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911陰謀論と水伝との温度差

Posted on 6月 8th, 2008 in 倉庫 by apj

 @niftyニュースの記事より。

<失言>「9・11テロは米の自作自演」 藤沢中学教諭謝罪

2008年6月5日(木)2時35分配信 毎日新聞

 神奈川県藤沢市石川の市立善行(ぜんぎょう)中学校(塚原喜三校長、449人)の20代の男性教諭が5月下旬の授業中、米同時多発テロ(01年9月11日)について「9・11テロは米国の自作自演」と発言していたことが分かった。生徒から聞いた関係者が市教委などに抗議し、同中は今月1日、PTA役員らを集めて謝罪した。

 同中から報告を受けた市教委によると、教諭は社会科担当。5月26~29日に、2年生の4学級(145人)のそれぞれの授業でこの発言をした。授業を受けた生徒から「本当に自作自演なの」と尋ねられ、驚いた親族が「こんな授業をしていいのか」と同中や市教委に抗議し発覚した。

 市教委の桑山光生学校教育課長は「教諭本人は、物事の見方は一つじゃない、と説明する例として『自作自演との説もある』と言いたかったようだ。しかし、あまりにも例が悪すぎた。厳重注意する」と話している。【永尾洋史】

 911陰謀論については迅速に反応したくせに、道徳教育の「水からの伝言」の実践については、実践例が圧倒的に多いにも関わらずほぼ完全スルーしていたのはどうしてだろう?>親族&学校&教育委員会。例の悪さという点では、「911陰謀論」は「水からの伝言」といい勝負の筈だけれど。教諭が偏った見方をしているのは確かだし、今回のチェックをしたことは評価する。しかし、チェックの基準の方だって偏っているように見える。「911陰謀論」に敏感に反応するのなら、「水からの伝言」にも同程度に反応してほしい。どっちの話も駄目なのは確かなので。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 石田剛 at 2008-06-20 03:20:20
Re:911陰謀論と水伝との温度差

石田は 9.11 の悲惨さが目立つ分、「水伝」より強い反応があったのではないかと想像しています。
情緒的な面では「9.11陰謀論」の受け入れ難さは、際立っている気はしてます。ただし、教育としてダメなのは、確かにどっちもダメですね。

けど、「教育としてダメ」を言い出すと、例えば町田市教育委員会では 2007年 に森昭雄氏の講演会を後援してたりします。もちろん、この講演会では、「ゲーム脳」の理屈に沿った話がされています。

まだまだ、教育現場の方々に、これらがどのようにダメかの理解が普及していないんだろうと、石田は考えています。


by apj at 2008-06-00 05:29:00
Re:911陰謀論と水伝との温度差

石田剛さん、

>どのようにダメかの理解が普及していないんだろう

 それもあるかもしれませんが、「何が駄目かの理解が普及していない」のではないかと危惧しております。何て言うか、
・911陰謀論→多くの犠牲者をないがしろにする、あるいは遺族の気持ちを逆撫でする
・水伝→いい言葉を使いましょう
・ゲーム脳の恐怖→ゲームのやり過ぎはよくない
のように結びつくように私には思えるのです。でもって、判断基準が「情緒」のみだというところに問題がある。これらの話は、3つとも合理性に欠けるという点ではどれもいい勝負なんですが、あとの2つは結論が情緒的に受け入れやすい「いい話」なんですよね。だから、もし、チェックの基準が主に情緒しかないとしたら、その方がもっと深刻な問題ではないかと。


by 酔うぞ at 2008-06-36 09:22:36
Re:911陰謀論と水伝との温度差

    判断基準が「情緒」のみだというところに問題がある。
    これらの話は、3つとも合理性に欠けるという点では
    どれもいい勝負なんですが、
    あとの2つは結論が情緒的に受け入れやすい
    「いい話」なんですよね。

言うまでもなく、合理的で良い話であれば問題ないわけですが、小学校から高校まで行っていると、
今の学校では時間的に余裕がないから
「AもBも」というところを「Aで済ませてしまえ」となりがちなのがよく分かります。

apj さんにもお手伝いいただいた東山中学で生徒から出た質問に
「問題のあるサイトをなぜ取り締まることが出来ないのか?」というのがありました。

答えとしては「取り締まっても別のがすぐに出来る。避ける方が簡単だ」としましたが、
今の世の中がデジタル的な答えの求め方で進んでいく動き自体にいささか危惧を抱いています。

これも先に書いた「時間がない。複雑なことをやらない」の表れかと思います。

最近気になっているのが「小学生に足し算をどう教えているか?」です。
多分「リンゴの数は幾つ」といった手法でしょうし、これは昔から同じでしょう。
問題は、足し算の中には個数ではなくて量の足し算もあるはずなんですよ。
そこをいつ教えているのか?

世の中の実務では、足し算ですら電卓つまりデジタルですから、
日常的に量という典型的なアナログを扱うことが極めて少ないのです。
こんな事も含めて、教育内容が痩せているとでも言うべき状況なのじゃないのか?
と思うところで、どうやれば教育内容を豊かに出来るのか?を考えて実現すれば、
apjさんが紹介した例も笑い話に出来るはずだと思うのですがねぇ。


by apj at 2008-06-30 10:11:30
容積とか単位とか

酔うぞさん、

>問題は、足し算の中には個数ではなくて量の足し算もあるはずなんですよ。

 私が小学生の時は、確か2年生か3年生くらいで、容積の話を習いました。1リットルとか、1デシリットルといった単位の関係で、水を測って容器に入れてどうなるか、といったものでした。ちょうど、親が買ってくれていた学研の教材で、1リットルのプラスチック容器で目盛りがふってあって、容器の蓋のカップが線まで水を入れると1デシリットル、ってのがあり、水遊びに使っていました。

 小学校理科では、量の関係を意識させない演示実験が行われていましたねぇ。むしろ、家庭科の調理実習で、計量カップで水を測るとか、大さじ小さじで調味料を測るといった体験を通して実感として身に付けていったと記憶しています。


by いろものさんの近所 at 2008-06-15 21:34:15
Re:911陰謀論と水伝との温度差

素人なのでまちがっているかも知れませんが。

数=ディジタル的=離散的
量=アナログ的=連続的

という分類では無い思います。
# 実数は連続的ですし。。。

ちなみに、小学校の算数では量や数を意識して計算させる事はあまり実行されていないと思われます。

教育大の方から伺った話ですが、それでも小学校の理科専科は、理科教育の出身の方が多いのですが、算数専科で算数教育出身の人は、ほとんどいないそうです。

残念ながら大学での教職課程の小学校課程はどちらかというと「文系」に分類されており、ほとんどの小学校教員は高校2年生あたりで、理数的な学習を放棄した人達になってしまっています。

この辺にも、apj さんのいう情緒的判断がはびこる原因があると、私は考えています。

さらに困った事に、今後ゆとり世代が現場に立つようになると、大学入試のプレッシャーも小さくなってますから、下手をすると昔の中学生程度の学習経験しか持たない人が、教壇に立つようになります。(一部既に起こっている)


by 北川 at 2008-06-10 22:31:10
「結論への関心」と「理由付けへの無関心」

要するに、結論に興味があるだけで、そこにたまたま付随している理由付けにはほとんど関心がないのでしょう。つまり、結論に対する価値判断があるのみで、そこにたまたま付随している理由付けに対しては何ら価値判断を行っていない。水伝はダメだという重大な価値判断の共有をして貰うためには、水伝の結論ではなく、水伝が行っている理由付けに関心を持って貰うことから始める必要がある

理由付けに無関心という点では、911陰謀論もゲーム脳も同じだと思いますが


by ドラゴン at 2008-06-55 04:15:55
Re:911陰謀論と水伝との温度差

いろものさんの近所さん

>ちなみに、小学校の算数では量や数を意識して計算させる事はあまり実行されていないと思われます。

本筋とは離れそうですが。本来はこれを意識するように工夫はされております。
例えば、教科書では、このようにもなっております。
http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/10/10_05.htm
これは一例です。
1年生でまず混同するのが集合数と順序数の違いです。
個数と量となると、特に時期は定まっていないと思いますが、いろいろな場面で意識づけるようにしているはずです。

時間を量としてとらえにくい子どももいますので、時刻と時間の混同して、なぜ時間が足せるのかイメージできない子どももいます。
角度もそうです。量としてイメージしにくいところです。
そういうそれぞれの場面で、具体物を使ったり、教具を工夫したりして、実感できるようにされています。

よくあるのが、量分数と分割分数の違いとかありますね。
1/2を半分とみるか0.5とみるか、場面によって使い分けができないと混乱します。
もう一つ、等分除と包含除。6÷3を、6を3つに分けると考える考え方と6の中に3がいくつあるかという考え方です。
3つに分けるしかイメージできないと、÷0.3がイメージできません。小数点の位置も、6の中に0.3がいくつあるかとイメージできると、間違えにくくなります。
本来では、こうしたことを積み重ねて、数や量や式などの概念を積み重ねていくんです。

しかし実際は、小学校では専科ではなく学級担任なので、算数教育のよくわからない教師もたくさんいます。
そういう教師は、いわゆる指導書を見てその通りしようとしますが、指導書の裏にあるところまで読み取ってもらえません。
そのため、自分が習ってきたやり方で教えることもよくあります。
例えば6÷0.3も手順だけを教えて、繰り返すだけです。
それだと、比の学習で応用も利かなくなりますし、小数点の位置もよく間違えるようになります。

>教育大の方から伺った話ですが、それでも小学校の理科専科は、理科教育の出身の方が多いのですが、算数専科で算数教育出身の人は、ほとんどいないそうです。
これは誤解があると思います。
元々、小学校では算数専科というのはありません。理科専科、図工専科、音楽専科などはありました。
ご指摘の算数専科が、少人数指導担当であれば、まあ学校で余った先生が充てられる場合もありますので、算数教育出身でない教師もいます。
それでも、学校の算数主任とか算数の中心となる人は、やはり算数教育出身の人です。東京学芸大学にも横浜国立大学にも、教員養成系の大学には、数学教育の講座(大学では算数教育の講座とは言いません)があります。じゃあ、ここの卒業生は、教師になっていないのでしょうか。国語や社会や理科と同じような割合で、算数教育の講座出身の教師はおります。

>この辺にも、apj さんのいう情緒的判断がはびこる原因があると、私は考えています。
私は、このような情緒的判断をした教師には理系もいると考えています。決して文系だけではないでしょう。
教師には、元々「子どもをよくしたい」という強い願望があります。apjさんも教え子が希望通りの進路へ行くことができたらうれしくなるのではないでしょうか。そういう気持ちが第一なんだろうと思います。
ですから、北川さんのご指摘の「結論への関心」が大きいのだろうと思います。
また、酔うぞさんのご指摘の、時間の余裕のなさもあるでしょう。
ゲームのやりすぎで宿題を全然やってこない子どもには、ゲーム脳で説得したくなるような気持ちも分からないではありません。もちろん肯定しませんが。
そのあたりが、理由だと思います。ただ、それへの対策は思いつきませんが。
長文になりました。ご容赦下さい。


by 酔うぞ at 2008-06-39 05:47:39
Re:911陰謀論と水伝との温度差

少なくともわたしにとっては、電卓なんのては社会人になってから見たものですが、今でも化学室の秤もデジタルですね。

数学の教育というか観点でのアナログ・デジタルの問題が以前から同じであったとしても、今の子どもたちが、社会や家庭で実際に触れる数値はほとんどがデジタルでしょうね。

そうなると、昔は「デジタルとは」とやっていたのを「アナログとは」に直さなきゃいけないのではないのか?
なんて考えているわけです。

どんなもんなんでしょうねぇ?


by apj at 2008-06-29 05:57:29
アナログとデジタル

酔うぞさん、
>昔は「デジタルとは」とやっていたのを「アナログとは」に直さなきゃいけないのではないのか?

 数値が出る、というとつい信じたがる性のようなものがあるかもしれませんね。

(何桁もあるデジボルを前にして)
学生「先生、数値が安定しないので読み取れません」
先生「こうすれば読み取れる」(と、変動しまくっている下の桁のあたりにガムテープを貼る)

 という逸話は、私が学生の頃からありましたし。

 電気回路は……最初アナログ、次デジタル、デジタルで簡単になったかと思ったら、デジタルの速度が上がりすぎて配線を全部伝送線理論で扱わないと解けなくなってまたアナログに逆戻り、ですけど。


by いろものさんの近所 at 2008-06-20 06:34:20
Re:911陰謀論と水伝との温度差

たぶん間違ってないと思うので、もう一度

量=連即的
数=離散的

の分類は変です。個数と数同じものではありません。

それから補足です。

ドラゴンさん
> ご指摘の算数専科が、少人数指導担当であれば、まあ学校で余った先生が充てられる場合もありますので、算数教育出身でない教師もいます。

私が伺った話では、その少人数指導で、算数教育を専攻した人が担当になる割合が非常に小さいらしいです。ドラゴンさんが仰る、「算数専攻でない人もいます。」というニュアンスではなく、「ほとんどそうではない」と言う感じだったのです。高学年で分数や割合などを教えなければいけない場合においてさえです。

> それでも、学校の算数主任とか算数の中心となる人は、やはり算数教育出身の人です。東京学芸大学にも横浜国立大学にも、教員養成系の大学には、数学教育の講座(大学では算数教育の講座とは言いません)があります。じゃあ、ここの卒業生は、教師になっていないのでしょうか。国語や社会や理科と同じような割合で、算数教育の講座出身の教師はおります。

ここの部分の資料みたいなものは、どこかにありますでしょうか? 御教示頂ければありがたいです。
私の周り(特殊な環境なのでしょう)では、そのように、見えないのです。聞くところによると、(私の周りでは)教育学部の算数・数学系の学生は、中学以上の教員を目指すようです。


by 憂鬱亭 at 2008-06-22 07:58:22
専科の話と情緒の話

算数専科の件ですが、地域(主に都道府県)の状況が、それぞれ違うのではないでしょうか。大都会以外の地域で、算数専門の小学校教員というのは、供給が少ないのではないかと思います。

「9 11米国自作自演説」は許容されないのに、「トンデモ説」であるという点では同じ「水伝」や「ゲーム脳」はなぜ許容されるのか、ということですが、私も、情緒的な反応の問題だと思います。
例えば「ゲーム脳」を許容する人の中には、「子どもは元気に外遊び」などというノスタルジックな考え方の人も含まれていて、そのような人達は勉強用のゲームソフトにも強い拒否反応を示します。
一方、勉強させたいのにゲームで遊んでいるのが許せない、という人達には、勉強用ゲームソフトのことを示すと、許容傾向に変わります。

その人の情緒的な判断で、どれを許せるかが変わるわけです。
ということで、授業で血液型別性格の話を肯定的にして、謝罪した教師の話って、どなたか聞いたことがありますか?
わたしの周りでは、少なくともいません。飲み会のときなど、教師同士で「俺はA型だから几帳面」などと熱く語り合っています。


by 石田剛 at 2008-06-35 08:33:35
Re:911陰謀論と水伝との温度差

apjさん
> だから、もし、チェックの基準が主に情緒しかないとしたら、
> その方がもっと深刻な問題ではないかと。
まったく同感です。
不合理でも「いい話」ならオッケーって基準で、学校教育をやられたのでは、すごく困ります。

教育現場の方には情緒や見せ掛けの効果(ゲームする時間が減らせるとか、悪態をつかなくするとか)に惑わされず、教育の本当の目的と効果を、意識して欲しいと石田は考えています。
これを考えれば、「ゲーム脳」や「水伝」はダメダメなはずです。もちろん「9.11陰謀論」も同様にダメで、ついでに情緒面から見てもダメすぎというオマケ付きなわけですが、結局全部ダメなことには違いないのだと、石田は考えています。


by ドラゴン at 2008-06-10 22:08:10
Re:911陰謀論と水伝との温度差

いろものさんの近所さん

ご参考までにこんなのがあります。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~nyushika/univ/senbatuyoko-20PDF/20yoko3-4.pdf
東京学芸大学の小学校課程全体では約400名で、そのうち数学専修(小学校なので算数教育です)が60名です。だいたいこんな比率になるのではないでしょうか。
地方の国立大学では、元の定員も少ないので、数名程度というのも多いように聞きます。小学校課程で丸ごと入学して(文系が主)、それから分かれるところもありますが、どこにも数学教育担当教員はおりますし、ゼミもあります。
小学校の教員は理数系を放棄したみたいな書かれ方をされるとちょっと乱暴かなと思いました。

少人数担当については、発足当時は、文科省から予算が出たので、北海道などでは全く別の使い方していて問題になったこともあります。現実では、定年間際とか担任に不適格な教師が充てられることもあります。地域差もありますので、実際には算数ではない教師ばかりのところもあるでしょう。
ただ、これを算数専科と考えるには誤解があると思います。
ある意味担任の補助であり、算数の苦手な子どもを別立てで指導する立場です。この少人数指導担当に算数が少ないことと理数教育の関係は、まったく別だろうと思います。
本筋とは離れますので、このあたりのことは、この程度にしましょう。

別のところでもよく話題になりますが、クリティカルな思考ができないということも大きいと思います。
活字になったものは信じてしまいやすい、テレビで報道されたものは正しいと考えてしまう、そういうことが多いのだろうと思います。

昨日、たまたまテレビをつけると、宇宙戦艦ヤマトがガミラス星を滅ぼすところをやっていました。子どもの頃は、喝采を送っておりましたが、よく考えると攻められたからといって星そのものを滅ぼすのはやりすぎですよね。そういえばウルトラセブンでも地球を守るためにペガッサ星人の宇宙都市を破壊しましたし…。
ニセ科学ではありませんが、よく考えるとおかしいということは日常にもたくさんありますね。そんなところにつっこみができる能力が必要なんだろうと考えました。


by いろものさんの近所 at 2008-06-18 18:48:18
Re:911陰謀論と水伝との温度差

ドラゴンさんへ

私の生活実感で、実証はありませんが…

ちょっと見た感じ、東京学芸大は教員養成課程としてすごくしっかりした大学です。

でも、そうでない教員養成課程もたくさんあるのではないでしょうか。私立短大で 2珠免許を与えるような所等は、大学での理数系教育がきちんとなされているように、私には見えません。

昨今の財政難で、非常勤教員の割合が増えており、非常勤の採用は実質無試験ですから、小学校教員にも基礎学力が怪しい人が沢山いる。

男女差別をするわけではありませんが、女性が多いので、今の日本でなぜか男性が優位な、理科、算数、社会あたりの学力が中学生程度ではないかと思える教員の話を、結構見聞きします。


by ドラゴン at 2008-06-21 03:25:21
Re:911陰謀論と水伝との温度差

いろものさんの近所さん

そうですね。私も印象でしかありません。
私のまわりは、研究会や学会などに参加する比較的に熱心な方が多いせいもあるかもしれませんが、中学生程度ということはないと思います。
採用試験では幅広い範囲から出題されますし、非常勤の方も採用をねらって勉強もしているでしょう。
ただ、やはり中にはどうしようもない教師もいます。それは否定しません。
例えばTOSS、こんな指摘もあります。
http://zep.blog.so-net.ne.jp/2007-09-16

男女間となると、女性の方がしっかりと勉強されているようです。管理職試験などでも女性の方が成績がよいので、ある区では試験の成績だけで管理職を決めるとすべて女性になる可能性もある、と話題になったこともありました。
すべて女性でもいいんですが、優秀な人は副校長(教頭)に40代前半でなりますから、妊娠の可能性があります。さすがに副校長で産休補助を出すのは難しいので、これからの検討課題になっているそうです。
ですから、理数系の教育の学会にも女性がたくさん参加されています。女性が多いから理数系や社会の教師の学力が低いというのもあてはまらないと思います。

話を本題に戻しますが、apjさんが指摘された情緒的判断が蔓延る理由としては、やはり教師の学力は関係ないと思うのです。根拠はまだありませんが、Kikulogさんを拝見していますと、その他の陰謀論でも、私などよりずっと物理に詳しそうな方でもビリーバーになっています。理数系の学力があれば、そうならないとは言えないように思います。

やはり結果を優先して、忙しさから妥協した産物なのではないでしょうか。
この陰謀論を授業で話した教師も陰謀論を信じていてそれを話題としたというより、つい深く考えずに話してしまったという感じでしょう。その後の対応から、そんな印象があります。
それは決して良いことではありませんが、この教師の学力が中学生程度だから信じてしまった、ということではないと思います。