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「二十歳の民事訴訟」を!

Posted on 5月 13th, 2005 in 倉庫 by apj

 昨日に引き続いて、中西氏の訴えられている件について考えてみた( 掲示板 の方のVulkanさんとTamaさんのコメントが参考になった)。
おかしいと思うのは、どう考えても、名誉毀損訴訟としては、余分な話を出しすぎで、本来の趣旨から外れているという点である。
 民法で該当するのは

第七百九条  故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス
第七百十条  他人ノ身体、自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合トヲ問ハス前条ノ規定ニ依リテ損害賠償ノ責ニ任スル者ハ財産以外ノ損害ニ対シテモ其賠償ヲ為スコトヲ要ス

の2つである。ところで、名誉毀損は刑事でも定められている。

(名誉毀損)
第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
(公共の利害に同する場合の特例)
第二百三十条の二 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

 この、刑法二百三十条の二は、民事の不法行為の判断においても同様に適用されるという判例がすでにある。
 松井センセがウェブであれこれ書かれてブチキレた挙げ句訴訟に走ったとして、原告側弁護士が「松井氏が個人的な名誉回復だけを求めて提訴したものではない。」なんて書くのは、一体何を考えているのかと思う。提訴する側の主張とは、普通は「名誉が毀損され、回復措置と損害賠償を求めてもちっとも相手が応じないから提訴する」ってな内容になるはずで、民事訴訟とは実際そういうものだと理解しているわけだが。大体、被った損害の回復以外の目的に裁判を利用するのは、明らかに裁判所の目的外利用である。法律素人の松井センセが言うのならともかく、代理人弁護士がこんなことを提訴の直後に言ったら、裁判官の心証をおもいっきり悪くしそうに思える。感情にまかせて原告がこういうことを言い出したら、弁護士が止めるものではないだろうか。被告側としては、「名誉毀損といえるほどの内容はそもそも無かった。本件訴訟は名誉毀損とは関係のないことを争うために起こされたので訴え自体にほとんど意味がない」てな主張だってできそうだ。そもそも、原告側弁護士が「松井氏は、研究者として、国民の一人として、中西氏のこのような誤りを断じて見過ごすことはできないものと考え、貴重な研究時間を割いて、敢えて本件提訴に踏み切ったのである。」なんて主張してるわけで、やりたいことは名誉の回復と損害の賠償ではないと明言してしまっている。仮に、論点をそっちに誘導したいという意図があったとしても(どんなメリットがあるのか全く謎だが)、あまり上手い方法とは思えない。
#まさかと思うが、松井センセがおかしな弁護士に入れ知恵されたってことはないよな?科学的に誤りを言ったって理由で簡単に訴訟に走るようでは、松井センセの研究者生命の方が先に終わるんじゃないのか。
 また、裁判所で取り扱えるのは、

裁判所法第三条(裁判所の権限)
裁判所は、日本国憲法 に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。

とあるように、「法律上の争訟」だけであって、環境ホルモン騒動が済んだ話かどうかを司法で判断するなんてことはそもそもあり得ない。法律素人の松井センセが勝手に勘違いしたというのならわからないでもないが、プロはそんな勘違いはしないものだと思っていた。だから、この点でも、代理人弁護士が一体何を考えているのか理解に苦しむ。
 また、「公益性」を主張するとしたら、大抵は、名誉毀損で訴えられた側が、名誉毀損にあたらないことを言う時だろう。原告の方から公益性を主張して行う名誉毀損訴訟というのは、相当に変なことではないのか。
 ここらへんの感覚は、訴状や告訴状を書いてみればわかる。私自身、告訴状が終わって訴状制作中のまっただ中だったりするわけなんだが。
 ともかく、意味不明な訴えに至った経緯を読み返して、これは「訴訟のための訴訟」ではないかと思っていたら、掲示板の方で、「環境ホルモン騒ぎが終わっては困る人達が得をする」のではないかという指摘があって、なるほどと思った。さらに「中西先生が訴えられたということがメディアに取り上げられることが目的」だそうで、まだまだ「世間」に残っている「訴訟への偏見」を利用して、中西先生の信用を落とすことが目的ではないかという指摘もあった(そうなると、原告側代理人弁護士が環境カルトに関わってるかどうかもチェックポイントの1つになるだろう)。

 そうであれば、(環境問題は専門外の)私が個人的にこの件で(面識のまったくない)中西先生を応援する理由ができる。そこで、「二十歳の民事訴訟」が標語となるわけだ。

 もともと、「二十歳の民事訴訟」を言い出したのは、悪マニ掲示板の常連の「ものつくり屋」さんである。この標語の趣旨は、社会に出るときに一度は民事訴訟を経験しよう、という意味である。もちろん、現実に実行するにも、そうやたらと訴訟の原因が転がっているわけではないし、第一裁判所がパンクするだろう。この標語の趣旨は、社会に出る時に民事訴訟の仕組みをちゃんと知っておこう、という意味である。
 日本の法は、自救行為の禁止が原則である。つまり、穏やかに催告して応じてもらえなければ、強引に金払えなんてやってはいけなくて、訴訟をしなければならない。民事はとどのつまりは言った・言わないの争いで、法にのっとって裁判官を納得させた側が勝つ。普通に商売をしていたとして、代金を払わない奴にあたったら、払ってちょうだいって手紙出したり穏やかに催告したりして、それでだめなら裁判所を通して請求することになる。つまり、民事訴訟というのは結構身近なものである。だからこそ、現実にかかる費用と手間以上の「敷居の高さ」という偏見は無くす努力をしなければならない。また、訴え・訴えられたことで、訴訟外で不利益を被るような偏見も無くす努力をしなければならない。これは、嫌がらせで提訴される可能性の高いウェブサイトをやっている私自身にも関わる問題である。訴えるだけなら割と簡単にできるし、応訴する側はそれなりの手間も金もかかるから、嫌がらせとしてはそこそこ有効(ただし訴える側も金と手間がかかるしリスクも負うけどね)な方法でもある。

 中西先生には、ぜひきっちり応訴して、変な負け方をしないように最後まで戦ってもらいたいと思う。可能なら、訴訟の顛末を本にでもして世に問うてほしい。この手の本で関心したのが「判決 訴権の濫用」というもので、創価学会が巻き込まれた虚偽訴訟の顛末をまとめたものである。類似のものを出すことができれば、「訴訟に偏見を持つような人は縦書きの本にも容易にだまされる」ことが予想されるため、中西先生の被る不利益をメリットに変えることも可能ではないかと思う。