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くだらん、現場に降りてこい

Posted on 4月 17th, 2009 in 倉庫 by apj

 「イノセント」への言及。
poohさんのところの「スタンス」のコメント欄経由。

「ニセ科学批判」は科学の世界の一部に居続けるつもりなのか、
それとも言論の世界に足を踏み込みたいのか?

 このレイヤーで話をしている限り、話がかみ合うことは無いだろう。「ニセ科学批判」は「現実の社会で行われる品質管理」だ。言論は手段に過ぎない。

現実的には、「ニセ科学批判」は既に足を踏み入れている。
問題は、それを自覚しているのか、それともうっかり内輪のラインを踏み外してしまっただけなのか、という事。

 うっかりも何も、私は裁判所で争うことになったし、左巻さんだって「訴えてやる」の脅しなんかしょっちゅうだったはず。科学の側からニセを否定する論文を書いた途端、名前を騙って実験機材を注文されるという、業務妨害を喰らった人だって知っている。

 その上で、方々のニセ科学批判側のblogに「謝罪表明」と称してTBを送り、この顛末の周知に励みます。
 これが、ニセ科学批判に対するどういう印象を生むかは想像が付くでしょう。

 きっと、ニセ科学批判側は慌てて、もう一度議論のテーブルにつくよう説得を始めるでしょうし、あるいは、そのあてつけがましい行為に対し遺憾の意を表明し始めるでしょう。

 それに引っ掛かる人はその程度の読解力だということだろう。「言論の世界」で生きるなら、無意味な謝罪をすると、謝罪した側のダメージの方が大きい。なお、私は以前、finalventさんと議論したとき、finalventさんの謝罪発言を明文で却下したことがある。この手のやり方に対しては「理解を深めるための議論に謝罪は不要であり、謝罪することは論者として不誠実」と、はっきり却下すれば済む。

 でも、言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。
 それを押し付けられ、上手く対処できなければ「負け」。
 『ニセ科学批判』は“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメになります。

 詐欺に引っ掛かって経済的に損害を被ることを防ぐ、という実用部分があるので、思想形態云々という議論は意味を持たない。現実に発生する損害を議論でごまかすのは無理なのでね。

【追記】
 言論統制や言論の自由の侵害など、そのへんのblogに書いているだけじゃ不可能なのは誰が考えてもわかること。そういう言いがかりを付ける人は、法的センスの無さを笑われて終わるので問題無い。

【追記その2】
 「ニセ科学批判」そのものにレッテルを貼る試みは多分失敗するだろう。現実に存在するものは、個別の「水伝批判」「マイナスイオン批判」といったものでしかない。そこから共通に括り出せるものを、さしあたり「ニセ科学批判」と呼んでいる。だから、「ニセ科学批判」にどういうネガティブイメージが貼られようが、個別の「水伝批判」「マイナスイオン批判」等々にはほとんど影響しない。逆に、「ニセ科学批判」にいかにポジティブイメージがあろうが、個別の「水伝批判」「マイナスイオン批判」等々の中身がお粗末だったら、その批判は力を持たないし、逆に批判に晒されて終わる。個別の議論に踏み込めば、「思想形態」などという抽象的な部分での評価は役立たない。

 でも、『ニセ科学批判』の皆さんが踏み入れようとしている世界は、そういうところなんです。
 ついでに言えば、ネガティブカードやポジティブカードの価値ははっきりは決まっていません。
 その価値もまた、いわば「舌先三寸」で変動するのです。

 「ニセ科学批判」という、個別の事例を離れた抽象的な、あるいはメタな部分のみで議論するという範囲に限れば、舌先三寸の世界になるかもしれない。が、個別の批判の価値や意義は、個別の事例をどう取り扱うかで決まるので、個別事例を離れた「ニセ科学批判」がイメージダウンしようが、あまり関係が無い。

おそらくは、菊池先生や天羽先生は、そういうドロドロした世界である事を熟知した上で足を踏み入れていると私は感じています(特に天羽先生は、この世で一番ドロドロした所にまで攻め込んでいる)。
 また、教育者ですから、「合理的に判断する事」と、「合理的な判断に価値が有る事を教える事」が全く違うのも分かっているでしょう。

 しかるに、どうでしょう?
 他の皆さんは、そんな自覚があるでしょうか?

 踏み込みの度合いに応じてそれぞれの人が覚悟を持っていればいいだけのこと。私はたまたま、社会できっちり争うところまでやっているけど、そうすることを、ニセ科学に批判的な意見を持つ人全員に求めるつもりはまったくない。また、若い人相手に話をするときは、「批判側に居ると提訴されて時間と金をかけなければならないリスクがあるから、経済的に耐えられるようになるまでは、やばいところまでは踏み込むな」と言っている。

 社会に何か「良くないこと」があったとして、良くないことを正面から解決しようとして紛争覚悟で行くのも1つの手だけど、「見て見ぬふりをしない」「小さい声でも、それは良くない、と言う」大勢の人達の存在は結構大事なのだ。そういう人達が大勢いれば、だんだん「良くないこと」をしづらくなる。そして、その方が、問題解決のコストは多分安い。

 進むも地獄、退くも地獄、こんな世界に足を踏み入れてた事、認識していましたか?

 勝手に問題設定をするな。
 見て見ぬ振りはしたくない、とか、小声しか出せない・出す勇気が無いけど抗議をしたい、という人に対して、行為と釣り合わない覚悟を求めても意味がない。

 「こんなスレまくった話、聞きたくもない」って思った人。
 そんなあなたは多分イノセントな人です。

 「そうだよね、そんな人いて実際困ってる」って思った人。
 そんなあなたも多分イノセントな人です。
 そういう人に限って、自分が見えてないものです。

 私にはJudgementさんの主張の方が、現実の社会を踏まえていないイノセントな発言に見えるのだけど。

【追記】
 最初の方に、言論は手段に過ぎない、と書いたけど、実際、言論だけで済むならその方が圧倒的に安上がりである。
 言論だけじゃ済まなかった神戸の裁判の例だとこんな感じ。実際に磁気活水器を購入し(19万8000円、師匠と折半)、通した水とそうでない水の表面張力や赤外吸収やラマン散乱を測定した(それぞれの測定器、数百万円から1千万円以上の値段)。実験のために、専門にやっている研究者やら院生やらが半日以上費やした。これ、裁判のうちで言論だけじゃなかった部分(作文した書証のやりとりを越えた部分)ね。これだけでもblogの維持費なんかより遙かにコストがかかっている。
 実験抜きで訴訟手続きを進めるのは、言論の世界っちゃー言論の世界だけど、blogであれこれ書いているだけよりは、圧倒的にコストもリスクも大きい。
 まあ、言論の世界だけを取り出して議論しようとするからおかしな話になるのだろう。ニセ科学に対する対抗策は、言論だけで閉じてはいない。言論で足りなきゃ手間とコストをかけて実証することになるのだけど、職業でやってる人以外はそこまではなかなかできないから(職業でやってたって不必要なリソースは投入したくないし)、言論で済む分は言論で済ませる方がいい。

【追記その3】
 TAKESANさんのところにもコメントしたのだけど、スポーツに例えると分かりやすいかも知れない。
 「スポーツをすることについて語り合いましょう」というエントリーとか掲示板スレがあって、みんな話題に参加しているのだけど、抽象的な概念である「スポーツ」をしている人は誰もいない。参加者は、それぞれ、野球とかテニスとかサッカーとかジョギングとか、その他たくさんある個別の種目のうちの1つ以上を楽しんでいる人達だ、という状況。
 個別の種目について、各自の練習法法や上達のコツについて語り合っている状態を指して「スポーツをすることを話題にしている」と言えるし、「スポーツ」という概念も確かにあるんだけど、でも実際には個別の種目の話だよ、という感じ。
 「ニセ科学批判が流行ってるよ」というのは多分「最近○○市ではスポーツが盛んだよ」というのと質的には同じなんだろう。詳しく聞いてみると「少年野球のチームの数が倍になった」「テニススクールの練習生が増えて前はがら空きだった市営コートはいつも満杯だ」「早朝ジョギングをしている人が増えている」といったことが起きていることがわかったりする。ニセ科学批判だと、「この三ヶ月で○○(個別のニセ科学)を取り上げる週刊誌が相次いだ」「はてブで目立つエントリーの半分位がニセ科学(のどれか)の話題だ」などということになるんだろう。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 高橋 芳広 at 2009-04-30 10:19:30
実行者対評論家

こんばんは。

「くだらん、現場に降りてこい」は、思いのこもった名言ですね。
私の好きな「事件は会議室でなく、現場で起きている」(by 青島刑事)に似ているが、それに勝るとも劣ることなく。

現場で体を張ってやっている者にとって、言説を弄ぶだけの輩(所謂、評論家)は蹴りを入れたいぐらいに腹立たしいです。(私の勝手な解釈ですが…)


by shunsoku at 2009-04-55 06:41:55
あなたたちこそが言説を弄ぶ者です

 こちらにはコメントしないで置こうかと思ったのですが、あんまりにもひどいので、一言。

 「現場」を持ち出したのはapjさんです。
 その「現場」の使い方がおかしいよ、という私の話はスルーして、言いたいことだけ書いてますね。

 自分のところだけが現場と思っているんじゃないよ、ということです。
 たとえば読書感想文について。
 昨年度の課題図書が何か、位調べましたよね、まさか?

 数年前の課題図書に、サッカーの惜しむ監督の話を書いた本があって、けっこう話題になったんですが、あれ、小説ですか?

 私は、法廷も大学も現場だと思ってます。

 同時に小学校も現場です。小学校のPTAだって現場です。
 PTAの集まりで「ニセ科学」に当たるものの講演が企画されたときに、それを自分以外の役員を説得して止めるのは、現場じゃない、とでも言うのですか?

 いろんな説得がうまく行かないことが繰り返され、「このやり方じゃうまく行かないな」と悩むのは、「現場の問題」じゃないんですか?

 一言で言うと、他人の営為を馬鹿にしすぎだ、ということですね。

 その尻馬に乗る人がここにもいたようですが。

 個人で努力しているからといって、それが他人を攻める権利にでもなると思ってるんですか?
 そういうのを「特権意識」というんじゃないですかね?

 あ、私に直接触れるのがまずい、という判断なのでしたら、別にこのコメントも承認してくれなくて良いです。

 その場合には、2度とここには書き込みません。
 そういう行動を求めた意思表示だと受け取りますから。


by apj at 2009-04-39 07:06:39
Re:くだらん、現場に降りてこい

shunsokuさん、

 何か勘違いしておられるようですね。

> PTAの集まりで「ニセ科学」に当たるものの講演が企画されたときに、それを自分以外の役員を説得して止めるのは、現場じゃない、とでも言うのですか?

 それこそが「現場」ですよ。

 で、私が「現場に降りてこい」と言及したのは、Judgementさんのエントリーの内容に対してです。現場で実際に、変な講演会が行われるのを止めようとしたり、身内がインチキ商品を買おうとするのを説得したりしている人達については何も書いていません。というよりも、それこそが現場で、ニセ科学の個別の批判はその現場につながっているという認識をしていますので。

 あなたが仰るような「現場」が全国各地で発生しているのに「言論の世界」という括りで問題提起しているJudgementさんのエントリーは、ちょっとずれているだろうと言いたかったんですよ。


by shunsoku at 2009-04-38 07:53:38
Re:くだらん、現場に降りてこい

>apjさん

 コメントありがとうございます。

 あなたが考えている「言論の世界」と私が想定している「言論の世界」が異なっているようですね。「言論の自由」の「言論」を私は想定しました。たとえば政治的な発言などです。PTA役員会の発言は「言論」ですよ。
 あなたはもっと限定した用語として「言論の世界」を考えていますよね?勝手に範囲を制限しすぎだと思いますが。

 judgementさんが使った「言論」の意味は「手段」などではないと私は読みました。勝手に「手段」としたのは、あなたのほうですから、誤読じゃないんですか。

 それから、スレ違いだからかもしれませんが、感想文に関する私の発言はスルーですか。
 残念です。


by apj at 2009-04-08 07:56:08
Re:くだらん、現場に降りてこい

誤解じゃないかと思うので補足。

> たとえば読書感想文について。
> 昨年度の課題図書が何か、位調べましたよね、まさか?

> 数年前の課題図書に、サッカーの惜しむ監督の話を書いた本があって、けっこう話題になったんですが、あれ、小説ですか?

 感想文エントリーは、新聞記事でコピペが多いのが問題だと書いてあることに対するコメントなので、ちょっと話の流れが違いますね。
 課題図書に何を出しているかという話じゃなくて、感想文コピペサイトでよく利用される作品を書いた作家が誰かということに基づいて書いているので。漱石やら龍之介やらの感想文がコピペ用に用意されているということは、利用者が多いということでしょう。ということは、課題図書とは無関係に、漱石やら龍之介の本を読ませて感想文を求める先生がそれなりに居るってことじゃないですかね。


by shunsoku at 2009-04-26 07:57:26
訂正です

4月18日 21:41:45付けのコメントの中で
「サッカーの惜しむ監督」と書いたのは

「サッカーのオシム監督」の間違いです。
お詫びして、訂正します。


by apj at 2009-04-08 08:33:08
Re:くだらん、現場に降りてこい

shunsokuさん、

> あなたが考えている「言論の世界」と私が想定している「言論の世界」が異なっているようですね。「言論の自由」の「言論」を私は想定しました。たとえば政治的な発言などです。PTA役員会の発言は「言論」ですよ。

 なるほど。政治的な発言が言論だし、PTAの役員会の発言も言論だということには全く同意します。

 私が「言論の世界」の意味を狭く解釈したのは、「言論の世界」の「言論」を、「言論の自由」の意味で解釈した場合、元々のJudgementさんの問題提起

>「ニセ科学批判」は科学の世界の一部に居続けるつもりなのか、
>それとも言論の世界に足を踏み込みたいのか?

の意味がとれなくなるからです。
 この「言論」が「言論の自由」と言うときの「言論」という意味だとすると、「ニセ科学批判」は、とっくに「言論の世界」の一部になっているというのが私の理解です。

 以下は、有斐閣「法律用語辞典」第3版による定義です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
げんろんのーじゆう【言論の自由】
 基本的人権の一つで、人がその思想を発表する自由を指す。憲法二一条一項では「言論、出版その他一切の表現の自由」と規定。なお、狭義で「言論」とは口頭による思想表現を指し、印刷物による「出版」と区別されるが、「言論の自由」として用いられる場合は、一般に、その表現手段のいかんを問わず、「表現の自由」と同義語として用いられる。旧憲法二九条にも規定。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 何かを「ニセ科学」であると判断し、批判すること、あるいは批判する理由を説明するとか、ニセ科学に共通する害について議論する、といったことをすれば、それは、思想を発表したことになるでしょう。ですから、「言論の自由」の「言論」のことであると解釈してしまうと、Judgementさんの問題提起の2行目の意味がわからなくなります。既に、多くのネット上での多くの「ニセ科学批判(総称です)」はとっくに言論の世界にカテゴライズされる状態になっています。

 また、「科学の世界」と「言論の世界」の線引きも、そのままではうまくいきません。「科学の世界」を「言論(言論の自由の意味での)の世界」と重ならないように解釈するのなら、科学っぽい言説があった場合にできる議論は、「これは科学ではない。何故なら○○だからである。」というもの以上にはならないでしょう。ちょっとでも余計なことを書くと「思想の発表」に入ってきそうです。意味づけをして誰かに読まれる状態にすると、思想の発表になりそうです。

 そこで、Judgementさんの次の問題提起を読みます。

> しかし、他者を納得させるが目的の「言論の世界(それは「社会そのもの」と言ってもいいかもしれない)」に足を踏み込むつもりがあるのであれば、私はぜひ口を挟みたい。

 とあります。この「言論」が「言論の自由」の「言論」だとすると、ここで「言論」の意味がかなり限定的になっているように私には読み取れました。もともとの「言論の自由」の「言論」は、他者が納得するかどうかとか、他者を納得させるものかどうかということは含まれていません。あくまでも、ある思想を発表する側に対して保証するというものであって、発表した結果内容を誰一人できなかったとしても、そんなことは関係ないのです。

 しかし、Judgementさんは、「他者を納得させるが目的の」と限定しました。この部分を、私は、特定の思想(=ニセ科学批判)を他者に伝えるために言論を手段として使うということなんだな、と読み取りました。

 この部分の読み方の違いが、私のこのエントリーと、shunsokuさんの向こうでのコメントの違いになったのかもしれません。


by apj at 2009-04-57 08:41:57
追加です

shunosokuさん、

 もともと、blogで意見を述べることの多くが、「言論の自由」でいうところの「思想の発表」なんです。今日の正午の山形の気温は○度でした、などという、事実の記載のみであれば思想の発表とは解されないでしょうけど、新聞記事を引用して自分なりのまとまった意見を述べた、というものは思想の発表と呼べるでしょうし。
 ですから、「ニセ科学批判」に対してことさらに「言論の世界」に入ってますよ、と言うのは、そのままでは意味がとれないんです。blogに、単なる事実の記載ではない意見を述べることが、ウェブコンテンツでその人なりの考え方を表明することが、全て「言論の世界」の出来事なんです。科学ではなく音楽について論評したって、「言論の世界」です。ニセ科学云々とは関係なく、blogをやっている人の多くは、多種多様な話題で既に「言論の世界」に入っているのですよ。


by shunsoku at 2009-04-02 09:18:02
それこそ勝手な誤読です

>ということは、課題図書とは無関係に、漱石やら龍之介の本を読ませて感想文を求める先生がそれなりに居るってことじゃないですかね。

 どこかに漱石や龍之介の本限定で感想文を書かせている教師がいるかもしれませんが、あまり聞いたことがありませんね。
 それこそ勝手な思い込みの類でしょう。

 少し質問の角度を変えて、もう一度聞きます。

 実際にどんな課題に対する記事か、調べたんですか?

 安直な記事に安直に乗っかった、国語教師全体に対する安易な批判だと思いますが。


by shunsoku at 2009-04-50 09:25:50
だったら、ここのタイトルはおかしいでしょう

apjさん

 あなたの主張の通りの意図だとすれば、
judgementさんのブログだって「現場」の一部じゃないですか?

 それを「降りて来い」とはおかしいでしょう。

 私はてっきり今まで「現場」と「言論の世界」をあなたが対置しているのだと思っていました。
 「ニセ科学に関する言論の世界」は「現場の一部である」という解釈で良いですか?


by apj at 2009-04-57 10:09:57
Re:くだらん、現場に降りてこい

shunsokuさん、

> どこかに漱石や龍之介の本限定で感想文を書かせている教師がいるかもしれませんが、あまり聞いたことがありませんね。

 あなたの主張の根拠は、単にあなたが「聞いたことがない」だけですか。薄弱な根拠ですね。

> 実際にどんな課題に対する記事か、調べたんですか?

 はぁ?
 感想文の課題のコピペの話題の記事で、コピペネタがこの本、と書いてあって、
 http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/
には、課題図書の感想文は公開しないと書いてあり、かつ、記事通りの感想文が公開されています。このサイトの利用者が、ここに掲載されている感想文を課題として出されたと考えるのは当然ではないですか。

>judgementさんのブログだって「現場」の一部じゃないですか?

 そうですよ。
 ところが、上に説明した通り、judgementさんの問題提起はそう読めませんでした。ですから、私が解釈したjudgementさんの問題提起に従って、「科学の世界」と「言論の世界」を対置しました。

> それを「降りて来い」とはおかしいでしょう。

 おかしくありません。現場も込みで考えなければならないものを「言論の世界(限定の意味)」でだけ議論するのは、現場をていないということだと私は考えますので。

 「ニセ科学に関する言論の世界」というのは初めて出てきたので答えようがありません。

 (私が読み取った)judgementさんが仰る「言論の世界」を持ち出して、ニセ科学批判をする人が言論の世界に踏み込むつもりかどうなのかという問いの立て方そのものが、現実とは結びついていないというのが私の理解です。


by apj at 2009-04-36 10:11:36
訂正

×現場をていないということだと私は考えますので。
○現場と結びついていないということだと私は考えますので。


by apj at 2009-04-32 10:15:32
ちょっと書き直し

shunsokuさん、

> どこかに漱石や龍之介の本限定で感想文を書かせている教師がいるかもしれませんが、あまり聞いたことがありませんね。

 あなたの主張の根拠は、単にあなたが「聞いたことがない」だけですか。薄弱な根拠ですね。

> 実際にどんな課題に対する記事か、調べたんですか?

 はぁ?
 感想文の課題のコピペの話題の記事で、コピペネタがこの本、と書いてあって、
  link here
には、課題図書の感想文は公開しないと書いてあり、かつ、記事通りの感想文が公開されています。このサイトの利用者が、ここに掲載されている感想文を課題として出されたと考えるのは当然ではないですか。

>安直な記事に安直に乗っかった、国語教師全体に対する安易な批判だと思いますが。

 書いてないことを読み取るのがお好きなようですね。
私が書いた内容を引用しますよ。
—————————
 後半の読書感想文の部分はは手段と目的が入れ替わっている。「そもそも読書感想文は、子供たちが本に接することで思考をはぐくむきっかけにしてもらうのが狙いだが、読書の実態をみると憂慮すべき点が浮かび上がる。」とあるが、感想文を書かなければならないとなると読むのが逆におっくうになるのではないだろうか。また、読むという活動と書くという活動は全く別なので、本当に読書好きなら、感想文を書く労力を次の1冊を読むために使いたいと思うのではないか。私は、本好きの感想文嫌いだったことを白状しておく。
 小説を読んで共感を覚えるかどうかは、想像力が及ぶ範囲の話かどうかにもよるはずである。今、明治時代の文豪の小説を出されて読んでしっくり来る中学生がそんなに多かったとしたら、その方が不思議だ。ケータイ小説の次はキャラクター小説を読むようになり、続いては売れ筋の新刊文芸書を読む、というのでもかまわないはずだ。途中から夏目漱石や芥川竜之介を読まそうとするから、無理が生じているのではないか。
 第一、そんなに本を読んで何かを考えさせたいのなら、小説じゃなくて哲学書でも読ませればいい。なぜそこで文学限定なのか。数学じゃダメなのか。科学じゃダメなのか。社会科学じゃダメなのか。教える側の視野が狭いことが、意識されないままに当然の前提とされているようで、記事を読んでいて引っ掛かった。
—————————–
 とても、国語教育全体の批判とは言えない内容ですね。記事を踏まえたツッコミではりますが。漱石や龍之介はさすがに時代背景が違いすぎるのでは、というのは単なる意見ですが、こんなものが全体の批判になるはずがない。

>judgementさんのブログだって「現場」の一部じゃないですか?

 そうですよ。
 ところが、上に説明した通り、judgementさんの問題提起はそう読めませんでした。ですから、私が解釈したjudgementさんの問題提起に従って、「科学の世界」と「言論の世界」を対置しました。

> それを「降りて来い」とはおかしいでしょう。

 おかしくありません。現場も込みで考えなければならないものを「言論の世界(限定の意味)」でだけ議論するのは、現場と結びついていないものであると私は考えますので。

 「ニセ科学に関する言論の世界」というのは初めて出てきたので答えようがありません。

 (私が読み取った)judgementさんが仰る「言論の世界」を持ち出して、ニセ科学批判をする人が言論の世界に踏み込むつもりかどうなのかという問いの立て方そのものが、現場とは結びついていないだろうというのが私の理解です。


by apj at 2009-04-12 10:18:12
ちょっと書き直し

shunsokuさん、

> どこかに漱石や龍之介の本限定で感想文を書かせている教師がいるかもしれませんが、あまり聞いたことがありませんね。

 あなたの主張の根拠は、単にあなたが「聞いたことがない」だけですか。薄弱な根拠ですね。

> 実際にどんな課題に対する記事か、調べたんですか?

 はぁ?
 感想文の課題のコピペの話題の記事で、コピペネタがこの本、と書いてあって、
  http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/
には、課題図書の感想文は公開しないと書いてあり、かつ、記事通りの感想文が公開されています。このサイトの利用者が、ここに掲載されている感想文を課題として出されたと考えるのは当然ではないですか。

>安直な記事に安直に乗っかった、国語教師全体に対する安易な批判だと思いますが。

 書いてないことを読み取るのがお好きなようですね。
私が書いた内容を引用しますよ。
—————————
 後半の読書感想文の部分はは手段と目的が入れ替わっている。「そもそも読書感想文は、子供たちが本に接することで思考をはぐくむきっかけにしてもらうのが狙いだが、読書の実態をみると憂慮すべき点が浮かび上がる。」とあるが、感想文を書かなければならないとなると読むのが逆におっくうになるのではないだろうか。また、読むという活動と書くという活動は全く別なので、本当に読書好きなら、感想文を書く労力を次の1冊を読むために使いたいと思うのではないか。私は、本好きの感想文嫌いだったことを白状しておく。
 小説を読んで共感を覚えるかどうかは、想像力が及ぶ範囲の話かどうかにもよるはずである。今、明治時代の文豪の小説を出されて読んでしっくり来る中学生がそんなに多かったとしたら、その方が不思議だ。ケータイ小説の次はキャラクター小説を読むようになり、続いては売れ筋の新刊文芸書を読む、というのでもかまわないはずだ。途中から夏目漱石や芥川竜之介を読まそうとするから、無理が生じているのではないか。
 第一、そんなに本を読んで何かを考えさせたいのなら、小説じゃなくて哲学書でも読ませればいい。なぜそこで文学限定なのか。数学じゃダメなのか。科学じゃダメなのか。社会科学じゃダメなのか。教える側の視野が狭いことが、意識されないままに当然の前提とされているようで、記事を読んでいて引っ掛かった。
—————————–
 とても、国語教育全体の批判とは言えない内容ですね。記事を踏まえたツッコミではりますが。漱石や龍之介はさすがに時代背景が違いすぎるのでは、というのは単なる意見ですが、こんなものが全体の批判になるはずがない。

>judgementさんのブログだって「現場」の一部じゃないですか?

 そうですよ。
 ところが、上に説明した通り、judgementさんの問題提起はそう読めませんでした。ですから、私が解釈したjudgementさんの問題提起に従って、「科学の世界」と「言論の世界」を対置しました。

> それを「降りて来い」とはおかしいでしょう。

 おかしくありません。現場も込みで考えなければならないものを「言論の世界(限定の意味)」でだけ議論するのは、現場と結びついていないものであると私は考えますので。

 「ニセ科学に関する言論の世界」というのは初めて出てきたので答えようがありません。

 (私が読み取った)judgementさんが仰る「言論の世界」を持ち出して、ニセ科学批判をする人が言論の世界に踏み込むつもりかどうなのかという問いの立て方そのものが、現場とは結びついていないだろうというのが私の理解です。


by apj at 2009-04-56 10:23:56
ところで、お訊きしたいのですけど……

shunsokuさん、

 関係のない読書感想文ネタ、しかも私のコメントはかなり限定されたものであるにも関わらず、言いがかりとも八つ当たりともとれる「調べたのか」発言、「国語教育全体に対する安易な批判」などと範囲を安易に広げる印象操作。

 もしかして、Judgementさんが書かれた、

> でも、言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。
> それを押し付けられ、上手く対処できなければ「負け」。
> 『ニセ科学批判』は“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメになります。

 の変形版をここで実証中ですか?

 この先の展開は、「ニセ科学批判で現場に居ると主張する人だってちっとも現場を見ていない」というネガティブキャンペーンをする予定だとか?


by apj at 2009-04-03 10:25:03
ところで、ちょっとお訊きしたいのですけど

shunsokuさん、

 関係のない読書感想文ネタ、しかも私のコメントはかなり限定されたものであるにも関わらず、言いがかりとも八つ当たりともとれる「調べたのか」発言、「国語教育全体に対する安易な批判」などと範囲を安易に広げる印象操作。

 もしかして、Judgementさんが書かれた、

> でも、言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。
> それを押し付けられ、上手く対処できなければ「負け」。
> 『ニセ科学批判』は“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメになります。

 の変形版をここで実行中ですか?

 この先の展開としては、「ニセ科学批判で現場に居ると主張する人だってちっとも現場を見ていない」というネガティブキャンペーンをするご予定でしょうか。


by apj at 2009-04-24 10:42:24
補足です

Judgementさんは、

>でも、言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。
> それを押し付けられ、上手く対処できなければ「負け」。
> 『ニセ科学批判』は“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメになります。

と書いておられるので、「言論の世界」といっても実際にはかなり狭い意味、つまり、blogやウェブ掲示板などでやりとりして誰かを説得し、それを別の人が読んでいる状況だけをを想定して書いておられるのだろうと読めます。

 ここでいう「言論の世界」を、「言論の自由」の「言論」の世界であるとするのは、意味する範囲が違いすぎていると思います。

 また、もし、ネット上や、書籍などで「ニセ科学批判は言論統制」ということになったとしても「××は○○に効くという宣伝はインチキか否か」といった個別のことがらに対する判断が変わることはありません(∵科学の現状を踏まえて判断されるので)。また、私が「現場」と書いたのは、既に説明した通り、実際にそういう宣伝で何かを売りつけられかかった人が断る口実を探すとか、家族が売りつけられそうになって何とか説得しなければならない、といった状況が生じている所という意味です。

 「ニセ科学批判」にどういうレッテルが貼られても、現場には関係ないですし、現場と遠いところで議論されても効果は無いんじゃないの、というのが私がこのエントリーを書いた趣旨です。


by Baru at 2009-04-37 11:01:37
Re:くだらん、現場に降りてこい

初めまして
話がかみ合っていないようなので、少しおじゃまを。

>apjさんへ
shunsokuさんは、

>教える側の視野が狭いことが、意識されないままに当然の前提とされているようで、記事を読んでいて引っ掛かった。< という文章を、現場で苦労している「教えている側」への、apjさんによる批判と捉え、これをapjさんが現場をどれだけ知った上で言ってるんだ?と疑問に思っている OR 批判しているのではないでしょうか? 実際、私にも当該文章が教えている側への批判なのか、記者への批判なのか、明確には理解できませんでした。 「現場」と「言論の場」については、apjさんの指摘のように、最初のJudgementさんの区分けが適切ではないと私も思います。apjさんがおっしゃるように、ニセ科学批判そのものも「言論」の一部ですから、「科学の世界」と「言論の世界」を別のものとするあの文章は私にも理解できません。
apjさんのこのエントリはその不適切な区分けをふまえて「現場」と「言論の場」をわけただけであって、そのことを踏まえないと議論が進みませんね。

>shunsokuさんへ
Judgementさんの最初の設定が万人に受け入れられる定義ではないのだから、「言論」や「現場」の一般の定義ではなく、このエントリでの定義に基づいて議論するしかないと思いますよ。


by Baru at 2009-04-35 11:26:35
Re:くだらん、現場に降りてこい

>shunsokuさんへ
「このエントリでの定義に基づいて議論するしかないと思いますよ。」というのは、「apjさんとの間では、このエントリでのapjさんによる定義に基づいて議論するしかないと思いますよ」という意味です。


by apj at 2009-04-40 11:34:40
交通整理ありがとうございます

Baruさん、

 助言ありがとうございます。

>>教える側の視野が狭いことが、意識されないままに当然の前提とされているようで、記事を読んでいて引っ掛かった。< >という文章を、現場で苦労している「教えている側」への、apjさんによる批判と捉え、これをapjさんが現場をどれだけ知った上で言ってるんだ?と疑問に思っている OR 批判しているのではないでしょうか?

ああ、了解です。
私が書いた意見に補足を入れてみますね。

○本当に本好きだと、感想文書く時間があったら次の1冊を読みたいんじゃないの(私がそうだったし)。(だから、記者の意見である)「そもそも……浮かび上がる。」は違うんじゃないの(記事への批判)
○漱石や龍之介の作品に対する感想文コピペサイトがあることや、それに対する大人の批判を(記者が)とりあげているけど、漱石や龍之介を読んでも今時の若者にはピンとこないってだけじゃないの。あとの方で、ケータイ小説ばっかり読まれているっていう現場の教師の発言もあることだし。(記事への批判)
○(記事からみると、この記者は)漱石や龍之介を読んで自分で感想文を書くことで考えさせる指導ができると(当然のように)思っているみた(それはちょっと記者の視野が狭いんじゃないの)。何だか、教える側(現場の先生)が、何がなんでも文学を読ませなきゃいかんと考えているに違いない、という前提に(記者が)立ってこの記事を書いたんじゃないの?(記者が想定しているであろう前提への批判)

>最初のJudgementさんの区分けが適切ではない
という意見に同意ですし、それを踏まえないと議論が進まないということもその通りです。


by apj at 2009-04-54 11:37:54
補足です。

>「このエントリでの定義に基づいて議論するしかないと思いますよ。」というのは、「apjさんとの間では、このエントリでのapjさんによる定義に基づいて議論するしかないと思いますよ」という意味です。

 ですね。

 今ちょっとJudgementさんがここを読めないらしいので(というか携帯からだとここが文字化けするらしく、まだ対策方法が見つからないので私の設定のせいである可能性も高いのだけど)、読めるようになったら、改めて、分け方やそれぞれの定義の真意をJudgementさんにお伺いするしかなさそうですね。

 それを踏まえて、新エントリーとして書き直すということはするかもしれません。


by apj at 2009-04-34 13:17:34
Re:くだらん、現場に降りてこい

高橋 芳広さん、

 ちょっと向こうで議論したりしていたらお返事が遅れました。
 何かクレームもついたみたいですが、結局このエントリーのタイトルはこれで良かったのだろうと思っています。

 よくよく考えたら「ニセ科学批判」という言葉に付与された独自の意味づけは無かったんじゃないかということに思い至りまして。すると、「ニセ科学批判」を理解させるとか、「ニセ科学批判批判」というのは、どこまでいっても実体を伴わないことになります。架空のものについて議論していたって、解決すべき問題には到達しないでしょうし。