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法の不備が親子間の殺人を助長する?

Posted on 4月 8th, 2005 in 倉庫 by apj

 最近、成年以上の子供と親(高齢にさしかかっていることもしばしば)の間で起きる殺人のニュースを見ることが多い。それで、ふと思ったことがある。それなりに年齢の上がった親子間の場合、実は、殺人というのは倫理的にはともかく論理的に正しい解決策なのかもしれない、しかも、日本の法制度上そうなっているのではないか、ということだ。
 時代劇では、放蕩息子を親が勘当するというのが出てくる。勘当は親子間の関係を切ること、つまり、「親の財産を子が相続することもなく、子の財産を親が相続することもなく、お互いの扶養義務もない状態」であるとしよう。今の日本で法的根拠の元にこれを実現するには、実は、殺人以外に手段がない。

 親族の法的意味を考えると、民法では、1)親族に請求・申立てを認める場合(後見開始など)、2)親族であることが欠格事由となる場合(近親婚の禁止など)がある。これ以外に、民訴と刑訴(裁判官の除斥理由)、刑法(親族間の犯罪に関して)にも出てくる。
 親子同志で殺人が起きるほど関係がこじれている場合には、情緒的な部分を取り除くと、とどのつまりは扶養義務と財産相続と近親婚の禁止位しか残らない。
 まず、民法では、

第八百七十七条  直系血族及び兄弟姉妹は、互に扶養をする義務がある。

と定めている。ただしこれは倫理規定であって、「扶養せよ」という判決をもらっても強制執行はできない。
 次に、相続について。親子であれば、どちらか一方が財産を残して死んだ場合、相続権が発生する。

第八百八十二条  相続は、死亡によつて開始する。

となっている。相続の放棄は可能である。

第九百十五条  相続人は、自己のために相続の開始があつたことを知つた時から三箇月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。但し、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によつて、家庭裁判所において、これを伸長することができる。

 重要なことは、相続をあらかじめ放棄することができない、ということである。権利の発生現が被相続人の死亡だから、被相続人が生きている間は権利が発生せず、存在しない権利を放棄することは法律上できない。
 人間の心は変わりやすいし、第一人間の行動は元々信用ならないものだから、相続人が相続を放棄するかどうかは、その場になるまでわからない。遺言状で財産を渡さないと書いても、遺留分だけはどうにもならない。あらかじめ、お互いに相続をしないことを法的に確定させることは、日本の民法ではできない。
 つまり、親子の間でどれほどお互いがイヤになっても、扶養と相続をあらかじめ解消し、勘当なり離縁なりをすることが、今の民法ではできないということである。
 ここでもし、親子のうち一方がもう一方を殺害すれば、扶養と相続を一気に解消することができる。民法では、殺人は相続の欠格事由である。

第八百九十一条  左に掲げる者は、相続人となることができない。
一  故意に被相続人又は相続について先順位若しくは同順位に在る者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者

 例えば、子が親を殺した場合、民法の規定に従って、親の財産を相続する権利を失う。親が既に死んでいれば、子がその後に死んだ場合、子の財産を親が相続することはない。同時に、既に死んだ者に対する扶養というのは物理的にあり得ないから、子は親の扶養からも解放されるし、逆も同様である。親だけではなく、兄弟姉妹とも縁切りしたいと思った場合、親兄弟姉妹皆殺しを実行することになる。ほとんど、横溝正史の小説のような世界が展開することになってしまう。しかし、どんなにがんばって猟奇大量殺人事件を起こしても、殺人を実行した子供にさらに子供が居た場合(つまり殺された親の孫)には、(しつこく)代襲相続が発生する。大量殺人をやっても完全に切ることができないという、ある意味非人間的な関係が、日本の民法が定める親子関係なのである。ここまで抜き差しならない関係を個人に強制してしまうのは、法の不備ではないかと思う。
 なお、戸籍制度には、分籍というのがあるが、分籍したところで親子の財産・扶養の関係は存続してしまうから使えない、

 成年を過ぎた親子間の殺人事件は、どうやっても親子関係を解消できないという閉塞感が当事者を追いつめたことが、原因の一つになっているのではないだろうか。殺人に着手したときに冷静に民法の条文を思い出す人はほとんど居ないだろうが、それでも、親子というのは殺し合いでもしない限り解消できない関係だということは、みんな何となく肌で感じて知っているのではないか。

 顔も見たくない関係も断ちたいというところまで関係が悪化した場合、法的に親子関係を解消できなければ、殺意が生じるのは充分あり得ることではないか。もし、家庭裁判所を通してムニャムニャ、という面倒な方法であっても、お互いが生きている状態で親子の関係を完全に解消する道があれば、殺人よりはこちらを選ぶ人がそれなりに居るのではないかと思う(もちろん、世の中には、制度とは無関係に殺人を優先する奴も少数は居るだろうが)。また、「もうどうにもなりません」と相談された周囲の人だって、当事者が完全に思い詰める前に、離縁する方法がある、とアドバイスできるようになるはずである。

 親子でいがみ合って殺し合いをするよりは、そこまで行かないうちに法的に関係を解消できる制度を作った方が良いのではないだろうか。殺人よりは、「勘当」「離縁」の方が圧倒的に世の中には受け入れられやすいだろう。近親婚かどうかのチェックは、戸籍をたどることにすれば簡単にできるはずである。