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mixiで書いたこと

Posted on 4月 28th, 2007 in 未分類 by apj

mixiのホメオパシー検証スレで書いた内容の一部。
例によって、科学が全てを解明したわけじゃないから、ホメオパシーに科学的根拠がなくてもかまわない、という流れで書き込んだ人が何人か居たので、それに対するコメントをした。内容を引用したいという連絡をもらったので、改めてこちらにも引用しておく。
——————-(ここから)
ありがちなな論理展開について説明しておきます。
1:○○は今の科学では説明できない。←事実
2:科学ではわからないことがたくさんある、あるいは万能ではない。←事実
3:だから、○○は本当かもしれない。←推論
 1が事実であったとしても、いろんな可能性があります。○○がそもそも科学の対象ではなかった場合には、永久に科学で説明されることなどないでしょう。また、ゆくゆくは科学になるけど今はまだその時期ではないから説明できていないだけかもしれません。1だけからは何とも言えないわけです。すると、2が成り立っていても、3は出てきません。1と2は独立の話ですから、3は導けない。結局、この三段論法っぽいものは、何も言ってないのと同じ事です。
——————-(ここまで)
 今回は、ホメオパシーに「科学をくっつけよう」とする部分について、それは違うというコメントをした。議論に加わった人の中には、「科学で説明する必要はない」とはっきり主張した人もいたので、まあ、わかっている人はわかっているということだろう。問題は、中途半端に科学を持ち込んで説明しようとする人が後を絶たないことで、混乱の原因になっている。
 元々の検証トピックの問いは「ホメオパシーはインチキか?」というものだったが、これは主張の仕方による。
「ホメオパシーは科学ではないが、私は信じる」というのなら個人の価値観あるいは人生観の問題だから、インチキでも何でもない。そのかわり、効果や原理の説明に「科学(っぽいもの)を持ち出す」のは反則である。
 だから、「ホメオパシーに効果があるのは水に情報を記憶する力があるから」「ホメオパシーの原理は波動が(以下略)」などと、科学でないものに対して科学をくっつけた主張をすると、その主張についてはインチキということになる。また、「ホメオパシーがあれば○○(普通に使われている治療法)は必要ない、すべきではない」などと、既に裏付けのある治療方法を否定することもインチキになる。否定するだけの証拠をホメオパシーの側が(科学的手続きに沿って)提出してないからである。
 つまり「個人の信念として信じる、実行する」のであればインチキではないが、ホメオパシーが効いたことを理由として、既にわかっている科学や医学の一部を否定する主張をすれば、その部分はインチキと判断することになる。

 なお、「代替医療は医療費を削減したい人にとって都合がよい場合がある」ということを改めて書いておく。政府側が「医療費削減のため貧乏人は代替医療で我慢しろ」と主張したとしたら、「医療サービスは国民に等しく与えるべき」と非難囂々になるだろう。ところが、代替医療を黙認する政策を目立たないようにとれば、非難無しに医療費を削減することが可能になる。「患者のニーズ・選択の自由」という(客観的に内容が間違いであったとしても)大義名分が常にあるので、問題にならない。医者の良心の呵責という問題はあるが、「医学も科学もどうでもよく、自分が治ったことが全て」な「患者様」が相手なのだから、政策的に「代替医療を好む人には通常の治療はせず可能な限り代替医療の方を使うように勧める」ということにすればよい。患者の満足度を高めたままで、切り捨てられていることを本人には全く気付かせないまま、医療サービスを抑制するという解が可能になる。余裕が出来た医療リソースは、「医学の価値」 のわかっている人達に振り向ければよい。切り捨ての対象は、「貧乏人」も含むかもしれないが、いわゆる「情報弱者」、特に迷信を受け入れやすい人達の集合ということになるだろう。理科教育を骨抜きにして論理的に物を考えるとか事実を受け入れるといった態度を養う機会を減らす一方で、「希望や夢を持つのは大事」を強調する教育を行い、仕上げに「あるある」のような健康バラエティ番組を極力規制しないような社会を作っておけば、準備としては実に申し分ない。
 選択の自由は確かにある。しかし、不完全な知識や迷信に基づいて不合理な選択を続けた場合は、自分から進んでそれを選んだつもりでいても、誰かの意図によって踊らされる結果になるということを考えに入れておいてもらいたい。相手が騙されたことに気付かず満足している場合が、騙す側にとっては成功ということになる。

掲示板管理関連:名誉毀損幇助

Posted on 4月 27th, 2007 in 未分類 by apj

 Yahooニュース毎日新聞より。

<ネット掲示板>中傷書き込み放置の管理人を書類送検 大阪
4月27日13時13分配信 毎日新聞

 インターネットの掲示板に書き込まれた女子中学生(13)に対する実名中傷を放置したとして、大阪府警南署は27日、掲示板を管理する大阪市内の材木卸会社役員の男(26)を名誉棄損ほう助の疑いで書類送検したと発表した。書き込んだのは、小学校時代に同じ塾に通っていた別の私立中学校の女子生徒(13)で、同署はこの生徒を名誉棄損の非行事実で児童相談所に通告した。府警によると、掲示板での個人名を挙げた中傷を巡っては、民事訴訟は多数提訴されているが、管理人を立件したのは全国的に例がないという。
 府警によると、中傷が書き込まれたのは「学校裏サイト」などと呼ばれる掲示板。昨年8月20日ごろ、大阪市内の私立中学校に関する話題を在校生らが自由に書き込む欄に、当時1年生の女子生徒について「うざい」「ブス」などと中傷する内容が書き込まれた。同10月中旬、友人から知らされて女子生徒が気付き、母親が掲示板のプロバイダーにメールで削除を要請したが、プロバイダーは「掲示板の管理人に言ってほしい」と回答。改めて管理人にメールなどで要求したが、応じてもらえず府警に相談した。府警のサイバー捜査担当者が、書き込んだ女子生徒と管理人の男を割り出した。
 男は「中傷にあたると分かっていたが、これくらいなら削除するに値しないと思った」と供述している。母親が府警に相談した直後の同10月19日、掲示板を削除したという。【小林祥晃】

 「うざい」は意見・感想を述べている(元は「うざったい」でしょう、意味は「うっとうしい、わずらわしい」(学研現代新国語辞典))ので名誉毀損にはあたらないが、「ブス」(「女性の顔の醜いこと」(学研現代新国語辞典))は「事実の摘示」だから名誉毀損にひっかかる、と思ったんだが、私の判断は間違っているかな?完全放置せずに、「ブス」だけ削除して「うざい」を残した方が、議論としては面白いことになったんじゃないかと。

さぼるなゴルァ、の残りの半分

Posted on 4月 25th, 2007 in 未分類 by apj

 一昨日は、「さぼるなゴルァ!」モードで、数IIICを履修させろと書いたが、今日はその残りの半分について、私の経験も交えて書いてみる。結論はやっぱり数IIICをやってほしい、ということなんだけど。
 私が高校の時、普通科高校の数学は、数学I・線形代数・基礎解析・微分積分・確率統計の5分割になっていた。大体この順番で高校1年から履修することになっていた。地方の進学校だしまわりに予備校もないし、大先輩にあたる担任の先生は一浪した時もう一年高校に居候させてもらって受験勉強して大学に行ったと、まあそういうのどかな状況だった。
 私は、高1、高2の大部分の間、数学が苦手だった。特に数Iのあたりは、教科書を読んでも何がしたいのかがわからなかった。線形代数は絵が描けるからわかりやすかったのだが、他のものについては、問題集を解いていても「思いつかないと解けない」という印象を持っており、「思いつくことの訓練」をどうしたらいいのかわからなかった。理系に行こうとは思っていたが、数学の点数については、赤点にはならなかったものの低迷していた。特に入試問題が出ている参考書を見ても、やっぱりその場のひらめき頼りで、つながりがわからなかった。
 ところが、あるとき何かの本で、高校数学の大部分は受験数学に毒されてパズル化しているが、微積分はパズル化しておらず、話の進み方が数学の王道に近い、といったことを読んだ。それで、パズルでないなら私にもできるかもしれない、と思って、そこまで授業が進むのを待っていた。正直、微積分でなじめなかったら理系に行くのはやめようと思っていた。物理はというと、公式の暗記ばっかりで、やっぱりつながりが判らず、暗記物が嫌いなために成績は低迷していた。
 2年の3学期になって、基礎解析の最後の方に微積分が出てきた。先生の説明をきいて、頭の中でイメージが作れて納得できたのは、微分の授業が最初だった。できることなら数Iの前にこっちをやりたかったと思った。
 定期テストの結果はというと、高校に入って以来、初めて満点近かった。これに気をよくして、積分の方も取り組んだから、その次のテストの点数もよかった。3年生になって微分積分の教科書に進んだあたりで、自分で微分積分の本(not受験参考書)を買ってきて読んだりもしてみた。物理の方も低迷していたが、微積分を使えば公式の暗記をしなくても解けるし、難問といわれている問題のいくつかも簡単に解けることがわかった。大学入試は、あてずっぽう以外の方法で正解にたどり着けば点がもらえると踏んで、可能な限り微積を使って物理の問題を解くようになった。このおかげで、理系振り分け直後に赤点喰らった物理が、3年2学期には定期テストも模試もほぼ満点ということになった。
 もし、高校の数学が選択制で「微積分はやらんでいいよ」という指導をされていたら、私の数学苦手意識は払拭されることは決してなかった。物理で点がとれるようになることもなかった。私は理系の進学をあきらめただろうし、もしあきらめなかったとしてもそもそも理学部物理学科なんかには受からなかっただろう。
 数学が苦手で困っていた私は、微積でやっと救われた。というか、微積のおかげでその後の人生まで変わった気がする。不思議なことに、微積で数学苦手意識が払拭されると、何となくいろんなものが見え始めて、これまでそんなに点がとれていなかった項目でもそれなりに解けるようになったりした。多分、「微積はやらんでいいから苦手なところをもっと受験に向けてトレーニングしろ」とやっていたら、苦痛ばっかり大きくて、効果が上がらなかったに違いない。
#かといって、数学科の公理論に馴染むほどではなかったので、物理を選んで正解だったのだけれど。
 今、高校で数学が苦手だという人のうち、私と同じ理由で数学に苦手意識を持っている人がいるんじゃないかと思う。だとしたら、微積分のストレートな展開に触れれば、数学苦手から救われるかもしれない。選択制で数IIIをやらないことにしてしまったら、そういう人達が救われる機会を奪ってしまっていることになる。これは、実は相当罪深いことなのではないか。
 予備校なら試験対策以外のことはしない、でもかまわないのだが、高校は、いろんなものに触れて、何ができるかを確認できるチャンスを増やす方向でやってほしいと思う。「苦手だった、もう二度と見たくない」と思って卒業するのと「私にもこれができる」と思って卒業するのとでは、やっぱり後の方が気分がいい。

無理ありまくりだな

Posted on 4月 24th, 2007 in 未分類 by apj

 今度は大学院内部進学者の割合を制限するという案が出てきたが……。そもそもの前提になっている囲い込みなんかそんなに無いんじゃないかなぁ。

大学・大学院に競争原理を積極導入…教育再生関連6会議

 政府の教育再生会議は23日午前、第3分科会(教育再生)を首相官邸で開き、大学・大学院改革について、国立大学の大学院生に占める同大学の学部出身者(内部進学者)を最大3割程度に抑えることなどを柱とする素案を大筋で了承した。
 内部進学者の制限は、大学の枠を超えて人材を集めることで大学院教育を活性化するのが狙いだ。素案は当初、「最大2割程度」を目標とする方向だったが、大学関係者の反発に配慮し、「3割程度」に改めた。

 何て言うか、めちゃくちゃな案だな……。今時のことなんで、囲い込みで進学先を決めさせるようなことをしたら、教員にとってはハラスメントだと問題になるリスクを背負い込むだけなんだけど。
 卒業研究をやってたらやっといろいろ分かってきたからもうちょっと研究しようかな、で進学してくる層がそれなりに居るんですよねぇ。4年の延長でやれそうだから同じ大学(ってか同じ研究室で)という要素もあるわけで、別に囲い込みがあるから同じ大学に進学しているわけではない。そういう人達が軒並み進学を止めて就職してしまいそうな気が。
 一方、少しは囲い込まないとまずい分野というのもある(特許がらみの仕事を一緒にやってるとか、職人芸的な実験技術が必要な分野とか)。そういうところだと、技術を教えてもその先続けてくれる可能性がほとんと無い上、機密保持の問題も発生するとなると、4年生に細かいことを教えなくなるかもしれない。
 進学者の数激減&不十分な指導のまま進学してくる人の割合増、で、活性化どころか大学院が崩壊するのが目に浮かぶわけですが……。
 大学同士でこっそり協定結んで書類上だけ学生を所属ってか交換受験させ、教員同士は表向き共同研究、院生は居たい場所で研究続行、って手をつかうのが現実的ということなんだろうか。新手の内地留学かこれは?

 まあ、そもそも、「内部進学者の割合が少ない=大学院が活性化する」が本当に成り立っているのかどうかについて、十分検討してもらいたいのだけど。

 あ、ところで上の方からは、「大学院と学部の連携をとれ、一貫教育の方向で」と言われたもんで、院のカリキュラムをいじったりしていて、動きの速い私学では学部と院の一部単位互換が既に走ってたりする件。これってもろに内部進学者優遇制度、上の方のお達しによる「囲い込み」に見えなくもない。教育課程を学部・院一貫にしておいて、内部進学者制限をかけるというのは、正気の沙汰ではないと思うが。

「知的な科学・技術文章の徹底演習」

Posted on 4月 23rd, 2007 in 未分類 by apj

 「知的な科学・技術文章の徹底演習」塚本 真也 著を生協で見つけて衝動買い。
 学生実験で、Excelの図をそのまま使うな、などと教えているが、本の後半の図の描き方は役に立つ。筆者は「知的な」というキーワードにこだわっているようだが、知的云々というよりも、むしろ「お作法」と呼ぶべき内容である。前半は、日本語の学習、技術文書にありがちな学術用語の送り仮名の振り方等がよくまとめられている。図書館に一冊置いて学生に読ませると教育的な本である。学生実験の指導をしている人にとっても、リファレンスとして使える。

一方、ロシアは……

Posted on 4月 22nd, 2007 in 未分類 by apj

 時事通信の記事より。mixiで紹介されていたのでリンクできないが引用しておく。

3割が天動説信じる=恐竜時代にも人類?-ロシア調査
(時事通信社 – 04月22日 15:10)
 【モスクワ22日時事】「太陽は地球の周りを回っている」-。ロシアで国民の約3割がこう信じていることが明らかになり、関係者の間に衝撃が広がっている。有力紙イズベスチヤがこのほど、全ロシア世論調査研究所から入手した調査結果として伝えた。
 調査はロシアの153都市で、1600人を対象に基本的な科学知識を試す形で行われた。
 この結果、天動説を信じている人は28%に上った。ほかに「放射能に汚染された牛乳は煮沸すれば飲んでも安全」との回答が14%、「人類は恐竜時代に既に出現していた」との回答が30%に上った。
 また、科学的な知識だけを信じる人は20%しかおらず、あとは魔法を含む何らかの超自然的な力の存在を信じていることも明らかになった。 

 ソ連が崩壊してからこうなったのか、こんなだから崩壊したのか……。いずれにしても、スプートニクをやった国とは思えんorz。

中西応援団を閉じた

Posted on 4月 21st, 2007 in 未分類 by apj

 昨日の深夜から今朝というか日が変わる頃にかけて、中西応援団のウェブサイトを閉じる作業をした。掲示板の新規投稿を止めて、応援団のトップをwww.i-foe.orgから一段下げて、関連ページに「判決は確定しているが、資料として残す」という但し書きを付けた。コンテンツとドメインは可能な限り維持するつもりだが、私一人では何かあったらできなくなるので、皆さんで適当にダウンロードして保存しておいてほしい。
 判決確定してからは、これといった「燃料投下」もなく、何となくフェードアウトして終わったが、まあこれでいいと思う。大体、「ますますの発展を願って云々」という種類の集まりではないし。ってか発展ってことは紛争拡大して継続中を意味するから、ちっともうれしくないわけで。
 まあ、 5月8日に中西さんのサイトでコメントが出るとか、裁判の内容自体が本になる予定といったこともあるようだが、この先は応援団の活動ではなく、普通の世間話として、それぞれのblogや掲示板で情報を出しておけばよいと思う。関心を持って見守ってくれた皆様、お疲れ様でした。

平成19年(ワ)第140号 損害賠償請求事件

Posted on 4月 20th, 2007 in 未分類 by apj

 飛騨の中の人を訴えた件。
 18日に記者さんから電話があったのだけど、夜、帰ってみたら裁判所からの呼び出し状が届いていた。特別送達なので、不在だから局で預かっているという連絡がポストに入っていた。講義等で忙しかったので、今日の午前中に何とか引き取りに行ってきた。それで事件番号が判明した。呼び出し状は4月17日付けになっていた。
 訴状提出が3月27日、呼び出し状が4月17日付(多分ほぼ同時に裁判所に掲示)、第1回口頭弁論は5月10日(第1回だけは裁判所の方で決めるので変更できない)。まあ、次に何の書類が来るかで展開が変わるから、どうなるかはわからない。民事はあくまでも交渉の延長だし、交渉は水モノだからねぇ。

メディア・バイアス

Posted on 4月 19th, 2007 in 未分類 by apj

 松永和紀さんの新作「メディア・バイアス」を送っていただいた。今日届いたのだが、今日は朝から2コマ講義、会議、理学部イベントと多忙のため、なかなか読めない。それでも、目次といくつかの項目を読んだ限りでは、ニセ科学報道がどうやって行われているかということがよくまとまっている。来年度の講義の教科書か参考書に指定しても十分使えそうな本である。新刊なので本屋の店頭にあると思うので、ぜひ一冊買って読んで欲しい。
 何となく実感がこもっていたのが、「フリーのライターの懐具合は……」という部分で、「努力して優秀な科学ジャーナリストを目指すより、トンデモ情報を垂れ流すライターになる方がはるかに”儲かる”、いや、そうでないと”食ってはいけない”のが現実なのです」というところ。研究者も同じで、怪しい商売に名前と肩書きを貸して、宣伝に登場する方が手っ取り早く儲かる(その代わり信用は落ちまくるが)。批判する側に居ると、クレーム対応の手間がかかるし業績にはならないし、直接の旨味は無いわけで……^^;)。
でもまあ、まともな科学ジャーナリストが居てくれないと困るので、そういう人達を支える仕組みを作れないものか。

取材があって驚く

Posted on 4月 18th, 2007 in 未分類 by apj

 飛騨の中の人を訴えている件で、口頭弁論も始まってないのに、地元の新聞記者から電話取材があって驚いた。裁判所を定点観測していて気付いたらしい。私としては、法律的には何の目新しさもないきわめてありふれた名誉毀損訴訟のつもりでいたので、話題性は皆無だと考えていた。記者さんの話だと、山形地裁の損害賠償請求訴訟は年に二十件ほどあるが名誉毀損はかなり珍しいということだった。
 以前から書いているように、法的紛争は近代社会における個人の自立の証であるというのが私の考えである。つまり、紛争は普段の生活の延長線上にあるべきだと思っているので、芸能人や政治家でもない一般人同士の法的紛争が、地方限定とはいえマスコミのネタになるというのは、かなり違和感を持ってしまう。まして、先日、判決が確定した環境ホルモン濫訴事件で、原告が行きすぎたプレスリリースを出した(かなり見苦しい振る舞いを)見ているわけで……。
 でもまあ、ネットがらみの名誉毀損が珍しい、山形にはそんなに事件がない、ということを言っておられたので、もし記事にするなら、「ネットは怖い」という煽りはやめてほしい、「とんでもない人に関わった」という被告攻撃系の内容もやめてほしいと伝えた。その上で、
・ネットが社会に入って来たが、未だ過渡期で、昔なら法的紛争にならなかったものが紛争になるケースが出てきている。
・今回のも、限られた地方の中だけでの出来事だったならば、裁判所にまで話が行かなかったかもしれない。実際、被告との面識は全くない。
・個人と公人の区別、私信とは何かという区切りについてなかなか合意がとれず、トラブルの原因になっている。
・情報発信は、法的紛争まで含めて考えるべき時期にきている。
・「水商売ウォッチング」のような、理由無しに内容変更や削除ができない、脅したりごねたりする相手の言いなりになったが最後成立し得ないコンテンツを作っている場合には、特に紛争まで視野に入れる必要がある。
・名誉毀損訴訟の立証責任の配分は、「公然と」名誉毀損できるのが例えばマスコミなどの力のある団体、名誉毀損される側が政治家など、というパターンが続いた時代から変わっていない。個人対個人の名誉毀損が技術的に可能な時代になったのだから、少し変わる方がいいのかもしれないが、まだその動きは法曹にはない。
・プロバイダ責任制限法の考え方からすると、実際に情報を公開している人間が特定できたら直接当事者で解決すべきところ、今回は事実上「発信者情報開示済み」であるにも関わらず、大学(=お茶の水大)に対して削除要求が送られ続けた。大学を紛争から切り離すためには、民事の時効が来る前に私の方から提訴して、まずは相手の責任をはっきりさせる以外に方法が無かったという面がある。
・コミュニケーションのあり方について、従来は声が大きかったり単にしつこかったりする人の主張が通るという文化(?)があったが、ネットになってそれが変わった。紛争の原因として、一種の文化摩擦が(わりと広く)存在するのではないか。
 こんなことを話してみた。
 記事にするとき私の名前を匿名にしようかと言われたが断った。既にさんざん実名でネットで話題になったもめ事の、いわば最終処理なわけで、今更私の名前を匿名にしたって何の意味もない。紛争自体にニュースとしての価値があるとはとても思えないが、ネットの普及によって違う文化が共存せざるを得ない状態になったという視点から記事にしてもらえるのであれば、ネットとどう付き合っていくかという理解が深まるだろうとは思う。今更ネットのない時代に逆戻りはできない。記事にするかしないかも含め、あとは記者さんの判断にお任せするしかないですね。