週刊誌チェック

 例のSTAP細胞について、週刊誌の記事をチェックしてみた。小保方さんのプライベートについての下世話な話はどうでもいいので、それ以外で気になったところをいくつかメモしておく。
 まず、週刊文春平成26年3月26日号26ページ。

笹井氏・小保方氏とともに実験の一部を担当し、共著者にも名を連ねる丹羽仁史CDBプロジェクトリーダーは自宅前でこう答えた。「彼女はまともな初期教育を受けず、土台が出来ないうちに、ハーバード、若山さん、笹井さんと転々と渡り歩いた。こういうころとやっちゃダメということを誰も彼女に教えてこなかったのです」

 だったら何でそんな人を採用したのか説明してくれ、という話にしかならないのは当然として、この部分はこれから院進学を考える人にとっての注意事項として読んでほしい。
 一言で言えば、研究でやっていくつもりがあるなら博士号を取得するまでは研究分野を変えるな、ということである。世間では、大学(の学部)で勉強することは役立たないなどと言う人もいるが、大きな間違いで、学部4年間のカリキュラムで積み上げられるものは学生が想像している以上に大きい。その分野で当然知っていなければならない「常識」をたたき込まれる。
 卒業研究だけ指導教員と協力関係にある別の研究室でやることはあり得る。修士以降は別分野に進む、といったことは可能である(試験に受かれば)。それで修了できるのかというと、それなりにできてしまう。なぜなら、一旦修士課程に合格してしまえば、指導教員の指導の通りにやればそれなりに結果が出て修士論文もまとめられるからである。講義はあるが、文献講読が主で、行われている研究に近い内容を狭い範囲でマニアックな内容を知る機会はあっても、学部のカリキュラムのような幅広い知識を身に付ける機会はあまり無い。博士課程も同様で、主に論文を読んで参考にしながら進めていくことになる。そんなふうに過ごして、修士、博士、と実験もやって論文も書けたから自分に知識がある、と思うのは勘違いである。学位をとれたのは指導教員の力でありその力は借り物である。大学院以降で別の分野に進んだ場合は、よほどしっかり別分野の学部の内容を勉強しないと、知っているはずの常識を欠いたまま研究を進めることになり、思わぬところで大間違いをしでかすことになる。
 小保方さんの例だと、早稲田大学理工学部の応用化学科のカリキュラムはhttp://www.waseda-applchem.jp/jp/img/prospective/department/curriculum.jpgで、化学の知識は身につくが、生命化学についてはわずかに生化学があるだけである。これで、分子生物の知識が必要な研究に進むのであれば、生物系の学部のカリキュラムを独習してやっていくしかない。それを怠っていると、新しい実験をするときに、しなくていい失敗や間違ったデータの解釈をしてしまうことになる。
 別分野に飛びつきたくなる誘惑が高まるのは、境界領域の研究テーマが流行している時である。しかしそれは要注意信号でもある。学部からの積み上げを使ってどう切り込めるかという部分をおろそかにして飛びつくと、結局中途半端のままで終わってしまう。
 専門家の「常識」に反することをやって成功する物語は好まれる。しかし、現実はそんなに甘くない。「常識」を無視して進んだ挙げ句、とっくに知られていることを知らなかったために、やるべきチェックを怠ったり、データの解釈を間違えたりして、失敗に終わることの方が圧倒的に多い。

 週刊文春平成26年3月26日号27ページ。
科学部記者の話として、

理研側から『iPS以外の万能細胞の作り方を樹立したから会見をする』という話があり、

「会見後、記者団がグループごとに分かれて実験室で取材、撮影をする『割烹着セッション』が一時間以上あったのです」

 理研の広報か、あるいは広報を動かせる立場の人が仕組まなければ割烹着報道は無かったということになる。

 週刊新潮平成26年3月26日号30ページ。
 理研の関係者の証言として、

実は彼女、実験ノートもきちんと取っていないので、記録の多くがちゃんとした形で残っていないのです。実験ノートを開いても必要なものをすべては記述せず、さらには実験で使った細胞切片もすぐに捨ててしまうと言います。

小保方さんは、実験ノートをとったりとらなかったりで、きちんと整理していないから、生データと実験ノートを迅速に照合できず、調査に異様に時間がかかっているのでしょう

とある。装置や試薬の使用記録からある程度は何が行われていたか追跡できるだろうけど、検証にえらく手間がかかりそうではある。

問題点の切り分けなど

 小保方さんの剽窃やデータ加工疑惑はここにまとまっている。ミスや手違いにしては数が多すぎるし、結果を示す図がコピペで博論もSTAPもまともに実験が行われたかどうかが疑わしい状況ということだろう。

 小保方さん本人は、何が問題なのか未だに認識していないんじゃないかと思う。黒猫亭さんが書いていたように、目的は科学のシステムを欺くのではなく目の前の指導教員や上司さえ納得させればいい、というものなのだろう。もしかしたら、科学者に必要な能力とは何かという自覚すらなく、周囲の反応を見ながら(ex.ゼミで褒められるとか研究の話をしたときの応答とか)対人スキルでもって「科学者である私に期待されていること」を読み取って完璧に対応したのだとすると、杜撰すぎる剽窃や図の流用をしていた理由が理解できる。やはり、科学の手続きの審査を騙す意図は最初から無かったのだろう。もうちょっと広い範囲で名誉とか信用といったものが評価されるという想像力や、科学のシステムを騙してうまいことやろうという意図があれば、剽窃捏造をしておいて笑顔でマスコミの前には出て来くるような危険なことは避けるだろう(普通の神経では)。評価基準が対面評価しか存在せず、それより外につながっていることを認識しないまま今に至ったとしか思えない。

 入学の時点で研究とは何かとか、剽窃はいけないことだといったことを充分に知らなかったとしても仕方がない。しかしそれをきちんと教育できないままに博士号まで与えたのは、学位審査の信頼性を揺るがす大問題である。

(1)博士論文をどうするか
 まずは、早稲田大学が調査するしかない。小保方さん個人が責任を負うとしても学位授与の取り消しのみ。
 審査が実際にどう行われたのかを調べることと、同じグループや研究科の論文で同様の剽窃や図の加工が見つかっていないか調べて結果を公表し、見つかるようなら何らかの措置をとることが必要。これほど見事に審査がザルであったことがばれた以上、他の論文の審査を手放しで信用するわけにはいかない。小保方さんにだけペナルティを与えて済む問題ではない。杜撰な審査がどこまで広まっているのかをはっきりさせた上で対策を講じないとまずい。
 特に、指導教員の小島氏(ヴァカンティグループ)の画像流用が見つかっているわけだから、小保方さんの画像流用は指導教員の指導に則って行われたとか、グループぐるみで流用が横行していた可能性もあるわけで、そのへんをはっきりさせないとまずい。
 あとの方に書いたのとも関連するけど、もしアイドル売り前提で理研に送り込むところまで関係者が了解済みだったとしたら、博論の提出延長はあり得ないわけで、期限内に出させるためにコピペを黙認した可能性も出てくる。
(2)理研の採用と広報の経緯
 リケジョで宣伝して「アイドル売り」を企画した張本人は一体誰か。割烹着だの部屋の色だのといったネタは、本人が話したとしても、広報の了解無しにはできないだろう。「アイドル売り」するなら本人についてまずいところがないかもっと調べないといけないはずだが……。
 理研という組織の性質上、論文についてはプレスリリースを出さざるを得ないとしても、通常の出し方をしていればここまでの騒動にはならなかった筈である。わざわざリケジョを全面に出して大ダメージなのは理研の自業自得だとしても、余計な宣伝までしてマスコミに売り込んだのは何故か。
 若いしまだ論文数も少ない小保方さんを、能力と可能性を評価して採用したのだとしても、博士論文に大量コピペの疑いでは、学位取得自体が怪しいことになる。そのあたりの調査や、採用時の面接の評価基準や方法に問題が無かったのか。きちんと説明しないと、最初から「アイドル枠」採用だったのでは?という疑問を残すことになる。
(3)STAPのNature論文
 手違いで別の図を載せたというのなら直ちに本来出すはずだった図を公表してNatureにも訂正をいれるべき、それができないなら一旦取り下げるしかない。論文の記述通りに実験をしたかどうかの確認は、関係者以外の外部の人を入れてチェックが必要。若山さんの手持ちのサンプルもあるので、いずれは専門家がSTAPの存在の有無について決着をつけるはず。STAPでなかったとしても何だったのかはそのうち結論が出るだろう。
(4)理研の管理体制
 2月のうちに、図の流用の指摘があったが副センター長は調査委員会にまともに説明していなかったというのがNHKの報道で出て来た。つまり、副センター長レベルで隠蔽をはかったと思われても仕方がない。本気で調査する気があるのかとか、小保方さん採用→広報通して宣伝、に副センター長がどんな役割を果たしたのかということも含めて明らかにすべき。あと、若山さんが図の流用や剽窃に気づいたのと、理研が気づいたのとではどちらが早かったのか。若山さんの方が後なら、理研は知っていて伝えなかったことになるが……。

 今回の問題に、リケジョは全く関係がない。理研が勝手にリケジョアイドル売りを試みて自爆しただけの話。もっとも、世間でいう理系博士女子のステロタイプ=女捨ててるタイプ、を勝手に仮定し「カワイイままでも理系博士できます」路線を強調したあたり、ジェンダー的には一周回ってねじれてる気はするが。もっともその仮定が、受験生の親についてはさほど外れているわけでもないから困る。「そんな理系のことしてると結婚できないよ」って言って子供育ててたの、私の同級生で、子供は今頃は受験生世代だし。

 しかしこの騒動で一体誰が得するんだろうな。早稲田の指導教員ははしゃいだ挙げ句今は恰好がつかない上に過去のずさんな指導体制を問題にされる展開になっているし。理研も自信を持って売り出したら大コケしたわけでかなりダメージだし。誰か仕組んだ奴が居るんじゃないかとも疑ったのだが、小保方さんの理研採用は2011年。その頃に人事を左右して、このタイミングで宣伝して注目を集めてネットで検証されまくることまでが既定路線だったとしても、そういう立場の人は理研でも上の方に居続ける必要があるだろうから、理研の評判を落とした分だけ自分も火の粉を被るし。第一、小保方さんの行動パターンを見切ってないとコントロールできないだろうし。剽窃その他のズルに気づいて小保方さん一人を潰すつもりにしては仕掛けが大がかり過ぎるし。展開を見てると何じゃこりゃな状態ではある。

対人スキルで生き延びるルートはある

 小保方さんの剽窃論文の件。博士論文にも大量の剽窃が見つかり、参考文献リストがコピペではないかという話が出てきて、挙げ句に結果の図が会社の製品説明の図からのパクリじゃないかという指摘まで出ている。
 博士の学位は、その分野で問題を見つけてそれを解決した結果がnewあるいはfirstなら取得できる。他にも投稿論文何報必要、といった条件がつくこともあるけど、やったことがnewかfirstなら論文は通るわけで、取得の条件は大体自動的に満たされることになる。博士論文のイントロでは、自分の研究の位置づけや方針について述べることになるので、剽窃つまり誰かが書いたのと全く同じ内容では用をなさない。結果の図が関係ない商品説明のパクリだということになると、研究の計画と実行どころか、実際に実験していたかどうかさえ疑わしくなる。イントロは重要でないとか、誰かの文章そのままでかまわないと思ってる人は、院生なら師匠を変えるか院を辞めるべきだし、すでにそういうやり方で学位を取得しているなら剥奪の対象になるだろう。「誰が書いたって同じ」になるようなイントロを書いてる時点で博論としてどうよ、って話なわけ。

 今回、本人が有能どころか、博論すらまともに書いてない、あるいは書く能力が無かったのではないかと疑われているわけで、じゃあそれがなんで理研のユニットリーダーにまでなれたのかということが疑問になる。

 午前中につぶやいたことのまとめになるのだけど、今の大学・大学院のシステムは、対人能力の高いくそまじめな無能の排除がきわめて難しい、というかそういう人にとっての抜け道が用意されたシステムになっている。
 まず、大学入試。AO入試で学力試験無し、せいぜい小論文と面接で判断、という状態だと、対人スキルが高ければ学力がアレでも通ってしまうケースが出てくる。特に、定員を充足しなければならないという経営上の圧力があった場合は通りやすくなる。対人スキルの高い人は高校でも先生の覚えはめでたいから、調査書やら推薦書も割といい内容になりそうである。
 入学すると学部の講義をとらなければならない。理系の場合、特に要領が良ければ、レポートなどは他人の書いたものを写したり真似たりしてそこそこのものを書けてしまう。実際にそうやってレポートや課題をクリアしてきて、卒研になったとたん何もできず、問いただしてみたら「これまでは全部いろんな友達のを写していた。今回初めて自分一人でやることになってどうしていいかわからない」と言った学生は実在する。専門の講義については、さすがに全科目レポートというわけにはいかないだろうけど、出席が良くて授業態度も良い場合、なかなか落としづらいだろう。留年率が高いと文科省が横やりを入れるというのがあったり、どっかのNPOが留年を減らせと叫んだりするものだから、試験で落ちた場合も追加課題などで救済策が用意されることも考えられる。真面目に講義に出ていた場合、その分が考慮されて落ちづらくなる傾向にはなるのではないか。また、留年させるなという圧力の存在を学生側が知っていた場合、当然タカをくくった試験対応になるわけで、結果として学力が不十分なまま4年生の卒研突入、となる。
 卒研になったらむしろ対人スキルが効く場面が多い。真面目に出て来ているのに落としたりすると、アカデミックハラスメントで訴えられかねないから、研究への適性が多少アレでも教員はサポート側に回る。真面目な学生が卒研の単位を落とすということになると、責任を問われるのは指導教員だから、卒研については教員が大体のレールを敷く。
 次が博士前期課程の入試。内部推薦でも成績優秀者限定なら学力は問題ないし、ペーパー試験に受かるなら学力の水準はまあ満たされていると思って良い(試験がまともに行われているかをきちんと判定するには、試験問題と合格ラインの公表が必要)。面接だけとか、卒研内容の発表などで通す研究科もあって、要注意である。重要なことは、学力がアレでも面接とプレゼンのスキルが高ければ入学できる道があるということ。余談だけど、ウチのペーパー試験で落ちて旧帝大の院に合格するケースが実際にあったりした。
 無事に合格したとして、修士課程の研究でも、真面目にやってるのに不合格判定するとアカデミックハラスメントで揉めるから、やっぱり教員はサポート側になる。大学に真面目に出てきて態度もいい院生であれば、多少実力がアレでもやっぱり教員はサポート役をして、どうにか2年で学位がとれるように手助けするだろう。
 修士論文が書けたとして、博士課程の入学試験。ペーパー試験を課すところは減っているのが現状。大学院重点化のせいで、どこの大学院も定員を満たすのに必死だから入試はかなりゆるくなっている。特に、大学院改組をした後は、何年で何人以上在籍して博士号取得者が出ないと外部評価などでペナルティを与える、という文科省の圧力があるから、改組後ほど入りやすい。また、旧帝大でも、学部直結の研究科は人気が高いが、学部と関係のない付属研究施設などの大学院は定員割れしやすいから入りやすい。修士卒業同程度の学力を有すること、と言いつつ社会人向けと称して試験をゆるゆるにした結果、他大学から受けて合格したものの修士論文が書けなくて留年したため入学できなかったというケースもあった。
 つまり、ほぼ学力試験無しのまま対人スキルだけで博士区後期課程の入学まで辿り着く、ということがあり得る。
 大学側の事情としては、就職しない人が増えると就職率の数字が悪化するので、受験時に職がなくて院進学したい人をしたいというバイアスは常に存在すると考えて良いだろう。
 さらに、博士論文の指導になった場合、共同研究者が大学院関係者だったりすると、博士号を出さないといけないという圧力が常にかかることになるから、本人が困っていたらやっぱりサポート役をするはず。ここでもしこっそり捏造が紛れ込んだとしても、本人の普段の態度が真面目で熱心なら、あれだけやってるのだから出たんだ、というふうに判断が引きずられるということはあり得る。少なくとも、サボリ院生が同じことをやった場合に比べて、積極的に疑いを抱く可能性は減るだろう。
 普通だったら、指導教員が時々はデータをチェックするから、そのときにあるはずの写真が無かったり、見せられた写真と違うものがプレゼンで出て来たりしたら、ちょっと待てどうなってるんだ、ということになってバレるはずである。また、捏造をしているということは、案外同じグループの院生は察知してたりするので、指導教員にこっそり耳打ち→判明、となることもある。
 今回は、博論審査であるはずのチェック機能が全く働かずに学位論文の審査が通ってしまい、理研でも採用され、理研内部でもチェックがかからずリケジョ宣伝した挙げ句に騒動拡大、ということになった。
 学位論文の審査があまりにもザルなのであきれ果てているところなのだけど、もしかしたら、私立大学の問題として学生数に対して常勤教員の数が少なすぎるということが背後にあるかもしれない。大学改革圧力のせいで人的リソースを持って行かれ続けた結果、研究教育がその分だけおろそかになったり派遣先の先生に任せきりになったりということも大いにあり得る。また、博士課程の院生を何人指導したかとか学位を何人にとらせたか、といったことが教員の個人評価の指標になっていたりすると、要件さえ満たしていれば(投稿論文が通っていれば)後は通す方にバイアスがかかる。1つの原因だけで起きるとは思えないけど、いろんな要因が重なると、こういうザルな審査が起きる可能性はちょっとずつ高くなるのではないか。
 もし、英語が書けなくて剽窃したというのなら、学力試験をがっつりやっていれば試験で落ちるだろうから、ここまでの騒ぎの種を仕込むことにはならなかった筈である。

 こういった抜け道は塞がないといけないのだけど、それを邪魔しているのが文科省や留年を問題視するNPO法人や私学の経営上の事情である。AOは油断するとペーパーテストで受からない生徒の受け入れ窓口と化すし、面接試験では対人能力の高い人を主に合格させるというのは仕方のないことでもある。
 ペーパー試験の点数がいいからといって研究能力が高いとは限らないという話はちらほらきくけれど、ペーパー試験の成績が相当お粗末でも研究能力は高い、とう話はまずきかない。研究をするには、あるレベル以上の学力は必要である。理系の場合、知識は積み上げで効いてくるので、AO入試が積み上げのない人を選択的に合格させているのだとしたら、研究者向きの人はむしろ少ない可能性がある。物理オリンピックや化学オリンピックで何位以内、といった基準を課せばAOで研究者向きの人を採れるかもしれないが。
 ともかく、現状では学力チェックをすり抜ける道が制度として用意されている。
 なお、指導の途中でこの院生は研究向きではない、と思っても、今時の指導教員はまず何も言わない。「あなた研究に向いてないから別の道を探せ」などと言うと、アカデミックハラスメントで訴えられるのが関の山だからである。自分で悟って辞めるか、悟れず途中で潰れるかしかないが、鈍感かつ対人スキルが高い人だとそのまま学位取得まで到達するかもしれない。

 こんなわけで、対人スキルだけで学位取得まで辿り着くルートは存在しないわけではない。全部のチェックをすり抜けるには(悪)運もあるだろうけれど。

 その結果がどうなったか。j-cast.comの記事(1/30)

「万能細胞」小保方晴子さんは早稲田大理工卒 出身者は「私大初のノーベル賞だ」「慶応に一矢報いた」大はしゃぎ
2014/1/30 19:21

マウスの実験で世界初の万能細胞「STAP細胞」の作製に成功したとして、研究ユニットリーダーの小保方晴子さん(30)が脚光を浴びている。
小保方さんは早稲田大学理工学部の卒業生とあり、インターネット上では同大の関連掲示板が盛り上がりをみせている。また、何かと批判されがちな「AO入試組」であることから、「宝石を発見した」として早稲田の見る目を評価する声もある。

恩師祝福「非常に驚いてもおりますし、喜んでおります」
研究成果の発表があった翌日の2014年1月30日、早稲田大学はさっそくプレスリリースを発表し、卒業生である小保方さんの経歴を紹介した。小保方さんは02年にAO入試の1期生として早稲田大学理工学部に入学し、応用化学専攻に進学。微生物培養の研究に取り組む傍ら、ラクロス部のレギュラーメンバーとして文武両道の学生生活を送っていた。同大大学院に進学後は「再生医療」の分野に飛び込み、東京女子医科大学との医工融合研究教育拠点「TWIns」で新たな教授につき、熱心に研究に取り組んだという。また、博士課程1年の夏から2年の冬にかけ、米ハーバード大医学部に留学し、今回の「万能細胞」開発のきっかけをつかんだ。
大学時代の指導教員だった常田聡教授も同日に記者会見に臨み、「こうした輝かしい成果を彼女が卒業してたった3年という短い期間で挙げられたという事は我々としても非常に驚いてもおりますし、喜んでおります」とコメントした。普段は明るい性格でおしゃれにも気を遣う女性らしい学生でありながら、ユニークな考え方や行動は目を見張るものがあり、研究に決して妥協しない努力家な一面、そして著名な化学者にも積極的に質問しにいくような行動力を持っていたという。
実際、今回の研究も努力の結晶だ。開始当初は周囲の研究者から「間違いだろう」と言われ、昨年には米ネイチャー誌に酷評されるなど散々だったが、それでも諦めずに5年がかりで成果を出した。学生時代から周囲からの評価も高かったようで、ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授からは「素晴らしい研究者になりつつあるので共同研究を続けたい」として、留学期間の延長を求められたそうだ。

「この天才をAOで発見した早稲田のスタッフは立派だ」
常田教授は「後輩の学生たちにとっても非常に励みになる」と話し、女性研究者の少ない中で小保方さんの活躍は理系の女子学生が勇気をもって研究の成果に入っていけるきっかけになるのでは、と期待を寄せた。ネット上でも、さっそく同学部出身者から「これはうちの学科の評価もうなぎのぼりや」という声があがったほか、早くも「私大初のノーベル賞とれそうだね」「日本の私立大学から、初のノーベル賞受賞となれば早稲田大学の評価は、大きくアップすると思う」として「iPS細胞」の山中伸弥京都大学教授に続くノーベル賞受賞を期待する声も数多くある。また、ライバルの慶應義塾大学と比較して「医学部持つ慶応はショックだろよ」「なんとなく慶応に一矢報いた感じがしてすごい嬉しい」と書き込む人もいる。
小保方さんが「AO入試組」という点も多くの関心を集めている。小保方さんは当時行われていた人物的に優れている生徒を入学させる「創生入試」というAO入試の一種を受験。応用化学科では、レポートや質疑応答で合否を決めていたという。実際に試験監督をした常田教授は小保方さんが手際よく実験をしていた姿や、近くにいた先生に「大学院の博士課程に行ったらどうなるんですか」と口にしていたことなどが印象に残っているという。
多様な人材を入学させる機会として各大学が採用している「AO入試」だが、一芸に秀でてはいるものの授業についていく学力のない人物が「もぐりこむ」仕組みだとして批判的な見方もある。実際に小保方さんのような数少ない「とがった人材」を見抜くのは難しく、常田教授も制度が十分に成果を出しているかについては疑問が残ると慎重だ。
それでも小保方さんの「合格」が創生入試の成果であることには変わりなく、早稲田のネット掲示板では「この天才をAOで発見した早稲田のスタッフは立派だ」「早稲田のAOは宝探しだ。光り輝く宝石を発見した早稲田、おめでとう」「受験マシーンが無双する受験方式の弊害役が証明された」と評価する声が上がる。

 既に学位論文のイントロに大量剽窃が見つかり、引用文献リストはコピペ(本文中に引用文献を特定しておらずどの部分がどの文献によるかもわからない、というお作法の初歩もできていなかったことも判明)、図の一部にメーカーサイトからのパクリの疑いも出ている。
 どこからコピペしたのかをすぐに見つけるのは難しいから、図がおかしいことには気づかなかったとしても、引用が杜撰だったり、イントロの英文の一部だけが随分雰囲気が違うといったことはちゃんと読めばわかったはずである。「わかってない」院生に対してダメ出しをして書き直させるのが指導教員の仕事。常田教授が学位審査の時に学位論文をまともに読んでいたかどうかも疑わしい。

 日刊工業新聞の記事(1/31)

「STAP」開発の小保方氏、「積極的で努力家」-恩師の常田早大教授
掲載日 2014年01月31日
 新たな万能細胞「STAP細胞(刺激惹起(じゃっき)性多能性獲得細胞)」の開発に成功した理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーについて、学生時代の指導教員である早稲田大学の常田(つねだ)聡教授が30日、報道陣の質問に答え、「積極性が高く、非常に努力家。そうした姿勢が大きな成果につながったのではないか」と教え子の業績をたたえた。

 小保方氏は早大理工学部の4年生だった2005年に常田教授の研究室に所属。11年に大学院博士課程を修了するまで早大に籍を置いた。
 もともと細胞生物学は専門ではなかったが、「分からないことがあると、どんな著名な研究者に対しても臆せずに質問し、突破口を開く力をもっていた」。努力家としても周囲に認知されており、「とても明るい性格。陰で努力や苦労をしていたが、その姿を人には見せなかった」という。
 早大に在籍しながら、再生医療分野で最先端の国内外の研究所へ武者修行に送り出した。「若手を育てるには大学内に閉じ込めるのではなく、優秀な学生でも送り出す勇気が必要だと思う」と話した。

 研究のスキルで突破するところを、対人スキルで得た情報の切り貼りで突破したんじゃないかと理解すれば、質問に熱心だったということとはつながる。ただ、熱心に質問し(教師の目から見て)努力家で明るい人物には、なかなかネガティブ評価を下しにくいし、疑うきっかけも掴みにくいだろうとは思う。

 いずれにしても、論文での剽窃や図の改ざんは一発アウトで退場を求めるしかない行為なので、本人の態度や対人能力とは無関係に、擁護の余地はない。

腑に落ちた……けど

 例の細胞の件について、日々の研究より。

某細胞の件。日曜日には、意図的な捏造の可能性が高くなって呆然とした。しかし、そうする理由が全く理解できなかった。今日の学位論文のイントロには驚いたが、落ち着いてくると何となく分かってきた。要するに、O氏の周りには研究環境がなかったのだ。結果を出さないといけないプレッシャー云々とか、そういうのに駆動された捏造ならもっとうまくやるだろう。おそらく、そうでなくて、O氏にとっての「研究」とは、最初の最初から、切り貼りするようなものだったと想像する。夢の世界の住人のような感じだろうか。

 本人がどういうつもりだったかはわからないから、あくまでも推測に過ぎないのだけれど、一番しっくりくる説明。
 コピペやら図の改変やらを全く隠そうとしていない上に、堂々とマスコミの取材を受けているあたり、本人は悪いことをしているとは全く思ってないだろう、ということを昨日つぶやいた。計画的に結果を誤魔化すつもりなら、写真は通常視野を変えて撮影するはずだから、見た目の違う写真をそれぞれ使うことにして、単純な使い回しはしないだろう。違う写真が使われていれば、これほど早く使い回しや別実験の写真だという疑いが出てくることもなかっただろう。最初から、研究とはどういうものかを全く理解していなくて、切り貼りするものだ(お作法として多少の見た目は変えるが)と思っていたとしたら、杜撰すぎるコピペや図の使い回しも納得できる。もしこの推測が正しければ、今、ネットで検証サイトができているけれど、なぜそんなことをいちいち確認するのか本人にとっては今もって理解不能かもしれない。
 最初、マスコミの取材を受けて、誰だったかが「非常に熱心に何でもいろんな人に質問する」っていう内容を話してたのだけど、最初から「研究」とは切り貼りで組み立てるものだと理解していたのではなかろうかという推測とぴったり嵌まる。

 切り貼りで課題をこなす人は、普通なら卒研で、遅くても修士で指導教員にばれていろいろ教育されるはずなのだけど、それがなぜ博士論文でもチェックされず理研の採用も通ったのかが謎。ちょっと恐いのは、博士課程の指導者グループの教育が軒並み切り貼りを容認するもので、他にも同様の方法で「研究」する人が養成されているのではないか、そういう人達が若い人を指導し始めているのではないかということ。佐々さんの言う通りに、審査した側が何をしていたかとか、同じ審査委員や研究グループで学位を取った他の人の博士論文がどうかについて、第三者機関の調査が必要な状況だろう。

情報と知識が足りない時に安全側に振るには?

 朝日新聞デジタルの記事「(記者有論)エセ科学 見分けるための七つの基準 高橋真理子 2014年1月8日05時00分」への補足とコメント。

 「こうすれば放射能を除去できる」と、手軽な方法を売り込む人たちがいる。たとえ科学の常識からかけ離れた方法でも、「これまでの科学ではできなかったことです」と説明されれば、「新発見かも」と思うのが人情だろう。

 しかし、キュリー夫人をはじめ多くの先人の努力で積み上げられた知識からあまりにかけ離れた方法では、除去はほとんどできまい。お金や労力の無駄になるだけなのに、と心を痛めてきた。

 「人情だろう」という部分がキーポイント。これまでできなかったようなことが簡単にできる、すばらしい結果がすぐ手に入る、と、人の欲望を刺激する言説に注意、といったところか。楽をして結果を手に入れたいという感情を揺さぶられる話だと騙されやすくなる。

 売り込む人たちは、たいてい科学用語を使う。セシウムはもちろん、イオンやプラズマ、波動や光合成細菌などなど。発明者に立派な肩書がついていることも多い。

 たとえ科学用語を使おうと、たとえ立派な肩書を持つ人の発明だろうと、筋道の通らない主張は科学ではない。普通は「エセ科学」と呼ぶ。しかし、両者を見分けるのは案外難しい。エセ科学がなくならない理由である。

 十分な時間をかけて情報収集して判断できるなら間違えることを減らせるだろう。「十分な時間をかけて」には、知識が足りなければ教科書を読み直して……といったことまで含まれる。しかし大抵の人にとって、ある言説がエセ科学かどうかを判断するのにそんな手間はかけられない。不勉強のままでいることを肯定するつもりはないが、かといって、あまりにハードルが高い判断方法は実用的ではない。

 昨年11月下旬、アジアの科学報道の充実を目標に世界科学ジャーナリスト連盟が始めた事業「スクープアジア」の東京会合が開かれた。30人ほどが参加した会議で途上国の記者が「迷信をいかになくすかが課題だ」というのを聞き、「日本でも似た問題を抱えている」と思ったものだ。

 迷信やらエセ科学やらの種類は文化的背景によって違ってくるので、多分国ごとくらいの単位で考える必要がある。例えば創造論はキリスト教圏のUSAでは社会問題になっているが宗教的背景の異なる日本では問題になるほどの勢力ではない。

 解決策は簡単には見つからない。だが、インドネシアの環境ジャーナリストが帰国後に面白い表を送ってくれた。科学とエセ科学の対比表だ。

 「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」「証明可能な結果⇔再現性がない」「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」「正確な測定⇔おおよその測定」

 むろん、「科学」⇔「エセ科学」の順に書いてある。

 「科学とは何か」と専門家に問えば、「反証可能なもの」というような答えが返ってくる。これでは訳がわからない。対比表を使うと、科学の中身に詳しくなくても、目の前の主張がエセ科学かどうか判断できそうだ。

 たとえば「何にでも効く」は「幅広い有用性を主張」に当たる。項目のすべてについて判定できなくても、いくつか当てはまればエセ科学の可能性大だ。「だまされないための七つの判定基準」、使ってみていただけませんか。

 インドネシアのジャーナリストはそれなりに科学あるいは科学哲学に詳しいからこのような項目を取り上げたのだろう。高橋氏もエセ科学の問題に興味があるから、対比表を使うことを薦めているのだろう。この対比表は、高橋氏のように、エセ科学の問題に感度の高い人にとってはおそらく有効だ。

 実はこの対比表と同じような内容を私も基盤教育の講義で学生に教えている。だからいわんとすることは非常によくわかる。教えた結果はというと、(学生のコメントを読んだ限りでは)多分それなりに効果があって将来学生達が活用してくれそうではある。教えている相手は(いわゆる難関ではないけれど)山形大学には合格できる程度には知識を持っている人である。その人達に、半期15回かけて物質は原子から出来ているというあたりから話を始めて、正しい科学のトピックをまず教え、関連するニセ科学を提示し何がおかしいかといったことをいくつか例示し、ポリウォータ−、常温核融合、パンヴェニストの実験の顛末とホメオパシーの話までやった上で、最後のまとめとして教えている。ここまでやれば、それなりに実感を持って何に注意すべきかを理解してくれるだろうと思う。

 高橋氏も書いているとおり、この対比表は科学の定義でもエセ科学の定義でもなく「だまされないための判定基準」である。これで科学と科学でないものを定義するのは無理だし、科学哲学方面からクレームがくるだろう。しかし、科学や科学哲学の専門家でない人が必要としているのは、手軽にそこそこ使える判定基準である。ぶっちゃけ、科学とは何か、などという定義はどうでもいい。科学っぽい言説で優良誤認と不実告知のオンパレードのような商品を買わずに済めばそれで良いのである。元々知識は足りないのだから、100%の精度で判断できなくても仕方無いが、大部分のエセを却下できればかなり助かる。だから、この対比表に従って判断した場合に、それなりの精度でエセ科学を却下できるならニーズにも合っていて有用ということになる。

 しかし残念ながらこの対比表は科学を専門としない人にとっては難しすぎるだろう。ニセ科学の問題に直面している人は半期15回の講義を聴く余裕など無いのが普通だ。さらに、それそれの項目の確認の手順が具体的にどういうものになるかを考えれば、実はかなり手間がかかることがわかる。

○「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」
 「あなたは新しい証拠があれば喜んで考えを変えますか」とインタビューでもするのだろうか。「はい」という答えを信じて良いのか。
 「学校で勉強していたときはこんなことは不可能と思っていたが証拠が出たので考えを変えた」と、実は間違った実験に基づいてトンデモ説を主張しだした人は、喜んで考えを変える人になってしまう。一方、科学の本流は意外と保守的で、新しい証拠が少し出たくらいだと「現状の枠組みで説明できないかもうちょっと粘ってみるわ」という人など普通に居る。そういう粘り方をすることでより理解が深まることもあるから別にかまわないのだけれど、判定基準の適用をするとエセ科学に分類されそうだ。
○「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」
 同僚同士の評価が行われていることをどこで確認するのだろう。論文を書くときに共著者が居る場合はおかしなことを言えばそこでまずツッコミが入るし、学会発表や論文投稿でも批判にさらされる。非専門家が科学者の同僚同士の批判を目の当たりにするには、学会の会場で話をきいていなければならなくなる。そして学会の会場に行っても、本当に筋のいい発表だと、質問は出るが批判が出ずに「面白い成果ですね」となったりする。情け容赦のない批判を目撃できるかどうかは運次第である。まあ、研究室内で師匠とガチバトルのことも珍しくはないけど、それが外部の人の目にふれるかというと、ねえ……。
 査読のある論文誌の場合は、査読者が容赦なく批判してくれるので、査読有りの論文誌に問題の主張が出ているかどうか、というのは1つのチェックポイントになる。題名と著者名と発表した雑誌と要約くらいはネットで無料で検索できる。しかし科学の成果は大抵英語で発表されるので、どんな用語で検索するかという部分で素人にとっては既にハードルが高い。その上、最近はオープンアクセスジャーナルの質の悪い論文誌まで入りみだれていて、どれが信用できるかは専門家にきかないとわからなかったりする。
○「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」
 全ての新発見を考慮に入れているかどうかを判定するには、何が発見されているかを、全てとはいわないまでも広範囲に知っていなければならない。そうでなければ、相手の主張が、都合のよい発見だけ選んでいるのかどうかわからないだろう。
 困ったことに、科学の本流でも過渡期のテーマだと全ての新発見を考慮できる枠組みがまだ無い場合がある。とりあえず説明できるところまでやって後から拡張を考えよう、ということもある。
 ということでこの基準も予備知識と内容の理解を要求するものである。
○「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」
 これは予備知識無しに使えるかもしれない。自分の説が認められないのは権威の○○が邪魔してるからだとか、学会の陰謀だとか御用学者の工作だといった類のことを言い出す人は、エセ科学の側の人と判定して説を却下してもおそらく損はしない。
○「証明可能な結果⇔再現性がない」
 予備知識と同事に長いタイムスパンを要求する基準である。生命化学の実験で再現性が無いものがいろいろ見つかって論文撤回騒動になったり、臨床試験がごにょごにょな状態が話題になっている。疫学調査だと、再現性の確認が何年も後になって別グループがやったりする。長い時間が経てば再現性のない結果は捨てられていくのでこの基準は正しい。短い時間で再現性があるかどうかを知るには、即追試をするしかない。そんなことができるのは同じ分野の専門家だけである。素人には使えない基準である。
 なお、「水からの伝言」騒動の時、提唱者の江本氏は自著の中で言葉のイメージにあった結晶写真を選んでいると堂々と書いていたのに再現性のある実験だと勘違いした人が続出したのだから、再現性の判断を大勢が正しくするということは望み薄である。
○「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」
 これも予備知識無しに使える。健康食品系のエセ科学はこれをチェックするだけで相当却下できる。
○「正確な測定⇔おおよその測定」
 測定が正確かどうかを判断するには、正確な測定がどういうものかを知ってなければならない。どれかの分野で測定の経験を積んだ人でないと判断が難しいだろう。素人向けではない。
 理科教育では演示実験という自然を理解するための実験をする。大抵の人が経験する実験だが、これは教育目的の実験で、精度をそんなに気にしなくてもわりとはっきり結果が出るように作られている。演示実験は未知のことがらを確定させる実験とは違う。しかし、大勢の人にとって「学校で習う正統派の実験」とは演示実験のことである。

 それなりの時間をかけて科学の知識のある人が科学とエセ科学の観察を積み重ねれば、科学とエセ科学の対比表にいきつくのはわかる。が、対比表をエセ科学の判断基準として誰でも使える手続きに落とし込もうとした途端にハードルが跳ね上がる。ある程度は英語で情報収集ができ、必要とあれば専門家に取材できるジャーナリストになら使いこなせるだろう。ある分野の技術者が隣接分野について調べることになった場合も何とかなるだろう。でも素人向けではない。
 もっと簡単にするならこんな感じかなあ。
○理科の教科書の範囲で起きることが禁止されている法則に反する主張(エネルギー保存則に反する、化学反応で元素転換など)は却下。
○効果の具体例が、関連のない数多くのものである場合に却下。
 例:糖尿病にもアトピーにもガンにも効く、など。
○提唱者が、誰かの工作や弾圧によって自説が認められないと主張しているなら却下。
○病気になるとか、危険だとか、このままだと大変損をする、といったことをことさら強調する場合は却下。
○うまく見える話はやってくるがうまい話は来ない。
○特許、学会発表、医者や大学教授の名前を出す、有名な施設や研究機関で使われていることを強調していたら却下。
など。
 これですり抜けるものはあるだろうし、まともなものを捨てることもたまにはあるだろうけど、テキはわかりやすくするため情報量を落として宣伝していて、細かい科学以外の部分でインパクトを狙って来ることが多いから、むしろそちらに注目して捨てた方が楽かもしれない。

高校までの理科って大事 その2

 東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。こちらは新年早々です。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
 全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。

福島原発から、トリチウム汚染水が消える日
安倍首相、A社の新技術で「水地獄」から抜け出せ!
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2014年01月07日

「原田さん、ついにやることになりました。2014年になりますが、1月14日にあの有名国立大学で我々の技術を試験してくれることが決まりました」

汚染水問題解決の可能性がある技術とは?

昨年12月半ば。神奈川県にあるヴェンチャー企業に勤める馴染みの副社長氏から、私のもとにメールが飛び込んで来た。その瞬間、私は感激の余り不覚にも独り涙ぐんでしまった。

「そうか、ついに『その日』がやって来たか・・・」

なぜ私が感極まったのか。―――その理由は、このヴェンチャー企業が長年にわたって開発してきた最新技術にある。非常に簡単に言うと、この技術が投入されることによって我が国、いや世界全体が苦しんでいる「福島第一原発から漏出し続けているトリチウム汚染水」という前代未聞の大問題がものの見事に解決してしまう可能性が急浮上するのである。

「まさか。そんなことができるわけがない。並み居る我が国屈指の公的研究機関や大学、あるいは国内外の有名メーカーたちが寄ってたかって取り組んでも、これまでのところ解決できていないではないか」

読者からはすぐにそんな声が聞こえてきそうだ。それもそのはず、大手メディアは「福島第一原発からまたトリチウム汚染水が大量漏出」といった報道を連日のように繰り返してきている。何も手の打ちようがないように思えてしまう。しかし、である。実は政界・官界のトップクラスだけがすでに知っている、究極の解決法があるのだ。それがこのA社の開発している技術なのである。

さて、そこでまず気になるのはこの技術の中身である。生まれたての技術、しかも我が国と世界の命運を握っている技術であるので十分に秘密を守りながら、あえてざっくりとその概要を書くとこうなる:

●特殊加工した炉の中に、オリジナルの溶媒を入れる。そしてその中に気体や液体を入れて、特定の温度で熱する。技術的にはこれだけ、である。無論、その運用には熟練した技が必要だ

●A社の実験施設においては、これまで繰り返し「重水(D2O)」をこの炉の中に入れ、試験を行ってきた。その結果、気体として水素などが出てくることが判明した

●さらにこの炉の中にトリチウム水(T2O)を入れると、水素ガスが出て来ることが判明している。すなわち完全無害化されることになるのだ

2011年3月11日に発生し、多くの人々の命を奪った東日本大震災。それによって被災した福島第一原子力発電所は放射性物質を飛散させ、世界中をパニックに陥れた。その後、事態は沈静化したかのように見えるが、実際には「ストロンチウム」「セシウム」そして「トリチウム」といった放射性物質が通称「フクイチ」からは毎日出続けている。

汚染水が、水素ガス化で完全に無害化される

それらのいずれもが重大な問題なのではあるが、原子力の専門家たちに言わせると「本当に問題なのはトリチウム」なのだという。なぜならばストロンチウムやセシウムについては、ほぼ100パーセント除去する技術が、我が国においてもあるからだ。

この点について詳細を聞いた私に対して、とある国立大学で研究を続ける、この分野の第一人者でもある教授は「除去のための費用は純粋に国産の技術でやる限り、全くかさまない。なぜならばそのために必要なのは例えて言うと『猫のトイレ用の砂』の様なものであり、10キロ数百円くらいの安さだからだ。それなのに、政府はわざわざそのための機材を米国から高いカネを払って購入し、四苦八苦している。専門家の目から見ると全くもって笑止としか言いようがない」と言い切った。

しかしこの有名教授の目から見ても、次々と出て来るトリチウム水は問題なのだという。なぜならば既存の技術ではそこからトリチウムを完全に取り除くことができないからだ。「それではどうすれば良いのですか」と私が聞いたのに対し、教授氏はこともなげにこうつぶやいた。―――「取れないものは仕方がないじゃないですか。薄めて海に流すだけです。早くやらないと福島、いや日本中が汚染水タンクだらけになってしまいますよ」

だが、繰り返しになるがA社の技術は質的に違うのである。なぜならばトリチウム汚染水を完全無害化し、水素ガス化してしまうからだ。無論、細かなことを言えば「水素ガスに酸素が交われば爆発するのではないか」といった難癖をつけることもできる。だが、そもそも水素ガスそのものは無害なのだ。豊かな漁業資源に恵まれる福島県の沖合に半永久的に垂れ流され、それらの漁業資源が失われてしまい、多くの人々が苦しむことになるように仕向けるのと、どちらが「正解」なのだろうか。

通常ならあり得ないことが、目の前で起こっていた

実のところ、私はこのA社のことを3年ほど前から知っている。当時、近しくしていた国土交通省OBからこんなことを言われたのだ。

「水を通すと炉で様々な物質ができてしまうと言っている、風変りなヴェンチャー企業がある。資金繰りに困っているようだ。何とか助けてもらえないだろうか」
「一体、どんな研究者たちが開発しているのだろうか」

そう思った私は急ぎ、神奈川南部にあるA社に向かった。すると何のことはない、(社長や副社長には大変失礼だが)「掘っ立て小屋」のような場所で、熱心に実験を繰り返す民間技術者たちの姿を目の当りにしたのである。「こんな方々がそんな技術を・・・」私は絶句した。

それ以上に現場で驚いたのが、この技術からこの世に生み出される物質の数々である。“我が子”である試験炉を愛おしそうに見つめる社長の方を向いて、右腕である副社長が「それでは入れますよ」と一声かけながらバルブを少しずつ開いていく。しばらくすると温めた炉を抜けて出て来る物質の性質を、傍らに設置された質量計で見ることができる。

「あ、これ見てください、原田さん。普通に考えると、地球上では存在し得ない物質が出て来ていますよ」

地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。そして理論的には宇宙空間のどこかでしか存在し得ない物質が、私たちの目の前に出現していた。私は思わず「元素転換ですね、これは!」と叫んでしまった。

全てのイノヴェーションは「常識を打ち破ったところ」から始まる。A社のこの技術の場合は正しくそうである。だが、そのために実験を始めて10年近くの間、社長そして右腕である副社長が研究の傍ら、ありとあらゆる公的研究機関や有名大学の研究室でこの技術の有意さについて声を枯らしながら訴えても、権力とアカデミズムの住人たちは、これを一切無視してきたのだという。

「理論的にそんなことはあり得ません」

「実験している最中に別の物質が混入したのではないですか。確認しましたか?」

「まぁ、イギリスの有名雑誌『ネイチャー』にでも掲載されれば別ですけれどね。そうしたら本気で見てあげても良いですよ」

社長と副社長の付き添いで同行する私は、彼らが二人をこんな言葉で罵るのを何度となく目の当りにしてきた。何とかその場をとりなそうとする副社長の傍らで、社長は苦笑いをしながら深い憂いのある目を見せている。その眼差しはこんな風に言っているようだった。――「ブルータスよ、お前もか」

折しも、2008年のリーマン・ショック後、A社はたちまち資金繰りに窮することになる。何度となく繰り返し訪れる危機の中で、結果何も助けることのできない私と会った社長と副社長は、場末の居酒屋にて湯で割った芋焼酎で顔を赤らめながら、こういったものである。

「原田さん、私たちはね、金儲けがしたいわけじゃないんだよ。ただ、こんなすごい技術が他でもない我が国で生まれたっていうことを皆に知ってもらいたいだけなんだよ。俺たちはこのニッポンという国がたまらなく好きだから。これを使えば極めて安価に発電もできるし、レアメタルだってできる。『平成バブル不況』で20年も痛めつけられた我が国が起死回生の挽回をはかる絶好の道具にして欲しい、ただそれだけなんだ。何とかしたい、本当に何とかしたいんだ」

資金繰りがいよいよ「最後の危機」へと迫る中、降って湧いた実験結果が「重水の分解」だった。そしてトリチウム水を入れると水素ガスが出て来た。これを使えばあの「フクイチ」は解決に向けて大きな一歩を踏み出すことになるではないか。――そう考えた社長と副社長は再び「要路」(=重要な人々)の間を、駆けずり回ってきたというわけなのである。

14日の実験結果で、「日本」や「世界」が驚く

そしてついに「公的認証」の第一歩としての実験が今月14日に行われるのだ。実験室での生真面目な表情が戸外では崩れ、笑顔を絶やさない副社長は電子メールで私にこう言い切った。

「もちろん、自信はあります。14日の結果、楽しみに待っていて下さい」

我が国が本当に“成長戦略”を求めるのであれば、この技術を用いるしかない。その結果、砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきたアカデミズムの住人たちが、何人も「討死」するのは間違いない。だが、そうした尊い犠牲の向こう側に我が国が「資源がないから従属外交をする国」から「資源がないなら創り出してしまうため、真に独立した国」へと脱皮する道のりがくっきりと見え始めるのである。安倍晋三総理大臣よ、これを決断しないで誰が「日本国総理大臣」を名乗ることができようか。

 私の研究所の公式メールマガジンでも取り上げてきているとおり、我が国には独立行政法人科学技術振興機構が推し進める「元素戦略」が国策としてはある。だがそこで中心に据えられている技術は「『元素』そのものを錬金するのではなく、『製品に必要な希少元素の特定の「機能」を別の元素で置き換える』という意味での錬金術」(中山智弘『元素戦略』(ダイヤモンド社))である。

アカデミズムに暮らす碩学たちを顧慮すれば、“政治的”に言うとこれが限界なのだろう。だが、どうやら「現実」は、明らかにその先をすでに示し始めているようなのだ。2014年1月14日。この日を境に「フクイチ」が変わり、東京電力、さらには我が国、そして世界が変わる。その歴史的な瞬間は、もう間もなくである。

1月18日(東京)、26日(大阪)に行う恒例の年頭講演会(「2014年 年頭記念講演会」、参加無料)のお申し込みはこちらまで。

 いやこれはどう見てもアカンやつだろう。

 まず、筆者の「水素」の書き方がえらく曖昧というか、重水素とトリチウムが水素の同位体だということを認識していないようである。水素H、重水素D、トリチウムTは全て水素の同位体で化学的性質は同じである。だから、これら3つを含んだ水(普通の水=軽水、重水、トリチウムの水)のどれを分解してもH2、D2、T2、あるいはHDとかHTとかDTのような気体が出ることになるが、これらはどれも「水素」だから、「水素が出てくる」と言っても(文脈からすると紛らわしいかもしれないが)正しい。もし、A社がそのように説明したのであれば、A社の装置は放射能除去とは何の関係もない。それを、トリチウムをHに変えると筆者が理解したのなら、筆者の壮大な誤解ということになる。しかし、「地球上では変わらないはずの元素が、明らかにそこでは「変性」していたのである。」とあるので、A社は実際にTをHに変える話を筆者にしたと思われる。この場合、そんな話を真に受けている時点で筆者とA社のインテリジェンスを疑うほかなくなる。

※やや専門的な話になるが、液体の水の中のHは交換している。H2OとD2Oをまぜると、液体の水の分子はH2OとD2OとHDOが元の濃度比を反映して一定割合でできる。T2Oが加わっても同様。電気分解すると出てくるガスもH,D,Tのうちから2つをえらんで作った水素分子となる。

 核反応のエネルギーは化学反応のエネルギーに比べておよそ6桁大きい。だから、化学反応のプロセスをどう工夫したとしても核反応には手出しできない。人為的な元素転換は、加速器を使うか、原子炉を利用する以外の方法で成功した例はない。
 実のところをいえば、人為的な元素転換はみんなやってみたかった。そこそこの技術でできれば応用も広がるのは誰だって思いつくことである。でもって、世界中で長い時間をかけていろんな挑戦してきた結果が全て討ち死にで、その屍累々の上に今の科学の枠組みが作られている。
 だから「砂上の楼閣のような仮説で象牙の塔を塗り固めてきた」という評価は完全に間違っている。専門家が元素転換の話を相手にしなかったのは、砂上の楼閣どころか、実現できないことを実現しようとして過去にどれだけの犠牲を払って核反応と化学反応の知識を積み重ねてきたのかをよく知っていたというだけのことである。数多くの観察事実によって支えられている場合は、科学の枠組みは強固なのである。まず確実にA社は屍を1つ増やすだけに終わる。
 ところで、科学の中でも強固な部分とそうでない部分がある。
 あんまり強固でない方の代表は分子生物学で、頻繁に定説が書き変わったり新しい発見が付け加わったりしている。強固な方の筆頭はエネルギー保存則とエントロピー増大の法則で、どうやってもこれを破れないことを散々失敗して確認する羽目になったというのが科学の歴史でもあった。都合の良いエネルギー取り出し装置を作ろうと夢見て失敗した積み重ねが、この2つの法則が正しいことを裏付けている。結局のところ、自然がエネルギーの取り出しについて制限をかけているということがはっきりしたのである。
 分子生物学の発見は生化学の反応の範囲内つまりは化学反応の範囲内で起きていて、かつ、自然が課している制限には抵触していない。起きてもかまわないことの範囲だから、いろんなことが起こりうるし実際見つかっている。一言で科学の法則といっても、起こりうる現象に制限をかけている部分と、制限の範囲内の話では、その強固さがかなり違うのである。
 強固さの順番でいうと、エネルギー保存則やエントロピー増大の法則、量子論の不確定性関係、光速度一定の法則(特殊相対論)あたりが最も強固で、化学反応で核反応に手出しできない(だから化学反応で元素転換は不可能)というのはこれらに次ぐ位置付けになる。
 そんなわけで、学生に講義するときは「絶対にできないことをやろうとして人生を棒に振らないために知識を身に付けろ」と言っている。専門家だってろくでもないアイデアを考えたりするが、その中で、強固な法則に反するものは真っ先に捨てる。起こりそうにないことをばっさり捨てる知識があるのが専門家で、どれも同じに見えるのは素人ということである。
 A社は純粋に世の中に役立つことを目指しているのかもしれない。しかし、これまでに、いろんな会社によって強固な方の法則のいくつかを破る画期的な発明という触れ込みで投資詐欺の商材が登場したことは何度もあった。強固な方の法則を破るような技術や商品を的確に見抜けなければ詐欺にひっかかることになるし、そういう技術をヨイショする記事を出したら、投資詐欺の被害者を増やす可能性がある。記事を書く側も載せる側も選別眼が必要である。

 ということで、大人になってから、明らかにおかしな会社の紹介記事を書いたり、それを載せたり、その記事を信じたりしないためにも、高校までの理科の知識は大人になってもちゃんと身に付けていてください。もうじきセンター試験で、大学入試も始まりますが、受験勉強で身に付けた知識は受験が終わったら用済みじゃないんですよ。

【追記】
 コメントしたつもりがうまく反映されないので、本文に追記しておく。

 REVIさんから、予想通りの典型的なコメントをいただいた。

「天動説というパラダイムはガリレオにより覆され、ニュートンのパラダイムはアインシュタインに覆された。同様にエネルギー保存や光速度一定というパラダイムも覆されないとも限らない」

 天動説と地動説の場合は、どちらを使った方が星の動きをより記述しやすいかという話であって、地動説によって天動説が示す運動が起きないといった制限をかけるものではなかった。観測した星の動きに対し、どちらのモデルで説明するかという問題だった。
 アインシュタインは光速度一定を提案したが、これは電磁気学とニュートン力学のすりあわせが必要になったため。アインシュタインの理論はニュートン力学の内容を覆したわけではなく、運動の速度が光速度に近い場合の拡張を正しく行っただけなので、運動が遅い場合はニュートン力学で今でも充分良い近似になっている。
 過去に覆った例としてとりあげられたものは、記述の枠組みの選択や元の理論の拡張に過ぎないので、例としては不適切ではないか。どちらも、多数の実験に支えられることによって見えてきた、自然が課している禁止事項らしきものに挑戦して覆したという話ではない。
 私が「強固な」と書いた理由は、あることが起きることを禁止する法則というのは、仮に破れていることが将来見つかるとしても、相当極端な条件で、かつ、今確立している内容を拡張する形になり、実験で支えられている部分は相変わらず良い近似になっていて変更されずに使われるだろうと予想しているからである。
 パラダイムという言葉でもって、禁止事項への挑戦とそうでないものの違いをわざとに曖昧にすることは、自分にも禁止事項を覆す発見をするチャンスがあると勘違いする犠牲者を増やすだけではないかと思う。

高校までの理科って大事

 東洋経済オンラインにこんな記事が出ていました。出てからだいぶ経っています。ツィッターでリンクが呟かれていたので気づきました。
 全体を見た方が良いと考えましたので、敢えて全文引用します。

シェール革命という高貴なウソを信じる日本
インテリジェンスのプロ、原田武夫氏が大胆分析
原田 武夫 :原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役 2013年04月04日

先日、杜の都・仙台に出張したときの話だ。繁華街・国分町の片隅で設けた会食に出席された地元財界幹部の一人の方が、上気した面持ちで私に向かってこう語りかけてきた。

「原田さん、『シェール革命』ってやつはすごいね。何せこれからアメリカでは無尽蔵に採掘できて、しかも温暖化効果ガスの排出量が圧倒的に少ないっていうのだから、エネルギーの未来は、もうこれで決まりなのではないですか」

シェール革命に納得できず

同席していたわが国アカデミズムの重鎮の一人も、続いて口を開いた。「確かにそうですね。仮にアメリカがシェール革命を推し進めるとなると、今、東北大学を中心に取り組んでいる地域経済活性化のための次世代移動体研究プロジェクトがこのままでは失速してしまう危険性があるのです。なぜならばその柱のひとつである電気自動車(EV)は、現状では原子力発電が安定的に継続することを前提としていますから」

私からすれば、いずれも人生の大先輩である。普段ならば黙ってうなずくだけで、特に何も申し上げなかったはずだ。しかしこのときだけは違った。どうにもこうにも納得するわけにはいかなかったからである。「申し訳ありませんが、『シェール革命』は本当に起きるのでしょうか。私は正直言ってかなり懐疑的です」。居住まいを正して私はそう切り返した。

私の著書最新刊『「日本バブル」の正体~なぜ世界のマネーは日本に向かうのか』(4月4日刊行)でも詳しく書き、かつその新刊記念講演会(リンクはこちら)でもじっくりお話しすることなのであるが、「シェール革命」と聞くとどうしても納得がいかないことがいくつかあるのだ。思いつくままに書くならば次のとおりとなる。

◎鳴り物入りで始まった「シェール革命」だが、特にシェールガスはパイプラインがなければアメリカは輸出することができない。その肝心のパイプラインがまったく整っていないのが現状である以上、シェールガスがアメリカから世界、とりわけわが国に向かって噴き出してくるのは“今”ではなく、“将来”である。今から大騒ぎすべき話ではない。

◎つまり「シェール革命」が最盛期を迎えるまでにはまだ時間があるのだが、その間、ほかの国々が指をくわえて待っているとは考えづらい。ナイジェリアなどほかの産出国は温暖化効果ガスこそ大量に出るものの、従来型の天然ガスや原油のダンピング(廉売)を一斉に始めるはずだ。そうなった場合、採掘に費用がかかるため高めの価格設定しかできないシェールガス/シェールオイルにまで触手が伸ばされるのかは甚だ疑問である。

◎ さらには「シェール革命」と言いつつ、アメリカ自身が次世代移動体として電気自動車や水素燃料電池車の開発を加速させているのが大いに気になる。実際、オバマ政権はこの方向に具体的な形で歩み出しており、3月15日にイリノイ州で行った演説で同大統領はこれら「ガソリンを使わない自動車」の実用化のため、今後10年間で20億ドルほどを拠出すると表明したばかりなのである。「シェール革命一本であくまでも行く」という気合いは微塵も感じられないのだ。

「高貴な嘘(noble lie)」という言葉がある。「リーダーたるもの、全体利益の実現のためには時にウソをつかなくてはならないこともある」といった意味合いだ。アメリカはこれまで何度となく「高貴な嘘」でわが国、そして国際社会を翻弄してきた。2003年に行われたイラクに対する武力行使の際、「イラクで大量破壊兵器を見つけた」と国連安保理の場で生真面目な軍人・パウエル国務長官(当時)を使って一大プレゼンテーションを行わせたのがその典型例だろう(その内容はその後、同国務長官自身が吐露したように「真っ赤なウソ」であったことが明らかとなる)

よもや「あのアメリカがここまで正々堂々とウソをつくとは」と思うかもしれないが、それが国際場裏における現実なのだ。そして現状を見るかぎり、誰でも気づくことのできる上記のような「疑問」を踏まえれば、私には「シェール革命」が手の込んだ「高貴な嘘」に思えて仕方がないのである。

アメリカの深謀遠慮とは?

「なぜそこまで手の込んだことをアメリカはするのか。シェール革命でいちばん儲けられるのは自分なのであるから、ウソなどつく必要ないのではないか」。読者からそんな反論が聞こえてきそうだ。しかし大変失礼ながら、そう思われた読者の方は人気漫画「北斗の拳」ではないが、“お前はもう死んでいる”のである。なぜならばまさにここにこそ、アメリカの深謀遠慮が潜んでいるからである。考えられるシナリオはいくつかある。

まずいちばん単純に「シェール革命」が本当に推し進められる場合を想定しよう。実のところシェールガス/シェールオイルの鉱床は確認されているだけでもアメリカ以外の世界各地に存在している。中国や中南米などであるが、問題は現状の天然ガスや原油の価格では低すぎて採算がとれない点にある。したがってこのシナリオにおいて関係各国はいずれも、石油・天然ガスが最も産出されている中東地域が「有事」となり、そこでの生産が不可能となることを強く期待することになる。イスラエルによる対シリア攻撃をきっかけとしたイランとの本格的な戦闘開始、そして「中東大戦争」への発展がその先には見えてくる。

現状では今年秋にもありうる展開であるが、そうなった場合、世界中の株式マーケットは全面安だ。マネーは逃げ場所を求めて日本円に殺到、強烈な「円高」となるわけである。オイルショックに見舞われた世界は、アメリカに「シェール革命」の推進を要請するはずだ。一方、サウジアラビアやイスラエルは戦乱で勝ち残るため、アメリカ製兵器を続々と購入し続けるに違いない。アメリカにとっては一挙両得というわけなのである。

だがここで困るのが中東地域以外の産油国、特にロシアである。通常の天然ガスや石油をめぐる最大のプレーヤーであるロシアは「シェール革命」に反対すべく、中東開戦を阻止し続けようとする可能性が高い。その結果、このシナリオは頓挫してしまう危険性をはらむ。

問題はアメリカにとっても、「そんなことは先刻お見通し」であるはずだという点なのだ。つまりこのとき、アメリカの真意は「シェール」にはない。そしてそうであるとき、アメリカは実のところ周囲をアッと驚かせる次世代エネルギー技術をすでに開発しているはずでもあるのだ。しかしそれをあえて出さずに「シェール革命」なる用語を“捏造”し、しかも天然ガスを今や世界中で買い漁っているわが国にこうささやきかけているのである。

「パイプライン設置のために投資をしてくれたらば、最優先でシェールガス/シェールオイルを特別に分けてあげてもいい。福島第一原発事故の余波で貴国は大変でしょう」

これに“日米同盟”という美辞麗句がつけられれば、わが国要人たちがこれに抗することはまずない。進んで資金提供し、巨大プロジェクトの完成を今や遅しと待つことになるはずだ。むろん、アメリカも日本側協力者に鼻薬をかがせることを忘れないはずだ。たとえば時代はさかのぼって第2次世界大戦後の1950年代、アメリカ国防総省の支援により設立された「日本開発会社」は、いくつかの復興のための巨大インフラプロジェクトに関与していたことが史料から明らかになっている。

しかしそのための資金としてアメリカ国防総省から捻出された資金は、戦後最大の政治プロデューサー「児玉誉士夫」を経由して、わが国政財界の闇へと消えて行ったのである(有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(文春新書)参照)。「インフラ開発に日本を絡ませたときには駄賃がいる」。そうアメリカ側は伝統的に認識しているはずなのであって、わが国からパイプライン建設にマネーが流れれば流れるほど、その一部がわが国へと還流され、再びわが国政財界の闇に消えることは大いにありうる、と歴史家ならば断言するはずだ。むろん、私や読者の皆さんのような庶民の知らないところで。

それでは私たち日本人は、ただひたすら手をこまぬいて見ていなければならないのか。またそもそもアメリカはこの場合、いわば「捨て駒」となるシェール革命ではなく、実際のところ何を追求しているというのであろうか。

次世代の「本命」はシェールではなく、水素

簡単に書くならば、まず前者についてひとつの「光」を先日、わが国の神奈川県・寒川にあるとあるヴェンチャー企業Q社で私は目の当たりにした。シェールガスといっても炭酸ガスは出てくる。ところがこの企業が開発した技術ではこれを「炭酸化ナトリウム」と「水素ガス」へと分離できるのである。つまり「排ガスから燃料ができる」わけで、驚愕の技術なのだ。アメリカがシェール革命を推し進めれば進めるほど、その後ろについてこれを売ることで、わが国は巨利を得ることができる代物なのである。こうした革新的な技術を私たちは大切に育て、全面開花させなければならない。

一方、後者について言うならば、アメリカにとっては実のところ宿敵であるイギリスの態度を見れば答えはすぐ出てくる。上記の拙著でも書いたことだが、イギリスは2015年までに水素エネルギーによる燃料電池車の完全商用化を公的に宣言している。そう、時代は「水素」なのであって、シェールであろうが何であろうが、化石燃料ではもはやないのである。

しかしそれを真正面から追求すると、アメリカはイギリスから何をされるかわからない。それをアメリカが最も恐れているであろうことは、中東の石油利権を争ってきたのが、ほかならぬ米英両大国であったことを思い起こせばすぐわかるのである。だからこそ「シェール革命だ」とアメリカは騒ぎ、「高貴な嘘」をついていると考えると合点が行く。

わが国にとって今必要なのはバカの壁に入ることなく、老練な米欧各国が国際場裏で公然とつく「高貴な嘘」をあらかじめ見破り、私利私欲を捨てて人知れず備えるべく全国民を指導するリーダーなのである。今夏行われる参議院選挙の本当の争点は、実のところ「この一点」なのである。そのことを私たち有権者は忘れてはならない。*5月(奈良)と6月(東京)に、原田氏の新刊記念講演会を行う予定です。くわしくはぜひ、こちらをご覧下さい。

 この著者、炭酸ガスCO2を分解して、炭酸化ナトリウム(って何?)と水素(H)ができるという話を疑わずに信じた上に、革新的な技術だと評価している。つまり、COしか無いところからNaHができるという話を信じている。化学反応をやっている限り元素が生成することは無いというのが化学の基本原理で、これを覆す実験事実は無い。そりゃ革新的だろうね、触れ込みだけは(棒)。
 「高貴な嘘」を疑うのはいいが、ただの間違いや妄想を真に受けてどうするんだと。
 エネルギー問題というが、使える形でエネルギーを取り出すには化学反応に頼る(バイオマスなども生化学の反応を利用するから化学反応の範疇)か、原子力に頼る以外の方法はない。そのエネルギーだってとどのつまりはインフレーションとビッグバンの後の残り物をちまちまかき集めているだけであって(太陽の核融合はその前の超新星爆発の残り物、その前の星形成やら核融合やらは宇宙創生の時のエネルギーの残り物)、有史以来、エネルギーが新たに作り出されたことなどない。
 原子力が逆風のまっただ中だし技術的にも未解決問題が多いから化学反応のシェールやら水素やらを推すというのはわかるが、肝心の化学反応で、元素が勝手に生成するという話を疑いもせず受け入れる人の言うことは全く信用できない。元素が勝手に生成するという前提でエネルギー問題を論じれば、どんな楽観的な結論だって出てくる。ただし全ては夢物語で終わるだろうが。この著者に限ったことではないが、エネルギー問題を議論する前に、高校の化学を復習すべきだろう。

 試験が終わったら理科は忘れてもいいなどと思っているとこういうアホな話に引っかかることになる。大人になってからこういう恥ずかしい内容を書いて満天下に晒さないためにも、「革新的な技術」を主張する変な会社に騙されないためにも、高校までの理科の内容はしっかり身に付けておくべきなんですよ。
 
 

子どもと情緒

 教育現場(学校での道徳教育等)を汚染する大型トンデモ「江戸しぐさ」につけたこのコメント

むしろ、いい話なら出典や根拠はデタラメでもOK、とする情緒と感情優先の考え方が教育現場で猛威をふるっていることが本当の問題では。教員に有意にそういう人が多いかどうかは知らないのですが、教育学部でそういう考え方を否とする教育が行われていないとか、教員採用でそういう人をはねられないといったことがあるのではないかと勘ぐりたくなります。文科相だけの問題ではなさそうにも思います。

がたくさん「いいね!」されてるわけだが、これに関連して気付いたことを1つ。
 基盤教育の科学リテラシーの講義で、科学を道徳の根拠にするな、ということも教えていて、その例として文部科学省の「心のノート」を挙げている。花が折れていたのでティッシュで包帯を巻いた、という作文が掲載されている部分を使っているのだが、これを話した回の出席カード裏の学生のコメントの中に「子どもについては情緒的でよい」という立場からの反論が出てくる。講義の流れとしては、小学生がこういう作文を書くことに批判的なのではなく(心のノートの編集者である大人が)こういう作文を例に選ぶことを問題にしている。つまり大人の考え方の問題として話をしているのだが、大人数を相手にしての講義なので、毎年何人かは勘違いする。勘違いの方向はどういうわけかいつも「こどもらしい感性」に突っ込むのはやぼだというもので、特に教育学部の人が主張しているというわけではない。「子どもにも小さいうちから合理的な考え方をどんどん教えるべき」という主張はウケが悪い。
 つまり、良い話なら合理性も根拠も捨てて良い、というのは、教員だけの問題ではなさそうで、普通に義務教育から高校まで上がってきた生徒の中に既にできあがっている価値観のように見える。
 感情に配慮するなというつもりはないが、「子どもは情緒優先でいい」ということがどういう経緯で前提とされるようになったのか、ずっと引っかかっている。教育学の方で何か確立した話はあるのだろうか。

レポートを読み書きする能力は必須

 ウチの学科は実験を伴う必修の講義が1年次後期から始まるし、卒業研究は必修、卒業論文もほぼ全ての研究室で書くことを課している。学生実験であるので、テキストもあり、やる内容も決まっている。レポートには使った実験器具や実験手順も書くように指導しているが、メニューが決まっているので、書くとなるとほとんどテキストの一部分を丸写しする結果になる。
 わかりきっていることを何故書かなければならないかというと、レポートとしての形式を満たすための訓練である。これをおろそかにして社会に出ると何が起きるかを最近実感した。

 事件は、某水処理装置会社が某管理会社にトルマリンを利用した水処理装置を売ったが宣伝文句が科学としては間違った内容を含んでおり、後から事業を引き継いだ某管理会社2がそのことに気づいてメンテナンス料の支払いを拒んだところ提訴されたというものである。現在進行中の他人の訴訟であるし、議論の本筋と関係がないので、固有名詞への言及は差し控える。
 さて、訴訟が始まり、原告の某処理装置会社は、製品には科学的根拠もあるし大学で測定もしてもらっている、と、製品開発の参考にした日本語の報文(ここで取り上げたもの)や、自社製品を某大学某研究室に依頼して測定してもらったレポートを証拠として裁判所に提出した。被告から、原告提出の証拠について科学的見地から意見書を出して欲しいと頼まれたので、私の出番となった。
 まずは大学で行った実験について検討するか、と、原告が某大学某研究室に依頼して測定してもらったと称するレポートを見たら、これが、主に次のような理由で大変ひどい出来であった。出されたレポートが後から改竄されていないという確証が得られないので、具体的な研究室名は伏せる。

(1)測定に使用した装置の製造元と型番が充分に記載されていない
 レポートには試料の電顕写真やX線回折の結果、元素分析の結果が掲載されていた。しかし、元素分析をどのような方法でやったのかについては、装置も手法も書かれていないため、推測するしかない状態だった。このため、一体どの程度信頼できるデータなのか、信頼性の相場はどれくらいなのかの評価が困難だった。
(2)図のキャプションと、レポートの後の方で出てくる説明が食い違っている
 試料の加熱処理の温度を変えて同じ測定をしたグラフが1ページにまとめて掲載されていた。ところが図番号を示して書かれたレポートの結論を読むと、その中に別の測定法を用いたものが混じっていると読める内容になっていた。キャプションが正しいのかまとめの説明が正しいのか、推測で判断するしかない状態だった。具体的には、元素分析のグラフなのかX線回折のグラフなのかが曖昧という状態だった。
(3)結果について何も言及していないグラフが掲載されている
 部材と錆びた金属片を水に投入し、撹拌しながらpHがどのように変わっていくかを測定したグラフが載っていた。この商品を使うと水道配管の防錆効果があると宣伝されており、錆びた金属片を加えた実験は、セールスポイントである防錆効果を直接確認するものであった。しかし、錆の状態がどうなったかについてはレポート中に記載が無かった。その上、その図の番号を示して結論部分に書かれた説明は「熱分布曲線の測定」となっていた。なお、レポート中のグラフに熱分布曲線を測ったらしきものは存在せず、単純な図番号の付け間違いとも思えない状態だった。
(4)図の縦軸と横軸の判読が難しいものが多数ある
 図のキャプションと説明が食い違うという状態だったので、図の縦軸と横軸がわかれば少しは推測もしやすいところ、判読できないものが多かった。
(5)説明が不十分かつ不親切
 この商品は、上記報文の久保氏の説によるトルマリンの焦電性を利用した水処理を原理として採用していた(この内容自体の是非はともかく)。ところが、大学が出したX線回折の結果は、商品の部材にトルマリンの結晶構造が存在しないというもので、レポートにも文章で明記されていた。トルマリンの焦電性は特定の結晶構造によって維持されているので、結晶構造が壊れれば焦電性もなくなる。トルマリンの結晶構造が無いという測定結果を得たのであれば、焦電性が消失している可能性に言及するのが当然であるべきところ、何も書いていなかった。依頼された方法で測定を行い結果の解釈は依頼者に任せるという立場があることを否定はしないが、こうして裁判所にまで証拠書類として出された挙げ句、宣伝の前提を否定する実験結果であることを晒すくらいなら、説明を書いておくのが依頼者に対して親切だったのではないか。

 こんな具合に、測定を引き受けた教授の印鑑(コピーで見た限りシャチハタっぽかったけど)が表紙に押されていたレポートが、レポートべからず集のオンパレードであった。変なことを言いだす水処理装置会社がいるのはよくあることなので別に驚かなかったが、大学の名前でこんなレポートが民間企業に出されていたことの方にショックを受けた。さすがに、大学の研究室がこんなものを出したとはすぐには信じられず、誰かが途中で改竄あるいは編集したのではないかと疑っている。
 私は、測定法に馴染みがないであろう裁判官のために、用語集や教科書などから引用したものを資料として添付し、それぞれの測定法がどんなもので何がわかるかを解説した上で、問題点を指摘した意見書を書いて被告代理人に託した。
 意見書の中で「もしこの書き方のレポートを学生実験の結果として学生が提出したら,私は間違いなく書き直しを命じて再提出させるか,不合格の判定を出す」と書かずにはいられなかった。読んだ裁判官は苦笑したにちがいない。原告から次回の反論のため某研究室に私のコメントが回されたら、私は研究室を2つばかり完全に敵に回したことになる。

 当学科の卒業生なら、学生実験をこなし指示通りに実験レポートを書く習慣を身に付け、社会に出てからもその基本を忠実に守っていれば、(1)〜(5)にあてはまるようなレポートは書かないはずである。

 ここからは学生向け。
 実験のレポートは個人の成績評価に使われるものだと思っているかもしれないが、社会に出たらそうではない。書く側の心構えとしては、出る所に出される可能性を考えて、評価に耐えられる程度に必要事項を記載しなければいけない。それができなければ批判に晒され信用を落とすし、今回のように、依頼者を裁判所で不利にする材料を提供することにもなり得る。
 逆に、企業等に就職し自社製品に関わる測定を依頼する場合、受け取ったレポートが最低限の形式を満たしているかということや、内容に矛盾が無いかといったことのチェックをしなければいけない。不明なところがあれば問い合わせてはっきりさせるといったこともしなければいけない。チェックのポイントは、これまでに正しいレポートの書き方として指導された項目全てである。
 大学では、全員同じようにトレーニングされるので、まともなレポートが書けて読めることが強みだとは意識しないかもしれないが、最低限満たすべき基準を超えていないと信用されないし身を守ることもできない。今受けている面倒なトレーニングには意味があるということを認識してもらいたい。

チンダル現象が起きなくても光散乱は起きます

 ふと気になって、数研出版の「最新版視覚でとらえるフォトサイエンス化学図録」(平成16年発行)のチンダル現象の解説ページを見てみた。

コロイド粒子は光を散乱させるので、コロイド溶液中を通る光の道筋が見える。一方、普通の溶液に含まれる分子やイオンは光を散乱させないので有色の溶液でもチンダル現象は起こらない。

 確かに私も高校生の頃、こう習った記憶がある。
 東京書籍の化学IIだと、チンダル現象のところに

水溶液では溶質の粒子が小さいので光を散乱しない。

と但し書きが。啓林館の化学IIでは、チンダル現象の写真として、デンプン水溶液、硫酸銅水溶液、水酸化鉄(III)コロイド水溶液、水の入ったビーカーを並べて赤色レーザー光を当てた時の光の通路の写真を掲載している。水と硫酸銅水溶液では光が通っているのが見えない写真になっている。

 これでは、私のところで測定している水のラマン散乱は、はたまた夢か幻か……ということになってしまう。
 実際、研究室配属になった4年生に「チンダル現象でなくても液体があるだけで散乱は起きる」とわざわざ教えなければならないのは、高校でチンダル現象の写真をすり込まれてきているからだろう。

 論より証拠で、コロイドの入ってない液体にレーザー光を当てるとこうなる。

Flowcell

 レーザー光は写真左から入射していて、写真奥の方が集光レンズである。セルの中には横にまっすぐ光の経路(パス)が通っているのがわかる。パスが見えるということは、光の散乱が起きて、散乱された光が目に届いているということである。
 写真の光学セルの中身は、0.2ミクロンのフィルターを通した純エタノール。水でも他の有機溶媒でも大体似たような感じで、物質によってパスの明るさが違う。水はアルコールよりも暗く、ベンゼンはアルコールよりも明るい。
 パスを見せている散乱は、レイリー・ブリルアン・ラマン散乱であって、チンダル現象ではない。この散乱は3つ合わせてもチンダル現象よりずっと弱い。しかし、教科書の写真にあるように、光のパスが全く見えないというわけではない。

 低分子の液体だけでも光の散乱は起きるんですよ!!