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むしろ人文系の話題として

Posted on 6月 21st, 2008 in 倉庫 by apj

 atom11の掲示板の方で、「1/4の奇跡~本当のことだから~」を学校で上映するのは問題ではないか、という意見が投稿された([26184]あたり)。石川県の養護学校職員の山元加津子氏の考えや活動の紹介ということだが、主張の論理が、

・世の中は全て、大きな力、村上和雄氏の言う、サムシンググレートで繋がっている。だから学校の子どもたちの絵や粘土作品と、ペルーの遺跡は似ているのだ。
・ペルーの不思議な土木作業は、遠い山から切り出した石を、今のようなインターネットでの情報のやりとりと同じような仕組みで送って貼り付けたのだ。だから、絵も簡単に拡大して張り付けることが出来る。だからナスカの地上絵もそうやって描かれたのだ。
・障害者である学校の子どもたちは、そういった大きな力から受ける回路が広いのだ。

 と、むしろトンデモの領域に突入しつつある。論理性とも合理性とも無縁の壮大な連想ゲームに、人として望ましい内容が抱き合わせになっている。やっている人達は善意だし、障害者が登場するので、批判をすると、反発される可能性が高いのでなかなか難しい。
 それでもいくつか問題だと思うことを書いておく。
 村上和雄の「サムシンググレート」を持ち出す考え方は単なる思考停止だし、ペルーの遺跡と似ていることの価値がどうなんだという部分も抜け落ちているから、何か言っているようでいて、話の中身が全くない。
 また、障害者である子供達を大事にしたいと思うあまりか、障害者の子供達が特別な能力を持っているということにしてしまい、だから障害者は大切にしなければならない、という持って行き方をするのは、やはり問題がある。障害者がそのような特別な能力を持っているという客観的証拠は無いから、そこが否定されると、「大切にしなければならない」の部分にまで影響が及んでしまう。山元氏は善意でやっているのだろうけど、弊害に気付いていないのではないか。
 では、障害者に特別な能力があると考えないと障害者を大切にできないのかというと、そんなことはないはずである。障害者かどうかとは関係なく、人間の尊厳性というものはあらゆる人に付与されており、これを実効性のあるものにするために人権を保障するということになる。人権の保障の具体的な方法なり内容なりを決めるときに、障害故に不自由になっている部分をうまく補って、結果として人間の尊厳性が等しく実現するようにしよう、と考えておけば足りるのではないか。
 障害者に対して安易に特別な能力を設定するということは、非科学・非合理であるというだけではなく、同時に倫理や哲学といった面の脆弱さを意味しているように思う。しかし、こちらについては、私も法学の基礎あたりを学び始めたばかりで、自分で論を立てることができるほどの知識も力もない。人文系の人に助けていただきたい部分である。

 なお、私達がタブーとして意識的に避けなければならないことの一つは、人の優劣や価値が科学によって決められるという発想をすることである。科学的に測定可能な能力を人の価値や存在意義と結びつけることには、可能な限り敏感であるべきだろう。人の優劣に科学的根拠があるという発想の行き着いた先がホロコーストだったという苦い経験があるわけで……。もっと積極的な言い方をするなら、世の中には、科学を適用してはいけないものがある、ということである。
 人間の尊厳や人の価値というものは、科学とは無関係に、別の思想の枠組みを使ってきっちり立ち上げておかないと、危なくて仕方がない。スピリチュアル系が安易に科学っぽいものを取り入れることに対して私が持っている警戒心は、どうもこのあたりにありそうである。

【追記】
「障碍者」が正しい表記ではないかと思ったのだが、引用部分に合わせてここでは「障害者」とした。


ここからは旧ブログのコメントです。


by zorori at 2008-06-15 17:22:15
Re:むしろ人文系の話題として

科学的事実にはそもそも優劣という概念は無いですよね。人間の社会関係に至って、初めて優劣が決められるわけで。ある文化(環境)では痩せている方が優秀でも、別の文化では太っている方が優秀と看做されるだけですね。

例えば進化とは、理想の完成形に向かって変化しているようなものではないわけですが、それが証明されたというニュースをkikulogで芹沢さんが紹介していました。

http://transact.seesaa.net/article/100181426.html

また、アシモフの古いエッセイに、次のようなことが書いてあったと思います。

医学や技術の進歩によって昔なら淘汰されたような人々が生き残れるようになった。これは適者生存に反するのではないかと憂える人は幸いにしていない。

アシモフはこの後に続けて病弱な人が生き残るのは、人間のように社会生活を営む生物にとっては進化的にありうることであると論証しています。ただ、あくまで進化的にありうるというだけで、病弱な人が優秀であるとか劣っているということとは別次元の話です。

しかし、現実には優生学のような憂える事態もありますね。障害者には特別な能力があるというのは優生学の裏返しで非常に危ない考え方だと思います。

科学は人間と大腸菌のどちらが優秀かということは判定しませんが、優秀の意味を絶滅の可能性の少なさと決めると判定可能になります。そうすると大腸菌の方が優秀でしょうね。ただし、優秀の意味を決めるのは科学の範疇ではなく、人間か大腸菌の文化であるということだろうと思います。


by がんのすけ at 2008-06-52 20:48:52
Re:むしろ人文系の話題として

 障碍者に特別な能力があるとかあらまほし、と考えてしまうのは、差別意識の裏返しだと思います。これまでの社会的ハンディを一気に逆転させたい気持ちも分かりますが、障碍者を神のように持ち上げるほど、そこに支援者がかしずいているように見えるでしょう。これではかえって差別構造を浮き上がらせるし、情と理の両面からも無理というか飛躍がありすぎて、理解が得られにくくなります。
 あくまで人間対人間として、対等でなければ相手の尊厳を認めたことになりません。ある障碍児が純朴でいい子なのだと言いたいのなら、その子供が素晴らしいとだけ述べればよいのです。
 たとえは悪いかもしれませんが、奴隷が奴隷の主人になれたところで、奴隷制度は変わらず存在するので、何ら差別の解決にはなりません。
 世の中には二種類の人間がいる、という言い方をすることがあります。障碍者とまだ障碍をもっていない者(未障碍者)と。誰しも障碍者たり得ることに気付きさえすれば、バリアフリーだの支援だのと声高に言う必要もなく、ごく自然に障碍者側からと未障碍者側から、それぞれ問題に対処できるはずなのですが。
 ところで、誤解を恐れずに言えば、障碍児(者)をすばらしいと褒め称えるのなら、自らも進んで障碍者になればよいではないかとの論も成り立つはずですが、件の養護学校職員は、これにどう答えるのでしょう?

 人が人として生きていくことをより快適にするために、社会は機能すべきであり、これは宗教であれ科学であれ同じであって、それが原則なのだ、と思いたいところです。そうすれば「科学とは無関係に、別の思想の枠組み」と考えずともよいのではないでしょうか。


by apj at 2008-06-49 22:17:49
意識した方がいい場合もある

がんのすけさん、

>人が人として生きていくことをより快適にするために、社会は機能すべきであり、これは宗教であれ科学であれ同じであって、それが原則なのだ、と思いたいところです。

 仰るとおりなんですが、社会の機能やら、その一部を実現するための道徳と、科学を安易に結びつける発想が、「結論さえ人として正しければ受け入れられやすい」現状を考えると、敢えて、別物であることを強調した方がいいのではないかと。

 以前にもどこかで書いた記憶があるんですが、高校の時に習った国語の先生の説明が一番腑に落ちるものでした。確か、こんな内容でした。「人間はみんな等しく不完全である。しかし神様は不公平だから、不完全な部分を全員に等しく割り振らず、一部の人にだけまとめて割り振ってしまった。障碍者というのは、健常者が各自でちょっとずつ持つべき不完全である部分を、たまたま、まとめて引き受けてしまった人なのだから、その引き受けた分を今度は健常者が現実の世界で引き受けて(=手助けするとかバリアフリーを実現するとか)、同じように一緒に生きられるようにするのが当たり前のことである」
 まあ、神様が登場するので宗教的にどうよというツッコミはあるかもしれませんが、この場合はそんなに深い意味はなくて、人にはどうしようもないこと、といった意味です。

#体は動かないがものすごい超能力者、なんてのが出てくるのは、マンガやアニメの演出上の都合に過ぎませんし……。


by zorori at 2008-06-37 23:20:37
Re:むしろ人文系の話題として

>しかし神様は不公平だから

なるほど。
ただ、神様を自然や科学に置き換えると、私にはもっとすっきりします。神様や倫理の出番はその後じゃないかな。


by apj at 2008-06-15 00:04:15
表現はブラッシュアップすればいいかと

zororiさん、

>ただ、神様を自然や科学に置き換えると、私にはもっとすっきりします。

 なるほど。まあ、言ったのが国語の先生だったので、神様って表現になったのではないかと。「科学」は方法論なのでこの場合の置き換えとしてはよくないと思いますが、「自然は不公平だから」ならすんなり意味が通りそうですよね。


by 憂鬱亭 at 2008-06-20 08:51:20
Re:むしろ人文系の話題として

 ことが「障碍」だから「特別な力」という話になる、とは限らないですよね。
 しばらく前には「老人力」なんていうのもあったし、「赤ちゃんは周りの人をシアワセにする力がある」なんて言説もあったりするんですが、
「周りから援助や配慮を得て生活をしなければならない人たち」全般に当てはまる話だと思うのです。
 別に特殊な力がなくても、必要な人には援助や配慮が与えられるようになることを目指す。
 それだけで充分ですよね。
 この話題は確かに人文系の問題ですが、「国語科」の教員である私としては、説明にうかつに「神」を使うのは、同意できませんね。教師が超自然的なものの存在を示唆するだけで不用意に信じる生徒もいますので。


by すぱーく at 2009-05-26 21:51:26
Re:むしろ人文系の話題として

山元加津子氏、偽善者とまでは言いませんが、違和感を感じます。最近、友達が病で倒れられたことがHPで書かれていますが、本人に許可なく(意識障害あり)友達のお顔を(管や気管切開されている)アップされていて驚きました。このお友達も祈りとか神の力で回復すると言っています。多分、回復されたらこのことを本になさるのでしょう。カルト的な宗教を感じます。この様に理論的、科学的に彼女のことを捉えられている方々がいらっしゃって安心致しました。ありがとうございました。


by apj at 2009-05-45 05:34:45
スピリチュアル系に走りつつあるようですね

すぱーくさん、

>祈りとか神の力で回復する

 何だか、カルトというか、オカルト・スピリチュアル系に走りつつあるようですね。確かに、ちょっと危ない気がします。


by すぱーく at 2009-05-11 06:04:11
Re:スピリチュアル系に走りつつあるようですね

apjさん
ありがとうございます。
そうです、オカルトです!
病に臥している人を…。
なんだか、弱者を盾にしているようで成りません。

こんな稚拙なコメントにお返事頂き、感謝いたします。


by あんね at 2009-08-19 21:06:19
2つのブログ

apjさん、こんにちは。

私のブログのここに、友人の病をテーマにしたブログについてのコメントがありました。
http://anne.air-nifty.com/bigin/2009/07/14-f6d1.html
閑古鳥が鳴いているブログなので、もう少し人に見ていただきたく、こちらに投稿する次第です。

【要約】

山元氏が「りつ」と名乗って、婚約者が倒れたという想定で、別のブログを書いている。
 りつさんのブログ
   http://daijyoubu.blog.shinobi.jp/Entry/199/
 いちじくりん(山元氏のブログ)
   http://itijikurin.blog65.fc2.com/

本の出版は、倒れた患者自身が望んでいることである。
(國學院大學の柴田保之先生が、意識障害のある患者との意思疎通を行った)

この柴田氏は、こちらによると、障害者から言葉を引き出す研究をされているようです。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2009/04/post_330.html


by すぱーく at 2009-09-11 19:17:11
Re:むしろ人文系の話題として

以前、訪問させていただいた者です。
両者のブログの件で山元氏がコメントを
利用していると思われる箇所が
ございましたので科学とは関係が
ないかも知れませんが
御報告させて頂きました。
両者が同一と発覚し物議が
なされていましたが、山元氏に都合の悪い
正論は削除されております。

りつのブログから一部抜粋
●日々のリハビリで昨日出来なかったことは、
今日も出来ませんが、去年出来なかったことが、
今日出来ることがあり驚いています。●
http://daijyoubu.blog.shinobi.jp/Entry/70/
上記は訪問されている方のコメントです。

りつ自身も書いています。
抜粋●脳幹出血の先輩でもあるたかしさんが、昨日できなかったことが今日もできないかもしれないけれど、去年できなかったことが今日はできて驚いているという言葉をくださいました。●
http://daijyoubu.blog.shinobi.jp/Entry/76/

言葉をそのまま山元氏の「いちじくりん」で
父兄が言ったように利用されています。

下記が父兄が言ったようになっているページです。
http://itijikurin.blog65.fc2.com/blog-entry-1116.html
抜粋●ももちゃんのお母さんが、昨日できなかったことが、今日できることはないかもしれないけれど、去年できなかったことが今年はできているんですとおっしゃったことを思い、毎日を大切にしていきたいと思います。●以上
何故、このようなことまでしているのか理解出来ないです。現在、
りつが訪問していたHPの患者さんや家族からは無視されている状態ですが、保身に必死になっているようです。
りつが無視をされているブログです。
http://www.abars.biz/addon/bbs/bbs.cgi?id=katsutsun&page=1 
以前はこの方達も
親身にコメントをなされていた方達です。
裏切られたお気持ちなのではないでしょうか…。

このような事態になっても、山元氏はりつと
してブログを続けたいと訴えています。
もう、この方は真実というものから
程遠いところにいらっしゃる悲しい
お方です。

オカルトの布教活動は怖ろしいです。

長々と申し訳ございませんでした。