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なぜ最終回を必要としたのか?

Posted on 2月 7th, 2007 in 倉庫 by apj

 ドラえもん二次創作ネタで連続になるが、昨日のエントリへのコメントを書いているうちに浮かんだ疑問である。
 なぜ、彼ら(=ドラえもん最終回を求めた人、考えた人、語り継いだ人、同人誌を求めた人)は、最終回を必要としたのか?
というのが私の問いである。もしかしたらこの問いには意味がないかもしれない。私自身も今のところ答えを持っていない。
 比較対象として、私もファンである某アニメの状況を語ろう。私の世代がリアルタイムで見てきたものだから、とっくの昔に最終回を迎え、物語は完結している。主人公の年齢は十代で、見ていた頃はちょうどお兄さん・お姉さんにあたる世代だった。アニメは終わったが、視聴者の方はとっくの昔にその年齢は過ぎ去り、今や、当時のアニメの登場人物の中の高年齢層に近い年齢になっている。ファンの考えは2通りに分かれている。「○○(登場人物)は永遠の××歳(設定年齢)、自分たちと同じように年を重ねたとはどうしても考えられない」「○○は(物語が終わった後で)きっとこんなふうに過ごして、今はこうなっているに違いない」の2通りである。設定のままと考える立場と、物語が終わった後同じように時を過ごしたという考え方である。後の方の変形として、終わった後の数年間くらいのスパンで登場人物達がどう過ごしていたかをあれこれ考えている人もいる。物語が終わった後を考えるのはファンだけではない。モノによっては制作者サイドからリメイクが出たり、続編が出たり、同一世界観だがパラレルワールド的な設定で新作が作られたりすることもある。
 いずれにしても、「終わってしまった物語」に対して、積極的に「物語を続けること」を考えるファンというのが一定数居るということである。
 これらの状況をふまえて、やっぱり出てくる疑問は、
 なぜドラえもんの最終回が必要とされたのか?
ということである。ドラえもんの世界は全員が「永遠の○○歳」である。のび太は歳をとらない。中学生になることもない。物語の世界の日常は繰り返される。既に終わった物語のファン達の方は、登場人物に対して「永遠の××歳」と思っていたりするのに、なぜドラえもんに共感した人達(の一部)はここで最終回を、新たに作ってまで求めなければならなかったのか?物語が続くことに満足できなかったのか?
 作り出したものが成長しないといって腹を立てたのは、鉄腕アトムの天馬博士くらいのものだと思っていたのだが……。

(今回、私にも答えはないが、折に触れて考える問いとして一応ここにメモしておく。まだうまく言葉にならないのだけれど)


ここからは旧ブログのコメントです。


by ながぴい at 2007-02-13 11:06:13
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

「永遠に終わらない日常のドタバタ劇」をテーマにしたアニメといえば、まず思い浮かぶのが「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」かな。

終わらないアニメの代表格といえばサザエさんとドラえもん?

ドラえもんについては「すべてが植物人間ののび太の夢だった」という極めて暗い夢ヲチ最終回が都市伝説化してネット上で出回ってたわけで、ファンの中では「都市伝説でもいいから、もっと明るい最終回を!」という願望があったのではないでせうか?

そう思うとつじつまが合う。
一万部以上ものぱちもん同人誌を売ってしまった原動力は「暗い最終回」を中和するために「よい最終回」を大量に流布する必要があったのでは?

すみません、昨日も今日も酔っ払ってます…


by 傍見頼路 at 2007-02-57 15:51:57
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

ドラえもんの世界は、のび太の子孫のセワシがいる未来が深く関係しているので「永遠に終わらない日常」では完結しない居心地の悪さがありますよね。
それが同じような最終回がそれほど流布しなかったサザエさんとの違いじゃないでしょうか。


by newKamer at 2007-02-22 19:16:22
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

 新たなドラえもんアニメが作られた(声優も絵も違う)というのが一要因になったのではないかなぁ?と思います。


by B-51 at 2007-02-41 20:49:41
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

私の趣向としては、「その後まで考えてしまう」タイプです。
なぜそうなのか説明するのは難しいですが、ストーリーを俯瞰するのではなく、没入するタイプの楽しみ方をするからかもしれません。
ですので、特に「きちんとした物語の流れ」があるもので、「世界設定に魅力を感じる」タイプの作品では、この傾向も顕著です。

まあどちらが良いとはいえないと思いますが、こういった傾向を持つ人はどうやっても居なくはならないと思います。
その意味で、二次創作とかはある一定の制限を設けた上で、基本的には許可するほうが文化としては実りあるものになるのではないかと思います。


by トゲナシ at 2007-02-32 21:03:32
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

 ~まとまりの無いメモですが、こんな風に考えました~

 どのような物語も、別の、より大きな物語の一部でしかなく、人間は永遠に「全体」を手にすることはできない、という絶望。

 それでは「時間」は?時間の最後は?(『時間の墓標』ってタイトルのSFがありましたが) 
 始まりがあったかどうかはっきりしないものは、終わりもはっきりしていなくても違和感は無い。

 しかし、少なくとも「自分にとっての時間」はいつか終わる。自分という、いつの間にか始まっていたこの究極の物語。

 永遠の宙吊りは耐えられない。始まりがあったからには終わりが無ければ。ドラえもんの始まりはみんな知っている。誰かサザエさんの始まりを知っているか?

 結論:ドラえもんは「お話の始まり」がはっきりしているお話だから、「納得できるおしまい」が必要。始点と終点のある直線構造なのか、無限循環の円環構造なのかは別として。


by metanest at 2007-02-00 04:55:00
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

最近「ドラえもんプラス第5巻」に収録された「45年後…」があるではないか、という意見も出てますね


by nomad at 2007-02-00 07:52:00
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

ドラえもんは学年誌に連載されていたので、少なくとも4回最終回がある、といいますよね…
僕自身はドラえもんは藤子さんの最高作品とは思っていません。
石森の仮面ライダーや手塚の鉄腕アトムみたいに「売れた作品」だとは思いますが。
ルーチンワークのひとつとしか思えないんですよねえ。
なので、いまひとつ、最終回を求める気持ちがわからないです。

エヴァンゲリオンの自作最終回というのをいくつか立ち読みしましたが、愚作ばかりで辟易したことを思い出しました。


by 越後屋遼 at 2007-02-20 10:55:20
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

ドラえもんは優れたSFだと思いますが、大きな矛盾があるんだよね。

ドラえもんは「ただひとつのエピソード」を除いては、未来は何をやっても、それが行われた結果として存在しているために、変わらない、という流れが描かれているんですよね。

そのただひとつのエピソードが、よりにもよってドラえもんが現代に来る理由そのものであるがゆえに、どうにもなっとくが行きません。

ちなみに私はネット上に流れていた「勇者王ガオガイガーOP主題歌のドラえもんネタ替え歌」の作者です、実は。
つまり私も人のふんどしでウケを狙った張本人のひとりですね^^;


by B-51 at 2007-02-43 20:53:43
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

>よりにもよってドラえもんが現代に来る理由そのものであるがゆえに

「ドラえもんの秘密」(だったかな?)では、その理由として以下のような推測をしていましたね。

そもそも、のび太がジャイ子と結婚するという未来は「のび太を発奮させるための作り話である」と。
なぜなら、もしセワシ君がのび太-ジャイ子の子孫だとしたら、しずかちゃんと結婚することになるとセワシ君が消えてしまうということだったかと思います。
それに、そんなに貧乏だという割にはドラえもん(とドラミちゃんまで)を持っていたり、セワシ君の家がそれなりに裕福そうだったりしているのも根拠になっていたと思います。

実際には他にもいろいろ矛盾点はあるのですが、まあタイムマシンを扱う限りパラドックスからは免れられないので、ある程度の矛盾はしょうがないのでしょうけどね。


by と at 2007-02-30 21:17:30
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

パラレルワールド論(?)を使ってみると・・・

セワシ君(元の世界)はドラえもんが来なかった世界の未来から来ているわけですが、ドラえもんが来た時点でドラえもんが来た世界(作中の世界=新しい世界)が生まれるわけです。そして、その新しい世界の結末を、セワシ君(元)はタイムトンネルを調整して早送りして見る訳です。それが望ましい未来であれば、セワシ君(元)がセワシ君(新)を殺して成り代わるわけですね。そして、タイムトンネルをこっそり新しい未来に付け替えて知らん振りをしているわけです。共犯はドラえもんとドラミちゃん。

果たしてのび太はパラレルワールドからやってきたドラえもんたちから、自分の真の子孫であるセワシ君(新)を守れるのか、というのが最終回に(違


by apj at 2007-02-09 23:10:09
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

metanestさん、
 情報ありがとうございます。
時間的に見て一番後のものがほとんど最終回扱いになるんでしょうかねぇ。


by 越後屋遼 at 2007-02-01 08:29:01
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

ちなみに「ちゃお」に連載されていた「ドラミちゃん」(作者は藤子さんじゃないです)では、ジャイ子の家にドラミちゃんが居候してジャイ子の「のび太くんへの恋」を応援していました。


by 越後屋遼 at 2007-02-38 08:42:38
Re:なぜ最終回を必要としたのか?

ま・・・間違ってました。
のび太くんじゃなくて他のカコイイ先輩でした(苦笑)。

確認してよかった(ほっ)

危うくデマ流すところだった。