にしているんだ」と思うかもしれないが、私だって重箱のスミをほじってまでケチ付けたいのではなく、私も本気でどう捉えて良いのかわからなくて迷っているのである。

 私の方は、「セクショナリズム」が成立するための条件がわからなくて困っている。誰か教えてほしい。確かに、「セクショナリズム」というのは、お役所の縦割り行政の弊害とかタコツボ化みたいなネガティブイメージを伴う言葉だけど、そう言われて不快を感じる以前に、理解ができない。
 折れまくるエンピツや火の付かないマッチが出回っていることに供給側からクレームを付ける行為を「セクショナリズム」と呼ぶ、という主張なのだろうか。私には、こういう場合の供給側の粗悪品排除の対応が「セクショナリズム」と呼ぶべきものとは思えない(が、これは私の言葉の理解が不足しているからかもしれない)。消費者側から「粗悪品が混じっている」と指摘することについても、やっぱりセクショナリズムとは呼ばないと思う。ともかく、今は、一体何をやると「セクショナリズム」になるのかがわからない。

 もしかして、mizusumashiさんは、ニセ科学批判には枠組みがあるという壮大な誤解に基づいて、論理実証主義と比較可能だという前提のもとに論じてしまったということではないの?

 Judgementさんの質問に対する私の答えを書いてみる。

「ニセ科学批判」とは何か?

 上に例として出した、火の付かないマッチや芯が折れまくるエンピツが市場に出回っているのを、良質な製品を供給できるメーカーが改善しようとする行為である。あるいは、消費者が粗悪品をつかまされないよう自衛するために情報を共有しようとする行為である。但し、この場合の製品は、マッチやエンピツではなく科学である。

何か目的があるのか?誰を対象にアナウンスしているのか?

 供給側の市場における品質の管理を全うする目的。健全な市場を生み出すために、品質管理能力のあるメーカーが他社製の粗悪品を排除するための活動をするのと同じ。消費者が自発的にやることもある。アナウンスの対象は、商品のユーザー。

ニセ科学批判者が「ニセ科学批判では」と語る文脈において、何を想定しているのか?

 個別の人達がそれぞれ想定している「ニセ科学」と「批判」。

「ニセ科学批判」として包括して捉える事がいいのか悪いのか?

「ニセ科学」は「科学を装うが科学でないもの」という定義で大体足りているので、包括は可能。「批判」の方は行為を指すから、包括できるとしても「単に批判的な言論がある」という以上のことは言えない。「批判」という単語が最初から含んでいる意味よりも絞るのは多分無理。

【追加分】

 「一派とみなすのは全くの間違い“という事にしたい”」というニセ科学批判側の欲求を察する事はできるけれど、これはあまりにも一方的ではないだろうか。

 というよりも、「ニセ科学批判批判」側が書いている内容を見て、「私にはあてはまらない」と思う度に、毎回毎回毎回毎回「違うスタンスの人がここに居ますよ」と議論しにいくのは、はっきり言って手間がかかるし面倒くさい。説明しにいくことが必要ならばサボるつもりはないけれど、「ニセ科学批判まとめ」を見た結果、ニセ科学批判一派の存在を仮定した議論は無意味だとわかってくれる人が出てくれば、それだけでも、「違うスタンスの人がここに居ますよ」をやる回数が減る。その分、他のことに労力を使える。

 また、主な「動機」として、「ウソはいけない」、「結局損をするからやめよう」、「科学の発展を妨げる」、「社会が住み難くなるのは嫌だ」、「間違いが広まっているので,間違いを指摘しましたが何か?」等が挙げられている。

 確かに動機は人それぞれだ、しかし、その動機と「ニセ科学批判」を組み合わせなくてはならない理由が、私には見えない。
 挙げられた動機の幾つかは私だって持っている。その上でやっているのが、「ABOFAN批判」だ。同じように、「水伝批判」、「マイナスイオン批判」でいいんじゃないのだろうか?

 何故「ニセ科学批判」としなくてはならないのだろう?

 というよりも、個別の人達がやっているのはどこまでいっても、「水伝批判」「マイナスイオン批判」に過ぎない。1つだけをやる人もいるし、複数やっている人もいる。もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすための用語が「ニセ科学批判」なので、「ニセ科学批判」を実行できる人なんかどこにもいない。実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。
 もっと言うなら、メタな意味での「ニセ科学批判」の実施例も成功例も実は無い。個別事例の「○○批判」は、小さいけれども効果を上げているかもしれないが。
 だから、

 勝手に「自分はどちらかといえばニセ科学批判側だろう」と思っていて、それを確信したくて「ニセ科学批判」を追いかけてみたら、突然どこにあるのか分からなくなってしまって途方にくれている感じ。

 は当たり前ではないかと。「ニセ科学批判」がどこかにあるわけじゃなくて、「ABOFAN批判」が「ニセ科学批判」として括り出せる要素を含んでいるということなので。


ここからは旧ブログのコメントです。


by TAKESAN at 2009-04-05 10:44:05
Re:品質管理に哲学や思想性を求められても困る

今晩は。

私の所でも言及しました。

後、poohさんのエントリーのタイトルが、カテゴリー名になってますね。タイトルは「スタンス」ですね。


by apj at 2009-04-19 11:49:19
Re:品質管理に哲学や思想性を求められても困る

TAKESANさん、

 タイトル間違えてましたね。直しました。
内容については、今日はもう遅いので明日あたりにでも。今回は、TAKESANさんの議論と私の主張はちょっと違うところから行うことになったので、だいぶ趣が異なる結果になったようです……。


by たまに見てる人 at 2009-04-21 09:12:21
Re:品質管理に哲学や思想性を求められても困る

 少なくとも一部の人にとっては、ニセ科学と科学は、正規品と不正規品の関係ではなく、漫画などの表現物における作品同士の関係に類似するものとして捉えられているのではないでしょうか。

 Aという作品を愛好する人がそのあまりに他の作品を中傷したり、Aという作品のみを語り続けるといった状況を「セクショナリズム」と表現されているのではないかと考えました。(あくまで私見ですけど)


by apj at 2009-04-30 09:49:30
Re:品質管理に哲学や思想性を求められても困る

たまに見てる人さん、

> Aという作品を愛好する人がそのあまりに他の作品を中傷したり、Aという作品のみを語り続けるといった状況を「セクショナリズム」と表現されているのではないかと考えました。

 なるほど……。このコメントを見て私の頭に浮かんだのは、

 キャラのどっちが「攻」でどっちが「受」かをめぐって派閥抗争を繰り広げる腐女子

でした。確かにセクショナリズムだ……。

#ああ、何だか例えが一気に俗な方に(汗)。


by ねこ at 2009-04-50 16:48:50
Re:品質管理に哲学や思想性を求められても困る

タチとネコですね

apjさんのえっちぃ


by apj at 2009-04-30 20:06:30
Re:品質管理に哲学や思想性を求められても困る

ねこさん、

>タチとネコですね

 いや、そういう派閥抗争があることをネットで読んで知ってるけど、リアルで目撃したことはまだ無いんですよ。

#昔好きだった某作品の二次をヤフオクで漁ったらやおい本ばっかり引っかかり、これは一体どういう世界なのだ?とネットをさがしたら、そういう世界が随分前から展開していたと(汗)。予想外のモノがでてきてびっくりしましたよ……。

>apjさんのえっちぃ

 と言われてもなぁ……よく理解できなかったです。何でこんなものが、と思って「アニパロとヤオイ」ってな本を買って調べたりしたんですが……。